子供の頃は勉強がわりとできて、どちらかと言えば優等生タイプ。
人並みに反抗期はあったけど、親との関係も悪くなく、それなりの学校に進み、世間にそこそこ名の知られた会社に就職した。
夫とは共通の友人の紹介で知り合い、何年かの付き合いののち結婚、子供にも恵まれた。
現在は共働きで、仕事にもまぁまぁやりがいを感じている。
おかげで平均より世帯年収は高く、長期ローンで都内にマンションも購入した。
いつか思い描いたとおりの人生であり、自分はいわゆる「勝ち組」なのかとも思う。
けれど、「自分は幸せなのか?」
この問いに自信を持って「YES!」と答えられない自分がいる。
むしろ、最近はいろんなことに興味や意欲が湧かず、「人生に疲れているのかも」と感じている。
もやっとした見えない檻に囚われているようで、なんとか現状を変えたいけど、どうしていいかわからない。
いや、そもそも変わる必要ってあるの?
人生、うまくいってるはずじゃなかったの?
なんでこんなことに!?
そんなあなたが、上手に人生のリスタートを切る方法についてまとめてみました。
1.日頃感じている正体不明の焦りについて
日頃こんなことを感じてはいませんか?
- 大きな不満はない。けれど、大きな喜びもない
- 感じているモヤモヤの正体がわからずもどかしい
- 今までも自分なりにいいと言われることはやってきた。でも、どれも一時しのぎだった
- 急にいろんなことがうわぁっと押し寄せてくるように感じて、嫌になることがある
- 何をどうしたら、幸せいっぱいと感じられるんだろう?
- 職場の同僚や友人など周囲に調子を合わせているけど、本心ではそれほど楽しめない
- このままではよくないことは分かるけど、何をどうしていいかわからず、気ばかり焦る
あなたは、雑誌やネットの情報など、世の中で正解と言われることをそのとおりに、うまくやってきたかもしれません。
気分転換やストレス発散が大事といわれれば、ヨガを習いに行ったり、アロマの講座を受けたり。
気の合う友達と食べ歩きにハマった時期もあったし、ファッションやメイクなど、いわゆる自分磨きに精を出し、自分を好きになろうと努力したことも。
または、年に一度、家族や友人と海外旅行に出かければ、それなりにリフレッシュもできたでしょう。
でも、日常に戻って、職場と家庭の往復に戻った途端、やらないといけないことが押し寄せてきて、すぐに元の黙阿弥、一カ月どころか一週間ももたない。。
一つはっきり言えるのは、これじゃ同じことの繰り返しで、なんの解決にもならないことがよくわかった、ということではないでしょうか。
このままずっと同じ調子で歳を取っていくとしたら、それこそ「なんのために生きているのかわからない」という気持ちになるのも無理のないところです。
なんでもがんばってやってきたけど、この頃は「なんか疲れてしまって」、気力や体力が湧かない。
まだまだ若いと思いつつ、歳のせいかもという思いも禁じ得ないかもしれません。
でも、安心してください。歳のせいでもなんでもありませんので。
このような思いや感じ方には、ちゃんとした原因があります。
2.原因と背景
(1)人生を他人に委ねているのが原因
大きな不満もない代わりに、喜びもなく、なんのために生きてるのか意味が見出せず、人生に疲れてしまう。
その原因は、ずばり、「自分の人生を生きていない」からです。
自分の人生は自分にしか生きられないじゃないかって?
もちろんです。
言い換えるなら、自分のためじゃなく、「他人のために」人生を生きてきたツケが回ってきたってことです。
もちろん、あなたを責めているのではありません。
むしろとてもよくやってきたと思います。
でも、自分のためじゃないのでエネルギー供給の源につながれず、頑張りすぎてエネルギーが枯渇してしまったんです。
では、どうして他人のために生きる羽目になってしまったのか、その背景を見ておきましょう。
(2)親の期待という重荷
一番目は親の期待です。親は子供のためと言いながら、自分ができなかったこをと代わりに子供によく押し付けるものです。
すると、子供は自分ではなく、親がやりたかったこと、親が考える理想の人生を生きることになってしまいます。
たとえば、学歴がなくコンプレックスを抱いている親は「◯◯ちゃんには自分と同じ苦労をさせたくない」などと、子供の気持ちにはおかまいなく、一流大学を目指させるようなことです。
反対に、一見自由にさせているようで、親自身に余裕がなく、子供に愛情を注げていないこともあるでしょう。この場合、子供は強制されるわけではないけど、親の関心を惹こうとやっぱり自分の思いに蓋をしてしまいます。
(3)社会通念の檻
次に、社会通念に人生を縛られている人も多く見かけます。社会常識みたいなもので、こうなったら幸せに違いないという一種の共同幻想です。
典型的には、いい大学を出て、いい会社に入り、いい相手とめぐりあって結婚し、子供が生まれてマイホームを購入、老後は悠々自適、だったらいいなといった人生プランです。
みんなと一緒でいることで安心するという集団心理を、戦後の大量消費社会をリードした企業や、文句を言わずにおとなしく統治されて欲しいという支配体制側が利用したという見方もできるでしょう。
この場合、自分の人生ではなく、社会が理想と考える人生を生きることになってしまうことはもうお分かりでしょう。
(4)自縄自縛というワナ
最後は、自分で自分を縛っているケースです。たとえば、「処世術としての優等生」とでも言うべきものです。
子供にとっては、劣等生よりも優等生の方が、明らかに生きやすいんです。
親から怒られることも少ないですし、先生からも大切にしてもらえる可能性が高まります。
同級生からも一目置かれますし、いじめの対象にもなりにくいでしょう。もちろんそれがすべてとは言いませんが。
ただ、この優等生という立ち位置は、いつしかアイデンティティとして自分自身と同化してしまいがちです。
つまり、何をするにも優等生としての自分というフィルターをとおして、人生を選択するということです。
このアイデンティティは子供時代に限らず、大人になって社会に出ても受け継がれます。
厄介なのは、それが自分自身と思っているので、実は自分を縛っている檻のようなものとはなかなか気づけないことです。
3.自分の人生を生きる方法
ここまで「幸せなはずなのに幸せを感じられない」原因である「人生を他人に委ねていること」とその背景を見てきました。
では、40代の今、自分の人生を生き直すことはむずかしいのでしょうか?
わたしはそうは思いません。
しかし、ここまでそこそこうまくやってきて、それなりに快適な環境を手に入れてしまったあなたが、そこから飛び出すのは、一朝一夕にはいかないのも事実です。
人生をリスタートし、自分の人生を生きる方法を見ていきましょう。
(1)本当にリスタートしたい?
人生のリスタートは、今手に入れているものを一旦手放すことです。はっきり言って、それほど簡単ではありません。
どうしてもそれをしたいという強い意志が必要です。
もし自分の中からその気持ちが湧いてこないなら、今のままの人生を改めて選択し直すのが賢明かもしれません。
それでも主体的に選び取るのなら、ここまで考えてみた価値は十分にあると言えます。
本当にリスタートするかどうかを自分に問いかけるには、人生を逆算してみる方法が有効です。
このまま人生が変わらなかったとしたら、どんな最後を迎えるか想像してみるのです。
そして、外国のお墓みたいに自分のお墓になんと刻まれるか、墓碑銘を考えてみます。
自分のお墓にどのように刻まれて、のちの人々にどう記憶されたいかということです。
たとえば、こんなのだったらどうでしょう?
「自分で自分の思いに蓋をし、人生の最後まで役割に忠実で、自分の本質を表現しなかった女、ここに眠る」
ちょっと辛辣だったかもしれません。
でも、外から見たら同じような生き方でも、本人の捉え方はまったく異なるかもしれません。当然、墓碑銘も変わるでしょう。
要するに、人生の選択は自分がどうしたいかであって、自分の人生を選択できるのはこの世で自分しかいないということです。
どうしてもリスタートを切りたい気持ちになったら、次に進んでください。
(2)リスタートの準備
今手に入れているものを握りしめたままでは、新しいものを掴み取ることはできません。
新しい自分から見て必要のないものを手放す必要があります。いわば、人生の断捨離です。
時間とスペース、それに伴いお金にも余裕が生まれることでしょう。
人との付き合い、身の回りのもの、今は合わなくなった考え方、どんどん手放していきましょう。
ものを捨てるというのが代表的ですが、そればかりとは限りません。
やらなくていいことをやめるという方向性でも考えましょう。
恒例になっている友人とのお茶を愚痴ばかりで非生産的と感じているなら、思い切ってやめましょう。
なんとなく忖度して付き合い残業しているなら、それも必要ないかもしれませんね。
軋轢や摩擦に対する恐れは出るでしょうが、なんせ人生を再スタートするわけなので、まったく抵抗なしにというわけにはいきません。
何かを手放すという行為は、信頼の証です。新しいものが入ってくることへの信頼、自分の手元から解き放たれたものが新しい場所で生かされることへの信頼。
手放すことで、自分が自分を信頼しているということが、潜在意識に浸透していくのです。
(3)新しいことを始める
そうやって、空いた時間やスペースに、今自分が興味あること、前からやってみたかったことなどを入れてみましょう。
その先どうつながるのか、果たして意味があるのか、などと頭でごちゃごちゃ考えることはやめて。
手放すことをつうじて、エネルギーの流れが生まれ、自分の心が軽くなっているはずです。
その心の命ずるままに動いてみるとよいでしょう。
今の延長線上で考えるのは、ちっぽけな人間の浅知恵というものです。
自分自身が成長するかもしれないし、人との出会いが新たな展開を生むかもしれない。
天の采配は人知を超えて精妙にいつも完璧に働いています。
(4)環境を変える
人間は環境の動物と言われます。新しいことを始めて、流れが見えてきたら、環境を変えることを視野に入れましょう。
具体的には、引越しや転職などです。
無理することはありません。部屋の模様替えや部署異動の希望を出すことでもいいんです。
できることから始めましょう。
自分の中にある自分だけの価値観、この軸にしたがって生きることを続けていけば、いつか他人の人生を生きることからおさらばしている自分に気づけるでしょう。
4.原因の原因
上記の内容は、ちょっとした気分転換程度の対処法(それはそれで有効ですが)に比べると、かなり本質的なものだと言えます。
しかし、十分ではありません。なぜなら原因のさらに原因があり、それを扱わない限り、繰り返し同じことが起きるからです。
つまり、「人はなぜ自分の人生を他人に委ねるのか」という問いかけです。
結論から言うと、自分に自信がないからです。
人は誰しも、本当は自分が価値ある存在であることを知っています。
これは野生動物を見れば明らかです。
「どうせ獲物なんか取れないし」と自分を卑下するライオンとか、「俺たちはしょせん食べられて終わり」と被害者になるシマウマとか見たことないですよね(笑)
みんな自分のあるがままを受け入れて、力の限り全力で生きている。
思考の力を獲得する前の人間も、きっとそうだったのではないでしょうか。
ところが、いろんな理由で、自分が価値あることを認められないから、自分以外のところにその根拠を求めてしまう。
他人の評価であるとか、安全や安心であるとか、効率であるとか、つまり、より快適で幸せな生き方についての正解を。
しかし、それは決して外からは得られないことは、賢明な読者であればお分かりでしょう。
だから、「幸せなはずなのに幸せを感じられない」ということが起きるのです。
そして、存在していないものを頑張って探し続けた結果、人生に疲れてしまうのです。
5.根本的解決法
では、原因のそのまた原因に対する有効な対象法はあるのでしょうか?
はい、あります。
それが「悟り」を目指す生き方です。
「悟り」と聞いて、宗教や、ブッダやイエスなど特別な偉人を思い浮かべる人がほとんどでしょう。
自分には縁がないと思うかもしれません。
しかし、本当はすべての人が歩くべき「道」のようなものです。
「目的地」ではなく「道」であり、一生を通じて自分を高めていくことこそ人間が生まれてきた目的なのです。
人生とは生まれ変わりを繰り返しながら、魂を成長させる旅といってもよいでしょう。
「はぁ、そういうものかな」と思った方もいるでしょう。
「自分が思っていたとおりだ!」と我が意を得たりという方もいるでしょう。
しかし、いずれにしてもそれはただの知識です。
自分を成長させるための取り組みを通じて、これらを体得するのが「悟る」、つまり、「わかっている」ということです。
その取り組みを通じて、本質的な意味で「自分は存在しているだけで無限の価値がある」、どんなによくないと思えることでも「すべてのことはそうある理由を持っている。つまり、必要なことしか起きない」と気づいていくのです。
そうすると、安全で安心な人生、人生の目的や自分という人間の価値の根拠といったものを、自分の外側に求める必要はなかったのだとわかります。
最初から自分の内側にすべてがあったのだという、そして、それを失うことはあり得ないという絶対の安心感に至るのです。
6.まとめ
日常の漠然とした「幸せを感じられない」という不満から始まり、「悟り」にまで話が及んでしまいました(笑)
けれど、それは不思議なことでもなんでもなく、すべてが必然のこととして起きるこの世界において、日々感じる不満はあなたの魂から発するサインなのです。
「その方向でいいんですか?こっちが本当にやりたかったことじゃないんですか?」と呼びかけてくれているのです。
それをキャッチするのも、無視するのも、本人の自由に委ねられています。
私たちは、本来、本当に自由な存在です。
何しろ「不自由になる自由」すら持っているのですから。
願わくば、あなたが自由を手にするために、誰もが生まれながらに持っている自由を行使することを祈っています。
以上
*「悟り」についてはこちらの記事も参考にしてください。