毎日を生きるなかで、私たちはいろんなものに意識を向けています。
その対象はそれこそありとあらゆるものですが、大きく自分の内側(心の内)と外側(外界)の二つに分けることができます。
そして、驚くべきことに、意識の向け方次第であなたが幸せでいられるかどうかがほぼ決まってしまうのです。
1.外側に意識を向けている状態とは
それではまず、外側に意識を向けている状態についてみていきましょう。
外側に意識を向けている状態とは、自分の外側の世界にある、自分ではない何か、人だったり物だったり、に注意している状態です。
意識を向ける、または、注意するのはなんのためかというと、荒っぽく言えば、安全を確保してよりよい状態で生きるためです。
動物なら単純ですから、それは天敵から身を守り、食べ物を見つけることでしょう。
人間だったら、危ない目に遭わない、損をせず得をしたい、良い気分でいたいといった感じでしょうか。
ざっくりまとめれば幸せになるためと言えるかもしれません。人間も複雑なようで実はシンプルですね。
そして、今の社会では、外側にある何かを手に入れることで幸せになろうとします。
その何かは人によってさまざまですが、代表的なものは
「お金持ちになりたい」
「魅力的な異性と付き合いたい」
「仕事で成功して自分の名を残したい」
などでしょう。
こうして幸せになるために外界にある何かを得ようとし、そのために外界に意識が釘付けになるというわけです。
2.外側に意識を向けていては必ず不幸になる
そして、その何かを手に入れようとするに当たり、多くの場合、他人との競争が伴います。
有限の外側の世界では、幸せになるために手に入れたいものには限りがあるからです。
ただ、競争すること自体は、よいことでも、わるいことでもありません。
うまくいって有頂天になったり、失敗してどん底を経験したり、正と反、どちらの体験もあり得ます。
そのスリルや攻略の面白さにハマり、夢中になる人も多くいます。
反対に何をやってもうまくいかず、もうウンザリという人もいます。
なんでも両方の面があるのです。
一つ言えるのは、いくら才能や能力があっても、どれだけ努力したとしても、環境や競合他者などの要因があるため、必ず報われるとは限らないということです。
ところで、この競争の環境は、時代や時期によって大きく変化します。
戦後の高度成長期のように経済が上向きで世相が明るい時代には、欲しいものを得られる人の数が増えます。
反対に今のような時代だと、思うようにならず苦しむ人が多くなります。
特に、現代はコロナショックのように、予想もしなかったことが起きる時代です。
今うまくいっているからといって、明日もそうだとは限りません。
1年前に誰が旅行、観光、航空、飲食などの業界の苦境を予想できたでしょうか。
現代は、外側に意識を向けて幸せになるための条件を満たそうとするやり方が、非常にうまくいきにくい時代といえるかもしれません。
さらに、この章の見出しで「必ず不幸」とまで言い切ったのには理由があります。
それは、誰も死から逃れられないからです。
自分の老い、そして、死、愛する者との別離は、決して避けられません。
外側にあるどんなものを手に入れたところで、その苦しみから逃れることはできません。
だから、多くの人はどうすることもできない死の不安を見ないことにして生きています。
ですが、見ないことにしたところで逃げ切れるものではなく、いつか必ず直面する宿命なのです。
3.意識を内側に向けると幸せは自分次第になる
「外側に意識を向けていては心からの安心や幸せを手にすることはできない」という現実に直面するとき、人は意識を内側に向け始めます。
そして、救いはまさにそこにあるのです。
なぜなら、どんな状況であったとしても、幸せかどうかは自分次第でどうとでも決められるからです。
前項の死の不安を例に取りましょう。
人はいつか必ず死ぬという事実は誰にとっても変わりません。
ところが、その受け止め方、対応の仕方は人によって、さまざまに異なります。
例えば、次のような感じです。
「人はいつか死ぬ。だから、一日一日、今日という日を宝物のように大切に生きよう。」
「人はいつか死ぬ。だから、何をやっても意味がない、どうせ死ぬんだから。」
「人はいつか死ぬ。だから、人がどう思うかなど気にせず、悔いを残さないようやりたいことをやろう。」
「人はいつか死ぬ。だから、恐ろしくて生きた心地がしない、死から逃れるすべはないのだから。」
誰でも、毎日確実に一日ずつ死に近づいていて、それがいつかはわからないという事実は変わりません。
しかし、一人一人の内側にある、考え方、意識の向け方、感情の扱い方、行動の仕方など、人生に対する態度=生き方により、まったく異なる人生が現れるのです。
自分の内面の世界における、人生への態度、生き方は、100%自分自身が決めることができます。
ナチス政権下のユダヤ人収容所においてさえ、それは可能でした。
だから、現代の日本においては、内面に意識を向けてよりよい生き方を究めることで、誰でも必ず幸せになれると言ってよいと、私は思います。
4.厳しい状況はチャンスである
多くの人は、親や社会からの刷り込みでその生き方しかないと思い込んでいるのかもしれません。
あるいは、潜在的「外側に意識を向ける生き方」の欠点に薄々気づいていても知らんぷりしています。
大半の人の生き方がそうして生きているので、人と違う生き方を選ぶこと自体がそれなりのリスクを伴うからです。
けれど、厳しい状況はチャンスでもあります。
経済や社会などの環境が厳しくなると、生きること自体が大きな試練になります。
それは死の不安のような当面見ないことにできるものと違い、自分の身の回りに現実として立ちはだかります。
「もうこんな苦しい思いをするのはこりごり」
そんな強い思いが、外側に向いていた意識を内面へと向かわせ、それによって際限のない競争や競争に勝つための無理な努力を終わらせることができます。
ただ、意識を内側に向けさえすればすべてよしというわけではありません。
先ほどの死の不安なら、意識を内に向けるという方法で見ないことにして不安から逃れることさえできてしまいます。
多くの宗教やスピリチュアルでは、人間の本質(霊魂など)は不死であると教えています。
死の恐怖や不安を避けたいあまり、不死を口実に、現実をおろそかにしてしまうことがまさに見ないことです。
信心すれば救われる、思えば叶う、願うだけで引き寄せられる、なども一緒です。
本人はそれで幸せならいいのかもしれませんが、周りはたまったものではないかもしれません。
結局、本当の意味で意識を内側には向けたことになっているかそこが重要です。
どんな状況でも幸か不幸かを自分で選べるのは、同じ事象であってもすべての意味づけは自分がしているからです。
外側の現実を作っているのは100%自分の責任であると認め切るという言い方もできるでしょう。
本当に認められた時、人は自分の意識の内側で感じていることを、自分の外側で目にすることになります。
人生とは、そのような内外一致に向かう旅路といえるかもしれません。
5.まとめ
外側に意識を向け続けて、その動きに翻弄されているだけでは幸せにはなれません。
かといって、内に引きこもって都合のいいことを信じているだけでも同様です。
外側のどんな事象も自分の意識を反映したものと捉えて、自分の内側の考え方、そして、あり方を修正していくことが大切です。
それができた時、自分の心と現実に矛盾なく、ブレずに幸せな状態でいることができるのです。
以上