礼儀知らずな態度に腹が立つ!どう付き合えばよいでしょうか。

小説を読んでいて、ある場面がきっかけで礼儀って何だろうと思うことがありました。

礼儀知らずな人に腹が立つというのは身近で聞かれる話で、新聞や雑誌、ネットの人生相談でよく取り上げられます。
礼儀とは何か、礼儀知らずな態度を取られると腹が立つのは何故なのか。

腹が立つ根源的な問題とは…。

この記事の目次

きっかけは小説のある場面

天涯孤独な青年はある日突然恋人に別れを告げられ、養い親の家に居ることもできなくなり、お金もない人生のどん底を日雇い労働で食いつなぐ生活をしていました。
ようやくまとまった仕事に就くことができた時、雇い主の老人は、初日に、衣食住にも不自由している青年にぶっきらぼうに声を掛けます。

雇い主:要るものがあったら言え。それから、後で家に来い。顔つなぎに飯を食っていけ。
青年:いいです。申し訳ないです。
雇い主:顔つなぎだ。礼儀を知らないのか。
青年:すみません。
雇い主:必ず来いよ。

この場面では、青年は最初は好意を受け取ることができず礼儀知らずと言われましたが、「すみません」と謝って雇い主の言う通りに食事をしに行きました。
その後、なにくれとなく面倒を見てくれる雇い主との人間関係はこじれることはありませんでした。

私たちの生活では現実問題としては、礼儀知らずな態度を取られて湧き上がってきた感情のもって行き場を失いイライラを募らせることがあります。
怒り、悲しみ、悔しさなど。
これらの気持ちは何故出てくるのでしょうか。

 

礼儀とは

人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。
特に、敬意を表す作法をいいます。

 

礼儀が与える安心安全

「敬意を表す」のは相手を尊んでいるからです。
「尊ぶ」は、本質的には対等な立場で相手を見て、良きところを認め尊重することです。

礼儀とは秩序を維持するための行動様式なので、相手に礼儀を尽くすというのは「私はあなたに敬意を表する安全な人間ですよ」「私は場の秩序を乱さない人ですよ」と知らせていることになります。
同じコミュニティーに属する者として、自分は敵意のない存在であると伝えるツールになります。

逆に言うと、礼儀知らずな行動を取ることは、コミュニティー内を混乱させ、人間関係での安心感を崩してしまいます。

 

日本の文化は感情控えめ

日本の文化は感情表現が控えめです。
感情を露わにし、単刀直入に言うより、オブラートに包んでそれとなく伝える表現を好みます。
つまり、感情表現に乏しく言葉少ない人でも礼儀作法に則って行動するだけで相手に意図が伝わります。
礼儀がコミュニケーションのツールとして機能していて、礼儀をキャッチボールすることでコミュニケーションが成立するのです。

 

腹が立つのはどんな時?

次に、何故腹が立つのかを考えてみましょう。

具体的な例として、仲の良い友達にお祝いを渡したのにお礼の言葉もお返しもない場合を考えてみましょう。

相手に腹が立つのは「相手に期待しているから」というのが悩み相談のよくある答えで、「腹が立たないように相手には期待をしないこと」「期待を手放して」というのが模範的な回答のようです。

図らずも礼儀のキャッチボールを外されと、コミュニケーションを拒絶されたように感じ、悲しくもなり、悔しくもなり、腹も立ちます。

確かに、相手に何も期待しなければ悲しくも悔しくも腹立ちもないでしょう。
でも、期待をするなというのは結構難しい話だと思いませんか。

 

何を期待していますか?

では、お祝いを渡して、何を期待しているのでしょうか。
自分だったら…と当てはめて考えてみてください。
期待しているというのがピンとこなければ、お祝いを渡してどういう対応をしてくれたなら満足かを考えてみましょう。

お祝を贈ったことに対するお礼の言葉があればいいですか。
そのお礼の言葉はどんな言葉でどの程度ですか。
それとも、自分のお祝い事に同等のお祝いをしてもらうことですか。

私なら、お祝いを贈ってから直ぐにお礼の言葉を欲しいと思います。
心のこもった「ありがとう」を言ってもらいたいです。
感謝されたいです。

時間が経っても音沙汰がないと、どうしたのだろう?忘れているのかな?何か気に障ったかな?と不安や疑心暗鬼になり、果ては、どうして何も言ってこないの!と怒りさえ覚えます。

ありがとうと言われても、そっけないありがとうなら自分の行為を無視されたような、軽んじられたような感じがして気分が良くありません。

一方、心理的距離が遠い相手、つまり、自分にとって形だけのお付き合いでよい相手なら、礼儀を尽くした自分が偉いと思い、例え相手の対応に腹を立てたとしても、ああ、あの人はああいう人なのだと理由づけして、自分を相手より上に置いて心を落ち着かせようとします。

要するに、私が納得し、私が満足する対応をしてくれないと、なにがしかの不満とそれが高じて腹が立つという状態になってしまいます。
期待しているもの、それは私自身が満たされることなのです。

 

満たされないのは何故?

見返りは考えず、お祝いしたいから贈ったというとてもシンプルな場合なら相手の反応にイチイチ目くじらを立てることはありません。
お祝いをした自分に満足できるからです。
大好きな芸能人にプレゼントを贈るのと似ていますね。

私の場合、お祝いをするのは、もちろんお祝いしたいというシンプルな部分もありますが、正直なところは、常識的にはこうするのが当たり前、人間関係を壊すのが怖い、私もあなたのことを気にかけていることを分かってもらいたいなどが混じっています。

お祝いを贈ったという自分の行為が相手に受け入れられ、相手に認められるやり取りがあるところに、自分の存在を認められた感がするし、また、相手と同じ価値観で生きていることに安心感を得るだろうと思います。

 

原因は根源的なトラウマ

実は、この世のほとんどすべての人には、バーストラウマとインナーチャイルドという心の傷があります。
生まれてくる前と生後三か月までの間にできる心の傷がバーストラウマ。
その後、大人になるまでにできる心の傷をインナーチャイルドと言います。

バーストラウマによって
自分は生まれてきて良かったのか?
自分は価値のない人間だ というような自己否定が生まれます。

自己否定を内に秘めた子どもが成長過程で、主に親との人間関係でインナーチャイルドが形成され
自分はどうせダメな人間だ
どうせ愛されていない
どうせ必要とされていない といったネガティブな思いを抱きます。

子どもはネガティブな思いを抱えたまま大人になり、自分がここに居てもいいという承認や自分の価値を認めてくれるように誰かに無意識に求め続けます。

だから、自分を認めて受け入れてくれるように感じる態度だと満足し、腹も立たないのです。

反対に、自分が受け入れられていないと感じる態度は、バーストラウマやインナーチャイルドから生まれた自己否定やネガティブな思いを刺激して怒りなどの感情が出てくるのです。

 

まとめ:礼儀知らずとどう付き合うか?

礼儀知らずな人に腹が立つというのは身近で聞かれる話です。
礼儀知らずな人とどう付き合うかの答えは、自分次第、自分のあり方次第です。
付き合ってもいいし、付き合わなくてもどちらでも構いません。

ただ、付き合うのをやめていいと言われて、はい、そうですかとできる人はそうはいません。

付き合わない自分の方が悪くて常識外れな人であるように感じたり、他人から付き合わないことを批判されはしないかと不安を感じたりします。
これがトラウマの仕業です。

トラウマによる、誰かに認められたい、誰かから安心感を得たい想いがある限り、礼儀知らずな態度に今後も感情は揺さぶられるだろうと思います。

揺さぶられないためには、相手が喜ぼうが喜ぶまいが「シンプルにお祝いしたいから」と言える心になるしか方法はありません。
そのためには、自分の存在を否定する根源であるトラウマを癒していくのが近道なのですが、そうでなければ、ジレンマを感じながら自分をなだめすかせ、妥協して付き合うしかないのだと思います。

 

 

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この記事を書いた人

真に人間らしく健康に生きる方法を追求する実践家
カウンセラー/ヒーラー/リーダー/薬剤師

包丁を握りしめた夫婦関係の暗黒時代も「いつの間にか人間関係が楽になる3つのツール」で乗り越えました。
セカンドライフは夫婦円満、好きなことを仕事にして大阪と地方の二拠点生活を送っています。
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