自分のことがよくわからないと思う人、やりたいことがよくわからないと感じる人は多い社会だと思います。
私も、例外なくそう感じていました。
長所も短所も分からなくて「自分はどんな人なんだろう」「やりたいことなんだろう」って長いこと思っていました。
就活用の自己分析も試したんですが、あまり参考にならず、知る手がかりが全然なくて、途方に暮れていました。
そんな私が、自分を理解して、やりたいことをつかむためにしたことを少しご紹介してみようと思います。
好きを細分化する
何が好きかを知っていることは、自分について知っていることです。そして、自分を知ることは自分を満たしたり、幸せにすることの必須条件でもあります。
もし好きなことが思い当たるなら、それのどんなところが好きか少し細かく見てみることをおすすめします。これは他のことよりも気になる、程度でも構いません。
例えば「家庭教師の仕事が好き」を細かく見ていくと「教えるのが好き」になるかもしれません。
でも「教えるのが好き」だともう一歩、という感じです。「教える」が自分にとってどんなことなのかをイメージして
- 相手の知らない新鮮さを提供するのが好き
- 分かりやすい言葉を考えるのが好き
- 授業の流れを考えるのが好き
- 育てるのが好き
くらい細かく見ていきたいところです。
細かく見たら他のことでも同じようなことをしていないか意識を向けてみてください。共通点が見えてくるかもしれません。
例えば、「家庭教師の仕事が好き」→「教えるのが好き」→「相手の知らない新鮮さを提供するのが好き」
だったら、他の時も新鮮さを提供しようとしていることがないか意識を向けてみます。
そんな共通点を集めて行くと自分の好きなことが分野にかかわらずわかってきます。
好きなことは時に分野を意味します。でも分野が関係ない好きなこともあるものです。
言われて嬉しい「ありがとう」を見つめる
ありがとうって言われたら嬉しいですよね。でも、ありがとうにも色々種類があると思います。
「癒されました、ありがとう」
「助かりました、ありがとう」
「面白かったです、ありがとう」
「勉強になりました、ありがとう」
どんなありがとうを一番言われたいでしょうか?
「癒されました、ありがとう」
が嬉しい人は、相手が癒されることが好きということです。
相手が癒されればツールはなんでもいいのかもしれません。
この質問でわかるのは好きな分野ではなく、自分が提供したい価値や仕事として感じるやりがいなどです。
今後何していきたいんだろう?と思った時にいいヒントをくれます。
何が好きかを考えるのは遠回り?
でも、自分のことがよくわからない場合はそれすらもわからない場合が多いです。
私は全くわかりませんでした。「好きという感覚を感じたことがない」という感じでした。そんな時は感情を見つめてみるのもオススメです。
怒りをヒントにする
感情をあんまり感じないという方も多いと思います。感情的になってばかりでは集団生活や仕事で支障を感じることも多いので蓋をする傾向があるからです。
怒りは自分のことを知るためのいいヒントになります。ちょっとした不満くらいはあるという前提を持ってぜひ探してみてください。
なかでも社会に対して物申したいことってありませんか?
「教育はこのままじゃだめだよね」「自然破壊が気になる」とか社会に対して疑問に感じることや怒りを覚えることは自分が社会に対して変えたいと思っているところです。
それがやりたいことにつながっている可能性があります。
「それ、ちょっと違くない?」
って思うこと、見つめてみてください。
悔しさを見つめる
誰かがやっていて、自分もやりたいと悔しくなることはありますか?
「ほんとは自分も提供する側なのに…」という感覚があったらそれをやってみたいのかもしれません。
カフェでご飯を食べて、「ほんとは自分が提供する側でいたいのに」と悔しくなったら自分がご飯を提供する側でいたい可能性があります。
この悔しさも細かく見れるとよりいいヒントになります。
新しいものを生み出していることに対する悔しさなのか、ご飯を提供していることに対する悔しさなのか、場を作っていることに対する悔しさなのか、少し細かくみていくとやりたいことの発見につながります。
他に、こんな方法もあります。
やりたくないことを考えてみる
絶対やりたくないことってありますか?「まずいご飯は絶対に食べたくない!」という人は美味しいものを食べるのが好きな人です。
当たり前になっていると好きなことややりたいことに入らないかもしれません。
でも、やりたくないことを考えると案外大切にしたいことは浮き彫りになるものです。
それに関連して、それを大切にすると何を大切にできると感じているのか考えてみてもいいかもしれません。
美味しいものを食べることを大切にすると「生活が大切にできる」「感覚が大切にできる」「一緒位食べる人を大切にできる」などです。
やりたくないことから見えてくるものもあります。
自分がわからなくなるのはなぜ?
そもそも、やりたいことがわからなくなる要因はどこにあるのでしょうか?
「やらなきゃ」の病
社会で生きて行くにはやらなきゃいけないことが多すぎるのかもしれません。自分のことがわからなくなる大きな原因は「やらなきゃいけないこと」をやり続けることにあります。
親が勧めてくれたことをしたり、望んでいることに答えたりするのはよくあります。認められるため、怒られないために親の顔色を見て動くようになる、などです。
学校では時間割があるので、あんまり気が向かない時でもやることは決まっています。
そうやって、決められたことや求められたことをし続けると、自分がやりたいことを差し置いて、やるべきことをするようになるります。
「やりたい」よりも「やらなきゃ」で動くようになります。
友達の顔色を見たりすることもあるかもしれません。
「やらなきゃ」の病にかかると、やらなきゃいけないことはわかるのに、やりたいことはなんなのか、いまいちわからなくなってしまうのです。
溜まった感情
やらなきゃいけないことを続けていくと、感情がたまっていきます。やらなきゃいけないことをするために蓋をした感情が行き場をなくして残ってしまうからです。「腹たったけど今怒ると空気悪くなっちゃうから」「悲しんでる場合じゃないし」など感じられなかった感情は残ります。
嫌なことやショックなことがあった場合も、物事の大小関わらず感情が残ることは多くあります。その時は受け止められないから自分を守るために蓋をします。
いじめられてあまりにも辛くて、感じないようにすると感情がたまる、結果、その時を思い出させるような状況を目の前にすると溜まっている感情が疼くので同じような感覚になる、という感じです。たまった感情は感情に振り回される状態か、無感覚な状態を作ります。
失敗が許されない空気感
失敗が許されない空気感を感じたことはありますか。「一度言われたことはすぐにできる方がいいとか」「すぐにわかる方がいい」という暗黙の了解のようなものを感じることがあります。
でもやりたいことはいろんなことを試しながら、その度に自己理解が深まって見つかっていくものでもあります。思った通りにいかなかった時にそれを失敗と呼ぶこともあります。
でも、失敗が許されないと自己理解を深めるチャンスが掴みづらくなります。
まとめ
私たちは学校では「言われたことをちゃんとできること」を求められます。時間通りに行って時間割をこなして、宿題をやることです。でも、就職になると急に「何をしたいのか」を問われます。
学校では協調性が求められるのに就職になると急に個性を求められるます。
急に聞かれてもわからないのは当然です
本来はやりたいことも、自分だけの個性も色々試しながら自然と形になっていく、育てていくものです。問いかけてもわからなかったら、今から育てていく必要があるということです。気になることからやってみる、「やりたい」で動いてみることをして、やってみた感覚をストックすることです。
このコラムが、育てられなかった本来の自分を育てて、やりたいことを見つけるヒントになれば嬉しいです。