小学生の頃、意気揚々と見栄を切ったにも関わらず失敗して同級生に笑われて恥ずかしい経験をしたことは誰しもあるのではないでしょうか。
きっと、今思い出しても恥ずかしい感覚が蘇ってくるでしょう。
もしかすると、大人になった今でも同じような恥ずかしさを感じている人もいるかもしれません。
恥ずかしい思いをしたくない、というのは誰しも持っているでしょうが、それがあまりに強すぎてしまうと、失敗を恐れて一切チャレンジしなくなってしまいます。
そんな恥ずかしい思いをした時に、気持ちを切り変えて次にチャレンジするためにはどうすればよかったのでしょうか?
今回は、小学生の頃クラスメイトの前で失敗した私の経験を例に恥ずかしさを克服する方法をご紹介します。
1.小学生の私がクラスメイトの前で失敗した時に恥ずかしさを感じた3つの理由
最初に小学生だった私が恥ずかしいと感じた出来事を通して、人がどうして恥ずかしさを感じるのか、3つの理由をご紹介します。
①失敗したから恥ずかしさを感じる訳ではない
幼い頃の私は運動が特に苦手でした。
そのため、体育の授業でかけっこをするといつもビリなので恥ずかしい思いをしていました。
そんな時、運動が苦手なんだから別にビリでも気にしなくていいんじゃない? と多くの人は思うのではないでしょうか。
ですが、その当時の私は足が遅いにも関わらず、自分は速く走れるという自負がありました。
そうなると、ビリという結果がとても受け入れられるものではありませんでした。
このように、思い描いている理想に対して結果が納得行かなかった時に人は恥ずかしさを感じます。
先日、平昌オリンピックがありましたが、実力を出し切ったけれど羽生選手に負けてしまったフィギュアスケートの宇野昌磨選手らは堂々とした表情をしていました。
それとは対照的に、強風により実力を発揮できず負けてしまったスキーの選手等はとても申し訳なさそうな表情をしていました。
また、金メダルを獲得したスピードスケートの小平奈緒選手はオリンピック前の大会で優勝したにも関わらず、思うような結果ではなかったと悔しさを滲ませていました。
悔しさと恥ずかしさでは少しニュアンスが違うかもしれませんが、後悔して自分を責めている点ではどちらも同じです。
つまりは結果に納得できなければ失敗していようが成功していようが人は恥ずかしさを感じてしまうのです。
②同じ場面でも恥ずかしさを感じる時と感じない時の違い
先程、かけっこの時にビリなので恥ずかしい思いをしていたと話しましたが、実はクラスメイトの前で失敗した場面であっても恥ずかしいと感じたり、恥ずかしいと感じなかったりする事がありました。
例えば、足の速い人と当たって、クラスメイトは先にゴールしているのに自分だけ遅れて走ったりして圧倒的な差で負けた場合はとても恥ずかしく感じていました。
ですが、足の遅い人と当たって、接戦になり僅差で負けた場合はあまり恥ずかしく感じませんでした。
どうしてこのような差が生まれるのでしょうか?
それは、恥ずかしいと感じるかどうかの基準が相対的な評価の中にあるためです。
自分が周りと同じぐらいのレベルであれば心に余裕があるため負けても恥ずかしくありませんが、周りよりも劣っていれば危機感を感じるため負けた時に恥ずかしさが感じやすくなります。
実際、鉄棒の逆上がりや水泳のクロールもできなかったのですが、私以外にも鉄棒や水泳ができないクラスメイトがいたため、できなくてもあまり気になりませんでした。
クラスメイトの前で失敗した時に人が恥ずかしさを感じるかどうかは実にいい加減なのです。
③幼い頃に両親から否定された経験が恥ずかしさを生み出す
私がかけっこで思うような結果を残せなくて恥ずかしい思いをしていたとき、私はクラスメイト全員が私の事をバカにしていると感じていました。
クラスメイトがひそひそ話で誰かと喋っている時に、自分の事をうわさしているんじゃないか、って勝手に悪い方向へ想像を膨らました事は誰しも身に覚えがあるのではないでしょうか。
あの感覚です。
改めて振り返っても被害妄想でしかなかったと言えます。
では、なぜ被害妄想が起こるのでしょうか?
それは、幼い頃に両親に否定されたり、怒鳴られたりした事に起因しています。
自力で生活ができない幼い子供にとって、両親に拒絶される事は死を意味します。
そのため、二度と同じ事が起きないよう必死になるのは当然とも言えます。
ですが、それが逆効果となり、些細な出来事であっても身体が身を守ろうと過敏に反応するため被害妄想が起きるのです。
その結果、本来ならどうってことない事でも平然としていられなくて恥ずかしさを感じるのです。
2.小学生の私がクラスメイトの前で失敗した恥ずかしさを乗り越えるためにどうすれば良かったのか?
ここからは、先程の事例を基に恥ずかしさを乗り越えるための方法を3つご紹介します。
①恥ずかしさに慣れる
人は必死に恥ずかしさを避けようとします。
恥ずかしさを恐れて避けようとするからこそ、自分の中で勝手に太刀打ちできないものと誤認してしまうのです。
ですが、実際に恥ずかしさを感じたとしても人は死にません。
精神的なダメージを受けて、もう人生が終わったと感じてしまう事もあるかもしれませんが、それもたった一時だけで一生続く訳ではないため案外大した事ありません。
例えるなら注射と同じです。
最初は針が刺さる恐怖、針が皮膚を貫通した時の痛み、血が流れ出る様子から幼い頃は泣いてしまう事も多かったと思いますが、次第に慣れていくと平気になります。
実際、注射の痛みって大した事ありません。
転んでひざを擦りむいてヒリヒリする痛みだったり、食べ過ぎ等で腹痛を感じている時や風邪を引いて高熱でうなされている時の方がよっぽど痛いです。
ちょっとした痛みなのに恐怖があるために何百倍にも感じてしまうのです。
恥ずかしさについても同じように何度も経験して慣れて行けば平気になります。
まずは、恥ずかしさを少しずつ感じるところから慣らしていきましょう。
②あなたが恥ずかしい経験をした事は誰も覚えていない
恥ずかしさを感じる裏には自分が否定されているという被害妄想が関連していると話しました。
ですが、思い返してみて下さい。
あなたは、友人や周りの人が恥ずかしい経験をしたことを覚えていますか?
おそらく、ほとんどの人がノーと答えるのではないでしょうか。
どうしてこのような事が起こるのかというと、感情がある事によってより強く記憶に刻まれるためです。
例えば、学校の勉強が苦手に感じる人は多いと思います。
その理由は、勉強に興味がない、つまり勉強しても「楽しい」「面白い」等の感情が沸かないです。
逆に、スポーツや音楽やゲーム等自分の趣味に関しては難なく覚えられるのはそこに興味が惹かれるからです。
人が恥ずかしい経験をずっと覚えているのは「悲しい」「悔しい」「怖い」というかなり強烈な感情が記憶に結びついているためです。
それとは対照的に、友人や周りの人は感情が動かないためすぐに忘れてしまいます。
つまり、誰もあなたの恥ずかしい経験なんて覚えていないのに、あなただけがずっと根に持っているのです。
それって無意味じゃありませんか?
そもそも、あなたが罰を受ける事を誰も望んでないのですから、勇気を出して一歩踏み出しましょう。
③恥ずかしさを感じる事で得ているメリットに気付く
恥ずかしさを手放そうと思ってもなかなか手放せない人は多いかもしれません。
恥ずかしさを手放せない、という事は言い換えると恥ずかしさをずっと感じ続けていたいという言い換える事ができます。
つまり、恥ずかしさを感じる事で何かしらのメリットを得ている訳です。
意外に思われるかもしれませんが、あなたが恥ずかしさを感じる事にメリットを感じているからこそ簡単に手放せないのです。
では、あなたが恥ずかしさを感じる事で得られるメリットは何でしょうか?
例えば、私の事例では自分に罰を与える事で失敗した責任を負わせたかったと言えます。
拡大解釈すると、自分の自信を挫く事で自分が批判の矢面に立ったり、これ以上失敗するのを避けたかったと言えるかもしれません。
つまり、恥ずかしさを感じる事よりももっと避けたい事があって、それを見なくて済むように恥ずかしさを隠れ蓑にしていた訳です。
恥ずかしさを感じる事で得られるメリットが分かったら、次にその考えは間違っているかもしれないと疑ったり逆の視点から捉えてみましょう。
先程の事例で考えてみると、
「責任を負わせる」⇒「諦めるための言い訳でしかない」
「批判の矢面に立つのが嫌」⇒「いつまでも責任逃れをする」
「これ以上の失敗は避けたい」⇒「チャレンジしなかったら一生後悔する」
等が挙げられます。
逆の視点から捉えたり疑ったりする事で、恥ずかしさに固執し続ける事がばからしく見えてきます。
そうなれば、恥ずかしさも気にならなくなり、自然と手放せるようになります。
3.まとめ
ここまで、私が恥ずかしさを感じた経験を基に、人が恥ずかしさを感じる理由とそれを乗り越える方法をご紹介してきました。
結局のところ、恥ずかしさを感じるのは失敗したからでもなく、他人に否定されたからでもなく、自分が許せないからだと言えます。
つまり、一人芝居をして自分の首を絞めている訳です。
過去の経験がそうさせるのでしょうが、これほど無意味な事はありません。
是非、恥ずかしさを乗り越えて、自分らしく楽しい人生を歩みましょう。