「なんであんなこと言われなきゃいけなかったんだろう」
なんの脈絡もなく、不意に嫌いな人に言われた言葉を思い出しました。
もうけっこう前のことなのに覚えていて、忘れられませんでした。
相手に悪気がないのは分かっていても、どうしても忘れられないあの一言…。
普段は忘れているのに、ふとした瞬間に思い出してしまう。
思い出すとあの時と同じようにイライラしてしまう。
この怒りを忘れられる日は来るんだろうか。
そんな状態でした。
なぜか思い出すのはいつも突然で、仕事から家に帰ってぼんやりYouTubeを見ている時だったり、仕事中だったりと関連性がありません。
思い出した時は、その時のことがフラッシュバックしてしまうので、見ていたyoutubeも当然頭に入ってきません。
仕事中に思い出せば、手が止まってしまうこともありました。
ずっとこの怒りと付き合っていくのかと思っていましたが、この怒りの手放し方は思った以上にシンプルでした。その方法は頑張って怒りを抑えようとして辛くなったりする必要がない、自分にやさしいものでした。
今では、その出来事は記憶しているのですが「そういえばそんなこともあったなぁ」なんて感じで、どんなふうに感じていたかは正直思い出せません。
ここでは本当は忘れてしまいたい、けれど思い出されてしまう怒りの手放し方を私の体験を振り返って書いてみようと思います。
本当は忘れてたい「思い出し怒り」
過去の怒りを思い出すたびに「またかぁ」と思っていました。
気にしない自分になって、楽に生きていきたいのに感情がコントロールできなくて困っていました。
こういうのを「思い出し怒り」というんだそうです。
思い出すときは、感覚がやたら鮮明で、まるで今さっき体験したかのように思い出しました。
リアリティがあったのです。
一度思い出せば、一気に過去に引き戻されました。
その時感じた怒りや悲しみが混じって、相手を責めたくなる気持ちが込み上げてきました。頭の中がそのことで埋め尽くされてしまう感じでした。
「もう忘れてしまいたい」
そう何度も思いました。
いつまで経っても覚えている自分がしつこくて嫌でした。
でも、同時に忘れたくない感じもしていました。いつまでも相手を許したくないという方が正確な表現かもしれません。
忘れられない怒りたち
よく考えてみれば、そうやって思い出す出来事はだいたい決まっているのですが、その時々でブームがありました。
最近よく思い出すのはAさんのあの一言
とか
職場で納得いかなかったあの日の出来事がずっとひっかかってる
とか
忘れられない怒りたちが順番に列を作っていて、ひょこっと現れる感じでした。
でも、その列から急に外れる怒りもいました。ブームが去って、あんまり思い出さなくなることもあったんです。
よくよく考えてみると単に思い出さなくなったことって実はそう多くなくて、思い出さなくなる怒りには、ある共通点がありました。
これが、私が学んだ怒りを手放す鍵でした。
怒りを手放す鍵
思い出さなくなる時は、例えば、相手と話し合えた時や相手に気持ちを伝えた時でした。
だいたい相手に自分の気持ちを伝えて、「ごめんね」とか「そうだったんだ」とか、受け取ってもらえた時に怒りがスッとどこかへ消えていって、何事もなかったような気持ちになりました。
「ごめんね」の一言でこんなに気持ちが変わってしまうのが不思議でした。
話しているうちに相手の状況や言い分を聞くと、相手の印象が変わることも多かったです。そうなると物事の見方も変わりました。
逆に、相手に気持ちを伝えても「そんなのそっちが悪いんじゃない?」とか「気にしすぎじゃない?」とか気持ちを受け取ってもらえないと、いつまで経っても怒りを引きずってしまいました。火に油という感じで、相手を責める気持ちがどんどん膨らんで、より大きな怒りを感じていました。
気持ちをそのまま受け取ってもらえる、わかってもらえる、というのが怒りを手放すひとつの鍵だということがわかりました。
自分の怒りを受け止める
もしも実際に、相手が自分の怒りを理解してくれて、受け止めてくれたらそれはそれでいいと思います。親しい間柄なら、お互いの理解が深まるきっかけにもなると思います。
でも、最近会っていない相手や、なかなか話し合うのが難しい相手はどうしたらいいんでしょうか。
いちいち伝えるのが面倒な場合だって、伝えることで相手との関係が悪化する可能性だってあります。
それで、私が試したのは自分で自分の怒りを受け止めることでした。
相手に気持ちをわかってもらえた時みたいに、自分の気持ちに耳を傾けて共感することができたら、相手が受け止めてくれた時みたいにスッと気持ちが軽くなるのかもしれないと期待しました。
イライラしたのは本当は悲しかったから
「なんであんなこと言われなきゃいけなかったんだろう」
そう思った時の怒りに耳を澄ますことにしました。どんなふうに感じていたのか、そのまんま心の中で言葉にしてみたり、紙に書いたりしました。
例えば、決めつけられているようで嫌だったAさんからの一言に対しては「なんで人の気持ちがわかんないんだろう?」とか「ほんとに勝手に決めないでほしい」「冷静に考えればわかるし」とか文句や愚痴が浮かんできました。
しばらく相手に対する文句を見つめていたら、なんとなく幼い頃に母の姿を思い出しました。
そして、母に決めつけられたと感じた時は、全く同じように感じたのを思い出しました。それに気がついた時「本当は違うのに」「どうしてわかってくれないんだろう」と悲しみが一気に湧いてきました。
悲しみの湧いてくる井戸を掘りあてたみたいな感じでした。今まで感じていなかったことに疑問を感じるくらいの量の悲しみがそこにありました。
そこで、私がイライラしたのは、本当はわかってもらえない悲しみがたくさん溜まっていたからなんだと気がつきました。
悲しみと爽やかな諦め
イライラするのが嫌だと思っていたのですが、怒りに対する見方も少し変わりました。
本当はわかってくれないことを悲しんでいたり、理解されないことが怖かったりする自分がいることを知らせてくれていた感情なのかもしれないと思うようになりました。怒りはまるで悲しみがそこにあることを教えてくれているようだったからです。
気がついた悲しみを感じていると、少しづつ悲しみが蒸発していくような感じがしました。
次第に悲しみは淡くなっていき、爽やかな諦めのようなものを感じました。
そうすると不思議なもので「別にこの人にわかってもらえなくてもいいか」という気持ちになりました。以前はわかってもらいたくてイライラしていましたが、別にどっちでもいい気がしてきました。なんで今までそんなこと気にしてたんだろうかと逆に疑問になってしまいました。
それだけではなく、自然と相手の状況に目が向くようになって「心配してたのかもしれないし」なんて別の角度から考えられるようにもなりました。
悲しみがすごい勢いで抜けていき、台風の後の晴れ間のような気持ちでした。
残ったのは自分に対するやさしさでした。
思い出せなくなった「思い出し怒り」
実際に自分で自分の気持ちを受け止めて振り返ってみると「思い出し怒り」に悩むことはなくなりました。というか、思い出そうとしても正直全然できないです。
あんなに鮮明に思い出していたのに、今やどんな気持ちだったか想像ができないのです。
ちなみにAさんとその後に会話をする機会があったのですが、特になんとも思いませんでした。
相手が誰であれ、話を聴いてもらえて満足すると「思い出し怒り」のブームは終わるのかもしれません。
思い出してイライラしてしまう過去の感情を手放したい方は、その怒りを受け止めることが、怒りから自由になる方法なんじゃないかと感じています。
受け止めるというのは、その時にどんなふうに感じていたか、何が言いたかったか、文句も含めて否定しないということです。うまくいかないなぁと思うときは怒りを感じる相手に対して言いたいことや自分が感じていることを紙いっぱいに書いてみるといいと思います。
そのうち、怒りとその奥にある感情がスッと抜けていって、雨上がりの空みたいに、心に虹がかかると信じています。