現代ほど、周囲の言葉に惑わされる時代はないのではないでしょうか。「周囲がやるから、私もやる。」という考え方から、「自分から行動しよう!」といった主体的な考え方へ転換し、自らに眠る個性を発揮してみてはいかがでしょう。
はじめに
【青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう】
「青春の詩」サミュエル・ウルマン(1840〜1924)
「青春の詩」は、サミュエル・ウルマン氏が70代に書いた詩のひとつで、日本でも「人生の応援歌」として受容されています。私たちは「青春」という言葉を耳にすると、若き日のことを連想しがちです。
おそらく、10代後半から20代のことをイメージすると思いますが、著者であるウルマン氏は70代でこの言葉を書いています。
この詩に込められた“青春”という時期は、人生のある特定の時期や期間のことを指しているのではなく、心のあり方を説いているといえるでしょう。ウルマン氏の詩を訳した岡田義夫氏(1891〜1968)は、訳中に「優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ」と訳しています。
つまり、青春とは、無限の純粋さを持ち、何事にも熱意と行動力で現況に流されない姿勢を持つことにあるのかもしれません。なにより、先述の「青春の詩」の中にあったように、心の持ち方が重要です。
こうした心持ちは、誰かに言われて実行するものではなく、自分自身で心の中にしっかりとつかんでおくと良いでしょう。そうすれば、“青春”の持つ力が年齢関係なく発揮されるのです。
1、目的を持つ
私たちの人生をジグソーパズルに置き換えてみると、半分まで完成したような状態にあるといえるでしょう。そのまま、パズルを進めて、空いている部分を埋めようとしても、足りないピースは見つからないかもしれません。
その探しているピースは、潜在的エネルギーの発揮によって、見つけやすくなります。具体的な方法としては「目的を明確にしたり、疑問を持ったりすること」です。
それができると、必要な情報が自然に集まってきます。それは自分自身で気付いたり、周囲のサポートしている人々が持ってきてくれたりと様々です。
例えば、これがスポーツ選手やアーティストと呼ばれる芸術家であった場合、何も考えずに練習するだけでは、結果を残すことは難しいでしょう。しかし、置かれた状況において、目的を明確にしたり、疑問を持ったりすることで、意識が高まり、その高まった意識が、人や情報を引き寄せ、足りないピースが揃うことで、結果へと繋がってくるのです。
これまでの人生の経験の中で感じたことのない限界(目標)に挑戦するからこそ、その壁の壊し方や乗り越え方が見えてくるものですが、こうしたことは、年齢に左右されるものではありません。常に挑戦する意志の中に生まれてくるものであって、倒れても、倒されても、何度も、何回も立ち向かっていくことで、これまで以上の人間力(意志力)が生み出されてくることでしょう。
仮に「具体的な目標を持つことができない」と感じていたのであれば、ひとつの仮想イメージを立てることから初めていくといいでしょう。ぼんやりとしたイメージから始め、常にそのものと目をそらせることなく、対峙していくことで、具体的な目標が徐々に見えてくるものです。
「◯◯だから…」「〇〇だったから…」「〇〇だったら…」と、年齢や境遇を気にして、心を暗くするのではなく、目をそらさずに向かい合い、目的と疑問をもって歩み続けることが“個性”を発揮させるために大切になります。
2、自分の弱さを破壊するために、弱さを知る
人生は選択の連続です。しかもその選択は、その都度、「瞬時」に行う必要があることでしょう。その一瞬の選択が最善なものでなければ、往往にして人生は望まない方向に突き進んでしまうことでしょう。
最善の選択ができないものは、時として大きな代償を払うことになります。たかが選択、されど選択。何かを選択するまでのほんの一瞬に私たちのこれからの人生がかかってくるのです。
しかし、最善の選択とは、時に痛みを伴うものでもあります。そんななかでもおそらくいちばん痛いのは、弱く、みっともない「自分」に向き合わなければならない時です。弱い自分から逃げ出すことは簡単です。しかし、現状を直視せず、周囲をないがしろにして、自分の都合だけを優先する選択をしようとすれば、自分の中の弱さ、醜さに一生後悔することにもなりかねません。
弱い自分を受容しなければ、「本当の自分」は見えてこないままなのです。また、「本当の自分」が見えない人間には、自分という人間を真に機能させることは難しいものです。困難を乗り越えるには、この「弱さの受容」こそが、もっとも必要な条件となるでしょう。どんな圧力や負荷がかかっても、しなやかに「しなる」ことができる「竹のような心」こそ、真の「強さ」と言えるのかもしれません。
では、どうしたら常に最善の選択をし続ける「しなやかな強さ」を構築することができるのでしょうか。それは、「それが正しい選択であるのか自分自身に意識を向けて、思いとどまる時間をとること」です。
非常にシンプルで、場所を選ぶことなくできるこの行動は、自分の頭に浮かんだ「選択」を行動に起こす前に、それが本当に最善かどうかを確認する時間となります。ほんの一瞬、数秒で構わないのです。
自分自身に向けて「それは最善か?」と、質問を投げかけることで見えてくるものがあるでしょう。アレコレ考えることなく、ただ単純に“最善か”と投げかけてみましょう。
竹のように強くしなやかな心は、瞬時にできるものではありません。初めは意識的に思いとどまる時間を作ることが習慣化させるコツとなるでしょう。次第に習慣が積み重なって、人生に起きる現象が徐々に変化してくることでしょう。私たちの人生を動かす力とは、いたってシンプルなものですが、向き合っていくことが困難な場面もあります。
焦らず、慌てず、着実な一歩を、日々の取り組みから初めてみてはいかがでしょう。
3、自己価値を認めよう
「他の人が認めてくれるのをじっと待つ」という姿勢も時として必要かもしれませんが、いささか消極的すぎる印象です。さらに、じっと待つ姿勢だけでは、自己価値を見出せないばかりか他の人に知ってもらう機会も逃してしまうでしょう。
現代は、じっと待ち続けるということよりも、自分自身をアピールしていく時代です。まずは、自分で自己価値を知り、その価値を高めていかなくては、せっかく持っている“個性”を磨くことも難しいでしょう。また、自分自身の価値を自ら知らずして、どうして世の多くの人に自己価値を伝えることができるでしょう。
人に認めてもらうためには、まず自分で自分の価値(自己価値)を認めることから始めましょう。そして、自分自身の必要性を見つけていくことで、自己価値を高めていくことが可能となります。
人間は、自己価値を見つけ出す能力を必ず持っています。ですから、見つけ出したら最大限に引き出すために磨きをかけるのです。来る日も来る日もコツコツと磨き続けることで、輝きが増していきます。この輝きこそ、人に認めてもらう存在価値の光になります。
しかし、光を生じさせるためには月日がかかるものです。一朝一夕にできるものはありません。そのために、日々磨きをかけていくことが大切になります。その磨きをかける方法(行動)は人によって様々ですが、ここでご紹介したいのは心持ちです。
それは「自分に“与える”ことができるようになる」ことです。自分の価値を認めて欲しいと願う人は、どうしても、自分よりも先に「他人に認めて欲しい」と思い、「(他人の評価を得ようと)他の人に対して頑張る」ということをやってしまいがちです。
気がつけば、他の人の顔色ばかりをうかがっていたなんてこともなりかねません。こうなってしまうと本末転倒です。
自分のことを自分で褒め、認める。自分のやりたいことをやってあげる、自分にご褒美をあげる、自分の気持ちに正直になる。自分を綺麗にする。という行動は、「自分は与えてもらえるくらい、価値のある人間だ」という自己認識を育み、「自分の価値を自分自身が誰よりも認めてあげられる」ようになります。
すると次第に、周囲からも認められやすくなる流れが自然と生まれてくるでしょう。
最後に
誰か他の人に自分の夢を語ったり、叶えたい想いを伝えたりしたとき、否定や批判的な言葉を言われたことがないでしょうか。時として自分自身のことを応援して欲しいという気持ちから話しているのかもしれませんが、批判的な言葉を返されてしまうと、思考は停止し硬直してしまいがちです。
また、多くの情報の中で生活していると、気がつかないうちに情報の波に飲み込まれていることもあります。右か左か前か後ろか…気がついたら周りが全く見えない状態に陥ってしまうがために、夢も希望も喪失してしまうこともあることでしょう。
自分が望む境遇を引き寄せるには、他の人の情報やWeb上の情報だけではあまり効果がありません。必ず“自分”が必要です。そのため、まずは自己価値を高めるべく“自分自身を信じる”ことから始めてみてはいかがでしょうか。
そして、今自分自身が置かれている立場・場所に意識を向けることです。私たちは常に場所を変えながら生活し、職務に励んでいることでしょう。しかし、その時その場の“心持ち”が伴わなければ、他の情報に惑わされてしまいます。
その時とその場所によって立ち位置が違うように、明確な意思を意識して行動していかなくては、物事の判断や決断はちぐはぐになってしまいます。
しっかりとした位置確認(目的確認)を行いながら、一歩、一歩を自らの意志で踏み出していくと、周囲の言葉に惑わされずに、自分自身が目的としたところに到達することができるでしょう。