こんにちは。山田結子です。
最近、ある美術館に行きました。美術館の庭園を散歩していると、水辺で白鳥が毛づくろいをしていました。人に慣れているのか、撮影している人がいても逃げずに毛づくろいを続けていました。こんなに近くで白鳥を見たことがなかったので、感激でした。
さて、あなたは羨ましいという気持ちをもっていますか?どんな人を羨ましいと思いますか?
私は子どもの頃から、羨ましいという気持ちが強かったと思います。そういう気持ちで他人を見ると、無意識に劣等感を感じてしまって、うまくコミュニケーションもとれなくなっていました。人との関係をどうやってよくしたらいいか分からず、意地をはって、心を閉ざして、頑張るしかないと、踏ん張っていました。しかし、ちょっとしたことで心が折れやすく、ひとつのことを達成したり、目的をもって自分が決めた道を進むことが難しくなっていました。反応的で自分軸や目的意識が揺らいでしまうので、ぼやけた結果になっていたのだと今は理解できます。
羨ましいという気持ちに振り回される
では、具体的に『羨ましい』について考えていきましょう。
無意識に羨ましいと感じるがまま生きていたら、目的地もなく、自分らしさもなく、よく分からない方向に向かいます。目的を持たない船は漂流していくしかありません。それが人生であると思えるならよいですが、そんな生き方には疑問を感じます。
羨ましいという気持ちは、無意識の願望や抑圧した欲求が表れていることがほとんどです。自分ができないこと、やらないことしてる人を羨ましいと感じる機会は多いのではないでしょうか。

様々な刺激を受けつづけて疲労した脳、ルーチン化した仕事に毎日追われ、人間関係のパワーゲームにやられた人々にとっては、羨ましいという気持ちは逃避的な意味が強くなりやすい。本人がやらなくてはならないことを見ないようにする幻想の世界であり、現実をみないようにするひとつの手段になりがちです。
目的意識を持たずに羨ましいと感じるのは、隣の芝生は青いということわざの意味するところとあまり違いはありません。自分より他人の方がよく見えるだけで、本当によいのかどうかはわかっていないのです。漠然と、今の状態から逃れたい気持ちが、別の選択に意識を向けるだけのことです。真剣に検証するわけでもなく、表面的で部分的な印象だけで判断しています。
自分が羨ましいと感じたものの正体を知りたければ、それを目標にして行動してみると、早く実体を知ることができます。考えて行動するタイプではない人は、どんどん行動していく人もいます。実際に行動力のある人は、その方が向いていると思います。
しかし、そうでない人は、羨ましいという気持ちと、自分にはできないという気持ちの狭間で揺れてしまい、結果的に羨ましいと思うだけで何もしないという方向に向かいがちです。そして、無理に行動しても、すぐに疲労感が高まったり、劣等感が表面化したり、こんなことをしても意味がないのでは?という疑問に襲われて、多少動いても元に戻ってしまいます。無意識に他人と比べて、頑張ろうとして、潰れてしまっているのです。
まずは目標を決めることが最優先
まず、目標となる方向を決めることが大切です。そして、安易にその目標を変えないでください。
目標の設定のやり方が上手い人と、やり方を教わらなかった人では、結果に大きな違いがでます。それくらい、目標を設定するセンスは人生を歩む上で重要な項目です。もし、やったことがないなら、少しずつ習得することをお勧めします。

一気にいけないタイプの目標なら、いくつかの項目に分けて、段階的に進む必要があります。項目ごとに習得するのか、関連する項目は同時並行で学ぶのか、短期的・長期的に必要なスキルをどのように習得するか、自分の好きな項目と苦手な項目をどのように扱うのか検討する。目標に対して、それぞれの項目について計画を立てます。自分が苦手なものを後回しにして苦しみやすいタイプなら、苦手なものをあらかじめ計画的に入れておいたり、苦手な部分をサポートしてくれるものを探してもよいし、自分の性格や特徴を考慮して計画するのがお勧めです。
例えば、服のセンスを高めたいなら、まずは服飾に関する歴史、ファッション誌、業界で有名な人や企業などを調べることで、情報は増えていきます。実物を見に行ったり、服を一緒に選んでもらえるサービスを見つけたり、自分なりにセンスを磨くための方法を見出し、実行し続けたら世界観は変わってきます。当初は全く何もできない状態だったのが、ステップを積むことで、自分を変えることはできます。
ただ、自分を変えるには、その教育に対して時間とお金がかかります。無料でも様々な情報は得られますが、無料情報の価値には限界があるので、本気で変えるにはお金はかかると思った方が良いでしょう。そして、友人の結婚式に着ていく服を選びたいだけなら、既に習得した人に教えてもらう、選んでもらう方が手っ取り早いのです。
自分が羨ましいと思ってる状態になるために、どれくらい時間とお金をかけるのか?を考えた時、天文学的な労力がかかると感じるなら、力のかけ方に優先順位を決めるとよいです。結果はあまり重視しないが、長い時間かけてやってみたいという気持ちで進めるのも、好きなことを伸ばしたいという人にはお勧めの方法です。
人格や外見、本人の性質に関わるもの
単純に扱えない『羨ましい』についてもみていきましょう。人格や外見、本人の性質に関わるものです。変えられる部分もあるかもしれませんが、変えられない部分もあります。
変えられる部分であれば、変える意味はあります。人格は育てられる枠がありますし、外見は食事や運動のバランスで、印象を変えることはできます。本人の性質については、思い込んでいる部分は削ぎ落とすことができるかもしれません。
変えられる部分を見つけて、変えることに意味はあります。変えられない部分を嘆いて日々を過ごすこともありません。

変えられない部分はそのまま好きになるか、育てるのが早道です。未熟な部分や欠点は誰にでもあります。それは、磨いて成長すれば、今のままでは得られない、新しい力をもつこともあります。現在見えているのは、その片鱗であり、自分の才能を信じて、自分を高めようとしてみるのです。
誰かに育ててもらおうとか、人に認められようとか、友達よりも上に立ちたいということに左右されると、目的意識がぶれてしまったり、自分の性質に不利な目標をたててしまうこともあります。あくまで自分のもっている力や能力を中心に、能力を高めようとするのがコツです。
ごく当たり前のことのようですが、羨ましいという気持ちに囚われていると、当たり前のことが見えなくなりやすいです。相手がキラキラして見えたときに、自分の目標を忘れてしまうのです。あんな風にキラキラしたいという無目的な目標が新しい目標に置き換わってしまいます。そのふわっとした目標に対して頑張って、うまくいかずに劣等感に陥るなら、自分のありのままを好きになった方がずっといい。
ほとんどの人は、教育や成長があってこそ、立派な人物になるのであって、生まれた瞬間からなにもせずにいるわけではありません。自分なりに課題を設定して、どうやって乗り越えるかをその人なりに考えています。人のうまくいってるところだけみて、羨ましいと考えるのは早計なのです。
羨ましいは自分には価値がないという気持ちのあらわれ
羨ましいという気持ちの背景には、自分の価値がない、低いという発想があります。そのため、究極的には自分の価値を高めることができれば、羨ましいという思いは解決します。
ただ、あまりにも自分の価値がないと強く感じていると、新しい自分に向かうためのエネルギーが得られず、価値が下がらないように保身に走ったり、色々なものに手を出しては、失望するような現象も怒り得ます。
自分の価値がないと考えている状態は、エネルギーも枯渇しているため、行動が結果に結びつきにくいのです。頑張るよりもケアする、楽しむことが大切なのですが、この渦中にいると気付けないことも多いです。
羨ましいという気持ちが出てきたら、自分の価値を再確認して、自分の持っている価値のタネを育ててみましょう。人の役に立つかどうかは考えなくてよく、自分の興味関心が強いものを選ぶと良いでしょう。

私は子どもの時から、色々な人を羨ましいと思っていましたが、どれもこれもやってみても違う、合わないということが続いていました。自分の飽きっぽい性格なんだと考えていました。しかし、現在のヒーリングに出会って、親の抑圧が強すぎて、自分がやりたいことが完全に押し潰されているとわかってきました。そもそも飽きっぽいのではなく、他人との比較の中に生きていて、様々な反応に振り回されて、自分の決めたことを維持できない状態だと分かってきました。
自分の価値が低いと思い込んでいると、わざわざ自分を貶めるために無意味な比較をしがちです。自分が目標としている方向と関係ないものを比較しても、生き方の違いを感じ取ることしかできません。もし、比較してやまないのであれば、自分の目標に納得感がないのかもしれません。それが親や周囲の人から言われて、作った目標であれば、自分の目標として再度意識し直す必要があります。
羨ましい‥という気持ちに振り回されて、自分の未来を見失ってはいけません。やりたいことはなんでもやっていい‥しかし、本気でやろうとしなければ、自分を変えるところまでいけません。あなたの未来を変えていきましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
山田結子