・何もやる気がせず、以前より横になったり休む時間が増えた
・何かやろうとしてもすぐに疲れる
・体が思うように動かない
こんな自分に無価値感を感じて、しんどくなっていませんか?
私自身も数年前のある時期、そんな状態を体験をしました。
毎日何もやる気がしなくて、なんとなくしんどい。昔のように用事をガンガンこなせなくて、少し用事をするとすぐに疲れる。
『こんな自分って何の価値もないんじゃないか…』
そんな風に無価値感を感じて、自分で自分のことをどう扱ったらよいのかわからず戸惑っていました。
けれど、しばらくその状態と根気強く付き合い続けたことで、あるとき抜け出すことができました。
もし今あなたが、何もやる気がしなくて自分に無価値感を感じてつらかったとしても、きっと大丈夫。
私と同じように抜け出せるとき必ずやってきます。
このコラムでは、やる気がしない自分に無価値観を感じていた私がどんなふうにその状態を抜け出して元気を取り戻していったのか。
その体験をお伝えして行きたいと思います。
体と心からのSOS
私が「何もやる気が起きない」状態になったきっかけは、仕事で自分のキャパ以上に頑張り過ぎてしまったことでした。
と言っても、もともとは自分でやりたくて始めた仕事だったので、「やるならちゃんと結果をだしたい!」と常々思っていました。
子育てと家事の傍らバランスととってやっていくのはなかなか難しかったけれど、始めた当初は順調で楽しく充実していました。
けれど、少しずつ少しずつ何かが空回り、始めてから3年経った頃には思うようにうまくいかない状態に陥っていました。
当時の私は、理想が高く完璧主義なところがあり、何かをやり出したら全力投球してしまうタイプ。
すごく疲れていたとしても、それを無視してでも何とかして結果を出そうと無理を重ねていました。
ちょうどその頃、たまたま市のある検診を受けた結果が届きました。
そこには考えもしなかった悪い検査結果通知が書かれていました。
そのことが、頑張っても頑張っても思うような結果が出せていたかった私の何かをダメ押ししました。
『ああもうダメだ。これ以上頑張れない…』
今までずっと張り詰めていたと気持ちが振り切れ、体の力どんどん抜けていきました。そして
『さんざん頑張ってやってきた結果がコレなのか…』
そう思うと、言葉に言い表せない気持ちと涙が溢れてきました。
後日、改めて再検査を受けに病院へ。
担当してくれた先生も検診結果で通知された病名の見立てで間違い無いだろうとのことでした。
この時初めて、今まで自分にどれだけ無理をさせてきたのかに気づき、ただただ後悔だけが出てきました。
自分を頑張らせすぎた結果、心も体も悲鳴をあげ、それが目の前の現実となって現れたのだとその時は思っていました。
予想外の検査結果
再検査の通知は1週間後でした。
今までの後悔ばかりが頭を巡り、その1週間はほとんど毎日泣通し。
最初のうちは本当に最悪な結果のことしか考えられず、不安でつらくて涙が止まりませんでした。
でも毎日泣いていると、だんだんなんだか「仕方がないか」と開き直るようになってきました。(もちろん、怖くないわけではなく。)
でも、『結果は変えようがないから、どんな結果も前向きに受け止めるしかない。』そう腹を括るような気持ちになってきたのです。
しかし、当日病院でわたしを待っていたのは、予想外の検査結果でした。
当初先生から伝えられていた見立て通りの「重度」ではなく、「軽度」という結果。
これには、担当の先生も「あれだけ検査してみたから間違いないと思ったんやけどね、、、」と、不思議そうに首を傾げていました。
私はというと、まるで狐につままれたようでした。
でも、とにかくとにかく本当にホッとしたのを覚えています。
そして、『神様がやり直すチャンスをもしかしたらくれたのかもしれない。』なんとなく、そんなふうに感じました。
「軽度」という結果ではあったものの、要経過観察が必要とのことで、3ヶ月後にまた検査を受けることになりました。
とにかくこの3ヶ月間は、自分の心と体に負担をかけないよう過ごそうと強く心に決めたのでした。
「何もやる気がしない」日々の幕開け
検査結果を聞いてからしばらくは、心と体の全部から力抜けてしまったように、とにかく何もやる気がせず、体も思うように動かない日々が続きました。
『今まで自分に無理させすぎて、心と体も悲鳴をあげてしまったのだから仕方のないこと。』
頭ではそう考えていました。
けれど、どうしても気持ちがついていきませんでした。
今までならやろうと思ったことはサクサクとこなして行動できていた自分が、こんなにも何もできない。
やる気も起きないし、体も思うように動かない。
最低限の家事はするけれど以前のように頑張れない。
仕方がないとわかっていても湧いてくる無価値感や罪悪感。
こんな気持ちを抱えている自分を自分でどう取り扱っていいのかわからないず、しばらく悶々とすごしていました。
体と心の声を聴く
そんなとき、友人からのある一言がきっかけで、
「自分の体と心の声を聞いてとことん寄り添うしかないんだな。」と思うことがありました。
中途半端に休んで、仕事も家のこともやって…というのではダメなんだと。
悩みましたが、思い切って1年仕事を休んで、じっくり自分の体と心に寄り添って過ごす時間をとることにしました。
具体的に、私がやってみたのは次のようなことです。
とにかく無理をしない
家では必要最低限の家事だけをやるようにして、とにかく無理をしないことを心がけました。
多少散らかってたり、片付けられなかったとしても自分の体調を優先。
料理をするのがしんどい時は、
・主人にやってもらう
・お惣菜ですます
・出前をとる
ということもやってました。
疲れたらすぐ休む
例えば、朝、最低限の家事だけやる→疲れて横になって寝るとか。
とにかく、疲れを感じたらすぐに休むということをよくしていました。
だから、この頃はよく昼寝をしたり、何もせずぼーっとする時間が多かったです。
何もしない自分をオッケーにする
休憩したり、昼寝やゴロゴロする時間が増えた分、そんな自分に無価値観や罪悪感を感じることもよくありました。
そんなもの、できれば感じたくないけど、勝手にでてくるのでどうしようもない。
だから、その気持ちを素直に認めながらも「でも、しょうがないよね。疲れてるんだもんね。」と言い聞かせてました。
気がすすまないことは極力やらない
主に人との付き合いで、極力気の進まないお誘いは断ったり、誰彼構わずお付き合いをするのはやめました。
お誘いを断るのってなかなか勇気がいりましたが、無理に人付き合いをすることもなくなり、結果的にラクになりました。
小さなやりたいこと楽しいことをやる
気が進まないことを極力やらないようにする一方で、日常の中でできそうな小さなやりたいことや楽しいことをやるようにしました。
出かけられそうな日は自分の好きなカフェでお茶したり、散歩に行ったりしていました。あと、家族とちょこちょこ出かける機会が増えました。
自分以外の人を頼る
家事は主人に頼ったり、料理なんかもお願いすることもありました。お惣菜品、出前なども利用することも。
誰かに話を聞いて欲しい時があれば、素直にそのことを伝えてみたりもしました。
完璧主義が強かったので、誰かに頼ったりするのが最初のうちはなかなか辛かったです。
罪悪感がすごく湧きました。
でも、頼ること続けているとだんだん慣れてくるもので「頼ってもいいんだなあ。」とちょっとづつ思えるようになりました。
頼るのも、結局は慣れなのかもしれません。
体と心の声に耳を傾け続けた結果…
3ヶ月後の再検査では無事「異常なし」の結果が出ました。
そして、この頃になるとわりと元気になってきて、「何もやる気がしない」と感じることが随分と減っていたように思います。
「何もやる気がしない」自分の気持ちに寄りそった行動をとり続けたのが、よかったんだと思います。
ただ、元気になるとついつい前のように頑張っていろいろやり過ぎてダウンすることも。
そんな<無理しない⇄頑張る>の間を行ったり来たりしながら、数年かけて自分にとって良いバランス感を身につけていきました。
そのおかげか、今ではすっかり自他ともに認める「ダラ奥」です。(笑)
他にも良い変化はありました。
頑張り過ぎていた頃の私は、常にピリピリしていて子供や夫によく怒っていました。
だからか、家の中の空気はどこかいつも緊張感が。
それが、私が無理することがなくなったことで怒る回数が激減。
結果、和やかな空気が流れることが多くなり、子供との関係性、夫婦仲がぐんっとよくなりました。
まとめ
もし今あなたが、何もやる気がしない自分に無価値感を感じてつらいなら、まず、そのことを素直に受け止めることからはじめてみませんか。
もしかすると今の状態は、ラクな自分へと変わるために神様がくれたチャンスなのかもしれません。
そう思って、自分のためにできることからやってみましょう。
もちろん、少しずつで大丈夫。無理する必要はありません。
私もできることから少しずつ始めて今があります。
やり始めると気持ちが葛藤したり、なかなか変わらない状態にめげてしまう時もあるかもしれません。
そんなときはまた休んで、進もうと思えたらまた進んでください。
あなたのペースでゆっくりゆっくり進んでいけばいいんです。
諦めずに進んでいけば、そのうちきっと出口が見えてきます。
もしどうしてもつらくなったら、信頼できる人を頼ってみましょう。
わたしでよければぜひ頼ってみてください。
あなたが元気になってまたいきいきと毎日を過ごしていけるように少しでもお手伝いできればと思います。