「イライラする母」「黙る娘」だった険悪な親子関係を、いろんな話ができる「心が通じる関係」に変えた私の経験をもとに、重要なだったものを書いてみようと思います。
・子どもとの関係がうまくいかない
・子どもを想って色々やってきたのに、子どもから嫌悪感を感じる
そんな人のためのコラムです。
私たちの関係
母は私のためにたくさんのことをしてくれました。小さい頃は習い事もたくさんさせてくれました。中学受験もしました。中学受験って、親も一緒になって大変ですよね。中学に上がってからは、毎日お弁当を作ってもらいました。いつも美味しかったです。そうやって母が私にしてくれたことは数え切れません。でも、私たちは本当にうまくいきませんでした。
母からすれば、頑張れば頑張るほど、子どもの心が離れていく状況です。中高大と進むうちに私から嫌悪感を感じるようになった母は「こんなに一生懸命やってきたのにどこで間違えちゃったんだろう、どうしたらよかったんだろうって思った。」と言っていました。私は私で「お母さんは私のことなんてわかってくれない」と感じていました。
話せばいつもわかりあうことがなくて交わらない平行線というか、会話にならないというか…。お互いに「なんでわかってくれないの?」と言い合っている感じでした。でも、今は、いろんな話をするようになって、穏やかな時間が奇跡のように感じます。
この変化に重要だったと思うのは「心の適切な距離感」です。ここでは、良好な親子関係を築いている人が必ず持っている「心の適切な距離感」について書いてみます。
心の適切な距離感とは
心の距離感と聞いて、どんなものをイメージしますか?
目に見えないものではありますが、人と人の間にはスペースがあります。その距離感が適切だとコミュニケーションはスムーズになります。この適切な距離感は相手によって変わります。距離感は親しい人ほど近く、あまり話したことのない人ほど遠くに感じるものです。
例えば、初めて会った人に対して馴れ馴れしいと感じた場合は、自分の考える適切な距離感よりも相手が近くにいる可能性が高いです。逆に親しい友人に急に敬語を使われると違和感があるのは、自分の思う適切な距離よりも友人を遠く感じるからです。心の適切な距離感は、本を読むのに近すぎても遠すぎても読みづらく、ちょうどいい距離感があるのと似たようなものかもしれません。
距離感が保てないと起きること
適切な距離感が保てないと起きるのはこんなことです。
・相手にわかってもらえないと感じる
・話が平行線、話が通じない
・お互いの違いを認め合えない、意見を尊重できない
・相手は自分と同じ意見だと無意識に感じやすい
・相手を待てない
・相手の問題と自分の問題をごっちゃにする
・寂しさやイライラを感じる
・居場所のない感覚になる
これらは距離感が近すぎるときに起きます。私と母がうまくいかなかったのは、まさにこの距離感の問題です。多くの親子がこの問題を抱えているのではないでしょうか。
振り返ると、私と母との間に隙間なんて一ミリもなかったのではないかと思います。笑
心理的には距離感が近いを超えて、「あなたは私、私はあなた」状態だった気がするのです。だから当然、相手は自分と同じように感じると思ってしまいます。
相手は自分と同じに違いないという思い込みがお互いの理解の妨げになります。その結果、意見が違うと「わかってくれるはずなのになんで!?」とイライラしたり、期待を裏切られた寂しさや孤独感でいっぱいになってしまうのです。
子どもが予想外の言動をすれば「子どもの考えていることがよくわからない」となってしまうかもしれません。
距離感を適切にするためのファーストステップ
心の適切な距離感ってなかなか掴みずらいものです。まずはイライラした時、不安になった時がチャンスです。
「子どもに対してイライラする」「子どもが心配」「子どもの将来が不安」そんな子どもの問題を感じた時、なぜそう感じるのか、子どもに向かっている矢印を自分に向けてみることが適切な距離感を掴むための第一歩になるからです。
子どもの問題だと感じているものは、実は子どもの問題ではありません。
イライラしたり、不安になったりする原因は心の中にあるからです。仮に子どもがイライラする行動をやめたとしても、今度は他のことでイライラしてしまう、不安に感じる行動をしなくなったとしても、次は別のことが不安になってしまうもので、イタチごっこです。
同じことをされても怒る人と怒らない人がいるのも、イライラするのは外部に原因があるのではなく、人の心にあるのだということを教えてくれます。
内側に矢印を向けて、自分の心の声を聞こうとする時間や、自分を感じようとする時間を持つことは、心に自分のスペースを作ることです。それは、他の誰も入ってこない、自分だけのスペースです。
こうやって自分の心理的スペースを持つこと、大切にすることは子どもの心理的スペースを大切にすることにもつながります。
自分の心理的スペースの存在がわかれば、相手にもその存在があると潜在的に理解できるからです。お互いにこのスペースを持つことができると、自然と距離は離れていきます。
距離感が適切になると起きること
自分の心理的スペースを大切にするようになると、相手の心理的スペースがどんな様子か見えてきます。しばらく見ていると、お互いの違いがわかってくるものです。相手が大切にしているもの、優先順位、興味があること、考え方のパターン、怒りポイント…たくさんの相違点があることに気がつくはずです。
違うということがわかれば、相手は自分と同じだという思い込みから自由になれます。そうすると会話をしても交わらなかった平行線は交わるようになります。交わらないのは自分と相手が同一化してしまって相手の本来の姿が見えてこないからです。
「なんでわかってくれないの?」も解消されて「子どもが何を考えているかわからない」も減ってくるかもしれません。
良好な親子関係って、一緒に買い物に行ったり、映画を見に行ったり、ご飯を作ったり、一見仲の良さそうな関係性だけをいうのではないと思うんです。実際に一緒に行動することはなかったとしても、お互いの心理スペースを大切にして、違いを認め合っている、理解しようという眼差しがある関係のことを言うのではないかと思います。
そのための第一歩が相手に向いている矢印を自分に向けること、「なんでこう感じたんだろう?」って自分の心に、自分を感じるスペースを持ってみることです。
こう考えると、自分を理解することや大切にすることは、相手を理解して大切にすることにつながっているのだとつくづく思います。
心が通じる瞬間
こころが通じることを求める原動力になるものはなんでしょうか?
私は仲良し親子に憧れた時期もありました。それは、居場所がなくて寂しかったからです。母に一番の理解者になって欲しかったからです。幼い頃、学校でも家でも、安心して自分の場所だと感じることがありませんでした。だからずっと安心感や居場所が欲しいと願ってきました。後から話してわかったことですが、母も家族や子どもとの関係に自分の居場所を求めていたそうです。お互いに自分の理解者や居場所を求めて、距離感ゼロになっていたのでした。
でも、自分に矢印を向けた時、自分の一番の理解者になってあげられるのも、居場所になってあげられるのも自分しかいないのだと気がつきました。
今はお互いに、矢印を自分に向けることを覚えた私たち親子は、自分の心理的スペースを大切にすることで、お互いを尊重することができるようになりました。自分を理解した時、相手との違いを認め、相手を理解する足がかりを得ました。
お互いに自分を大切にして、自分と仲良くなった時が親子で心が通じる瞬間なのかもしれません。