はじめに《日本でも国際バカロレア認定校を増やしていく方針》
世界における国際バカロレア認定校は140以上の国・地域で4,846校に上ります。(平成29年6月1日現在)
そのうち、日本での認定校の数は46校(一部導入校も含む)です。
日本政府は2020年までに国際バカロレア認定校を200校にするという方針を発表したようです。
文部科学省のホームページを見ると国際バカロレアについて以下の説明がありました。
「国際バカロレア機構(本部ジュネーブ)が提供する国際的な教育プログラム。
国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)は、1968年、チャレンジに満ちた総合的な教育プログラムとして、世界の複雑さを理解して、そのことに対処できる生徒を育成し、生徒に対し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせるとともに、国際的に通用する大学入学資格(国際バカロレア資格)を与え、大学進学へのルートを確保することを目的として設置。
現在、認定校に対する共通カリキュラムの作成や、世界共通の国際バカロレア試験、国際バカロレア資格の授与等を実施。」
世界でも広まりつつある国際バカロレアの教育プログラムを日本にも導入して国際的全人教育を行っていく方針のようです。
今回は国際バカロレアプログラムの一つであるTOK(Theory of Knowledge 知の理論)という科目で生徒達が何をどのように学んでいるかお伝えします。
1. 日本の感想文とTOKの違い
TOKは論理的思考力、批判的精神、コミュニケーション能力などを養うための授業です。
TOKの授業では宗教、性別、人種などの問題にガツガツ入っていきます。
最初にそう聞いた時、私はちょっと驚きました。
こうした問題は取り扱いがとても難しいので学校ではむしろ避けられる話題だと思ったのです。
しかし、TOKではRLS(Real Life Situation)という実際に起こった問題について生徒達がディベート、発表、エッセイにしていきます。
そうすることで基本的な能力(情報の探し方、処理の仕方、評価の仕方やプレゼンテーション能力等)を磨いていくのです。
ディベート、発表、エッセイは全て生徒達が考えて行い、作成します。
実際にあった繊細な問題を扱うのでTOKは特別な訓練と資格を持った先生が指導し、生徒達が自らの責任で課題をこなせるようにサポートします。
では、いますぐ日本の学校でTOKのような授業をしようとするとどうなるでしょうか?
日本人は評価するということをあまりしません。
物事をそのまま受け入れる傾向にあります。
そのため、今の日本でTOKのような授業をしても感想文止まりになってしまいます。
しかも感想文の書き方もきちんと習いません。
感想だから何でもいいと言われてしまうのです。
例えば、ある本を読んで感想文を書くとします。
「この本は面白くなかった。なぜなら○○の理由で面白くないと思ったからだ。」
基本的には感想なら何でもいいので、この程度でも点数は取れてしまいます。
しかし、TOKでは何故自分が面白くなかったのかを理解しているのは前提で、何故自分がその感想を持ったのかを社会的、心理的、経済的、文化的、歴史的視点等から細かく分析していくのです。
2. 『絶対に笑ってはいけない24時』をTOKで分析したら
大晦日恒例のダウンタウンの人気お笑い番組『絶対に笑ってはいけない24時』(日本テレビ系列)をご存知でしょうか?
私も大好きな番組で子供達と毎年楽しみに観ています。
2017年の番組の設定が「警察署」だったのですが、番組の冒頭でダウンタウンの浜ちゃんがビバリーヒルズコップのエディ・マーフィーに扮して登場するシーンがありました。
黒人姿の浜ちゃんに笑った人も多かったと思います。
日本式にこのシーンの感想文を書くとしたら以下のようになるかもしれません。
「ダウンタウンの松ちゃんと他の出演者が日本の警察官の姿をして登場したのに対し、最後にビバリーヒルズコップのエディ・マーフィーの格好をして登場した浜ちゃんの黒人姿はとても意外で思わず笑ってしまった。その後の出演者のやりとりも滑稽だったので、さらに爆笑を誘った。」
では、これをTOKで分析したらどうなるでしょうか?
実際にTOKの授業を受けている長女に手伝ってもらいました。
彼女はこのシーンを見た時にこう思ったそうです。
「このシーンは日本のお笑い界のコンテクストからしたら何も問題がないので日本人として面白いと思った自分と、海外で育ったことで『黒人をネタにしたこのシーンは海外では良い評価はされないな』と直感的に思った自分が同時に存在した。」
自分の中に2つに対立する意見が存在したことで、このシーンはTOKで分析する価値があると思ったそうです。
これが彼女の基本的立場だとすると、TOKではこの立場を確立した後にこの番組をどのように知ったのかを考えます。
TOKでは人が知識を得るには8つのWays of Knowing(知るための方法)があるとしています。
8つの知るための方法とは言語、知覚、感情、理性、想像、信仰、直観、記憶です。
長女がそのシーンを観た時の状況をWays of Knowingに当てはめてみると以下のようになります。
この番組を観たのは日本のテレビです(言語)
その時、テレビの中の観客の笑い声や一緒に観ている家族の笑い声を聞きました(知覚)
だから自分も最初は面白いと思って笑いました(感情)
そして同時に「海外では良い評価はされないだろうな」と思いました(直観)
その後、そのシーンについて日本に住むアメリカ人が批判している記事を読みました。
そこで、テレビや記事にどういうバイアスが入っているかを考えます。
記事を書いた人のことは知りませんが、日本に何年か住んでいるアメリカ人なので日本の全てを否定しているわけではないことが分かります。
そこで次に「この人の意見は信頼できるのか?」「社会重要性があるのか?」を考えます。
もしかしたらこの人だけの意見かもしれません。
しかし、後から更に調べるとこのシーンは海外で結構大きなニュースになっていたことが分かりました。
ここまでいくと浜ちゃんのブラックフェイスに対して「良くない」というバイアスがることが分かります。
もし浜ちゃんが白人のマネをしていたら何も言われなかったと思います。
実際に、芸人の渡辺直美はビヨンセのマネをしても批判されていません(むしろ、海外でも大ウケです)。
なぜでしょうか?
ここから更にArea of Knowledge(知識の領域)を使って分析していきます。
Area of Knowledgeにも8つの分野(数学、自然科学、人間科学、芸術、歴史、倫理、宗教的知識の 体系、土着の知識の体系)があります。
その中の歴史と人間科学の視点からこの問題を分析すると以下のような結論が導き出されます。
「黒人に対する差別的な歴史があるからこういうことをやってはいけないと思う人がいる、又は、不快に感じる人がいる。
それは、黒人差別をなくそうという社会的な動きの強さを表している。
つまりこの問題は、人種差別全般や民族差別の問題というよりも黒人差別の問題である。」
渡辺直美のビヨンセの例もそうですが、他にも、ユダヤ人のスティーブ・ジョブズのマネをしても批判はされません。
白人であることで人種差別をされた歴史がないので誰もマネをしてはいけないと思わないし、不快に感じる人もいないのです。
また、多くの人達の中でユダヤ人迫害の歴史は遠い過去の出来事になっていますし、スティーブ・ジョブズのように成功しているユダヤ人は多いので彼のマネをしても民族差別とは思いません。
TOKではここから更に「差別に関する知識はある人種・民族に対するバイアスになる」という仮説を立てて一般化します。
これに対し別のRLSから支持と反論を一つずつ出します。
ここで初めて最終結論(仮説が正しい、間違っている、どちらとも言えない)が出ます。
しかし、TOKはここで終わりではないのです。
3. 自分の意見に社会的意味を持たせる
生徒達は自分が行った分析についてSuggestions for future research(自分又は他人がこの続きをするとしたらどうするかの提案)を書きます。
例えば、このような感じです。
社会学的視点から分析したらどうなるか?
他の国ではどう捉えられるか?
年齢別に分析したらどうなるか?
サイエンスとして進化論的に見たらどうなるか?
・・・など。
こうした提案をすることで、自分のエッセイに社会的意味を持たせるのです。
そして、分析に使った資料を全て掲載することで、それを見た人が研究したくなるのです。
お気づきになった方もいると思いますが、これは大学教授が論文や本を書く時に使っている方法と同じです。
つまり、それと同じことを国際バカロレア認定校では高校のうちから学ぶことですぐに社会で通用するフォーマットを身につけるのです。
そうやって、生徒達は自分の意見に社会的意味と責任を持つことを学んでいきます。
更にこの後、生徒達はReflection(反省文)を書きます。
いわゆるこれが日本でいうところの感想文です。
「大量の資料を読まなければならなくて大変だった」
「情報収集に苦労した」
「黒人差別の根深さを知った」
など、ここまでやってやっと感想文は意味を持つのです。
日本の学校では理系・文系というくくりで分けていますが、TOKにはそうした区分けがありません。
分析に必要であればどんなことでも調べて勉強します。
教科を超えて知識として学問に向き合うのがTOKなのです。
上記しましたが、日本でも国際バカロレア(IB)認定校が増えていく方向にあります。
そうなるとIBを受ける生徒も増えていきます。
IBのディプロマを持っていると世界の大学でも通用しますし、日本でもIBが考慮される大学が増えていますので受験に有利になっていきます。
つまり、普通の高校で文系・理系に分かれて教育を受けた生徒とIBを受けた生徒との間で教養とGlobal Mindedness(国際的視野)の差が大きくなることで新たな受験戦争を生み出す可能性があるのです。
国際バカロレアプログラムは世界で通用する自立した人を育てる教育プログラムであり、競争を生み出すためのものではありません。
余計な格差が生まれないようにするためも、そして日本の教育水準を世界レベルにするためにも一日も早く多くの学校に国際バカロレアプログラムを導入をして欲しいと思います。
おわりに《生徒は教師より優秀という前提》
しかし、実際に政府が掲げている2020年までに国際バカロレア認定校を200校にするという目標には無理があります。
その志はとても良いのですが、国際バカロレアの導入にはIBを教えられる教師を外国から呼ぶか、又は、国内の先生を教育していく必要があります。
前者は資金が必要ですし、後者は2020年までに目標を達成するには時間が足りません。
しかも日本の教育には古い観念も根づいていて導入がスムーズに進まない可能性もあります。
日本人には「先生は何でも知っていて、生徒は無知」という考えを持っている人が多いかもしれません。
全てが間違っているとは言いませんが、新しい教育プログラムを入れる場合、特に国際バカロレアの導入にはこの考え方を手放していく必要があるかもしれません。
長女が参加した教育関係のワークショップで、ある日本の教育者がこう言っていたそうです。
「子供は空のバケツのようなもので教師がそこに知識を詰め込む、というのが従来の考え方である。これは、子供には予め何も備わっておらず、大人の力を借りて知識を養わなければいけないという観念的なアプローチ。
これに対して、子供は既に芽の出た植物であり、そこに適切な光や水を与えサポートするのが教師の役目であるとするのが新しい考え方。」
つまり、子供達にはもともと素晴らしい才能が備わっていて、教師はバケツの中身(子供の才能)が育つように手伝うだけということです。
それが、現在の日本の教育ではわざわざバケツの中身をすっかり取り出して、代わりに必要のないものを詰め込んでしまう傾向があります。
人類は子供が親を超えることで成長してきました。
それは子供達が親や先生達より既に優秀に生まれてきているということです。
IBを教えるためには、そのことを理解して適切に指導できる教師の存在が必要不可欠です。
更にIBはシステムの完成度の高さで教師の劣っている部分をカバーすることができます。
つまり自分よりも優れている生徒に対しても教師は質の高い教育を提供することができるのです。
教師ができることはソース(優れた教材と理想的な学習環境)を用意することと、生徒を信頼して成長を邪魔しないということです。
日本はCollectivist Society(集団主義社会)といって和と団結が重視されます。
そのため日本人は自分一人のためというより、家族、仲間、社会、日本のために行動する共感力の高い人が多いのです。
そんな日本の子供達がTOKを身につけたら、近い将来、現実をより良く変えるような論理を作れる人が現れるかもしれません。
世界のために行動できる自立した人材を育てていけるように皆さんと協力していけたら幸いです。