人気のテレビ番組に「はじめてのおつかい」という番組があります。
幼い子どもが人生で初めて一人でおつかいをするひたむきな姿を追った番組で、視聴者に感動を与えてくれます。
何事にも初めてがあり、そのストーリーは感動的なものが多いではないでしょうか。
もちろん漢方の世界にも初めてがあります。
人が生まれて初めて飲む漢方、それが「まくり」です。
さて「まくり」にはどのようなストーリーがあるのでしょうか。
胎毒とは
東洋医学では胎毒という考え方があります。
胎毒とは「母親の胎内で受けた毒」をいい、これが様々な病の元と考えられていました。
妊娠中の母親の食生活や精神状態などが、出生後の乳児湿疹、乳を飲まない、疳の虫、夜泣きなどの原因になり、後々の健康に影響すると考えられていました。
そのため、胎毒が含まれる新生児の最初の便(胎便)を出生後速やかに排出させることが重要視されていました。
この考えは江戸時代から昭和の時代まで続き、現在でも鍼灸、漢方、産科(助産師を含む)などの一部で受け継がれています。
胎便とは
胎便とは、生後直後から1~3日間見られる緑がかった黒っぽい便のことをいい、胎児が母親の子宮内で飲み込んだ羊水や胎児の腸管分泌物が便となっていす。
別名カニババとも呼ばれています。
胎便には胆汁のビリルビンという色素が多く含まれていて、胎便がスムーズに出ないと新生児黄疸になりやすいといわれています。
また、胎児が子宮内で低酸素状態などのストレスを受けた時に羊水中に胎便が排泄されることがあります。
胎便で汚染された羊水を、出生時に呼吸を始めた時に気道内に吸い込むと胎便吸引症候群を引き起こすことがあります。
胎便吸引症候群
胎便吸引症候群とは
胎便に汚染された羊水を気道内に吸引することにより発症する高度の新生児呼吸障害である。
社団法人日本産婦人科学会編『産科婦人科用語集・用語解説集 』(金原出版、2003年改訂新版第1刷)
(中略)
呼吸障害は出生直後より出現し、進行性に悪化する。重症例ではチアノーゼを伴い胎児循環遺残症を合併することがある。
甘草と胎便吸引症候群
慶長13年(1608年)に曲直瀬玄朔(まなせげんさく:二代目曲直瀬道三)が著した薬性能毒(やくしょうのうどく)は薬の原料についての書物です。
当時の日本は、関ヶ原の合戦が終わり、徳川家が政治の実権を握った頃です。
中国から入ってきた古代医学が、日本独特の医学『漢方』に発展したのはこの後、江戸時代半ばとなります。
この書物には現代からみると迷信のようなこともありますが、今でも通用することがたくさんあります。
甘草について見てみると興味深い記載があります。
小児の胎毒を解す。小児初生の時、甘草2、3寸皮を去り、刻み炙(あぶ)り水に煎じて綿を以ってひたし、少しずつ口に入るるに胸中にある悪物を吐き出だす。その後に乳を飲ますべし。その児必ず智恵ありて病なく痘(もがさ)少し出でて危難なしと也。
曲直瀬道三 著/粟島行春 註『薬性能毒』(土と文化社、1975年)
「生まれて直ぐの子どもに甘草を煎じた汁を綿で口に含ませ飲ませると、胸の中にある胎毒を吐き出すので、それから初乳を飲ませなさい。そうすると賢く、健康で、例え、天然痘になっても軽く済み命にかかわることがない。」という意味です。
甘草には胎毒を解する効能があると考えられていて、漢方薬「まくり」には甘草が配合されています。
また、甘草の煎じ汁を飲ませて、気道に吸い込んでしまった胎便に汚染された羊水を吐き出させることで胎便吸引症候群に対処しようとしたのかもしれません。
胎毒下し「まくり」
「まくり」とは、海人草(かいにんそう)という回虫駆除に使われる海藻、もしくは胎毒下しに使われる民間薬や漢方薬を指します。
海人草もそれのみで、または、大黄と甘草を加えて胎毒下しに使われることがあります。
胎毒を含む胎便を「まくり出す」から「まくり」といわれているようです。
民間薬としては、蕗(ふき)の根、五香、マクリ(おそらく海人草を指す)、砂糖、甘草、センブリなど様々なものがあります。
漢方薬の「まくり」の処方は漢方の流派や地域によって異なりますが、代表的なものとしては江戸時代末期~明治時代の漢方名医・浅田宗伯(あさだそうはく)が推奨した甘連大黄紅花湯(かんれんだいおうこうかとう)があります。
浅田宗伯は徳川将軍家の典医で、後、宮内省の侍医となり、幼少期の大正天皇を救うほどの名医でした。
浅田飴のルーツとなる処方を作ったことでも知られています。
まくりの効果
「まくり」の効果については、迷信、俗信、習わしという意見もあれば、効果があるという意見もあります。
迷信か?
江戸時代から胎毒下しは経験的に受け継がれていて、昭和初期の文部省迷信調査協議会による調査では、何らかの「まくり」を飲ませるが45.8%飲ませないが54.0%という結果になっています。
自宅や産屋での出産が多かった頃は、習わしとして産婆が飲ませていましたが、戦後、病院で医師の管理下で出産が行われるようになったため、科学的医学的な評価が不十分な「まくり」は使われなくなったのではないでしょうか。
漢方の視点
一方、漢方薬の「まくり」の効果を荒木正胤は著書『漢方養生談』で次のように著しています。
このまくりを生まれてから、16時間以内に与えると、1日ぐらいで、すっかり、まっくろい胎便が排出されてしまうので、子どもは、ひじょうに元気になり、乳をすう力を増し、皮膚が丈夫になって、後から皮膚病にかかるようなことがなくなります。初生児の皮膚は、意外に弱いものであることを注意しなければなりません。
荒木正胤 著『漢方養生談』(大法輪閣、1993年第11刷)
また、荒木正胤と同じ頃、産婦人科医で、漢方に精通し、ハリ・灸・漢方の薬を活用していた石野信安医師は、灸と「まくり」の効果について論文にし、「まくり」を新生児に投与すると、「新生児室の幼児の泣声による騒音が一変して静かにな ったのである。」と、精神安定の面で「まくり」が作用すると述べています。
「まくり」の代表的な漢方薬甘連大黄紅花湯には甘草、黄連、大黄、紅花が配合されているので、胎便を下すだけでなく、血液の中にこもった熱をさまし、精神を安定させる作用があるとみられます。
まとめ
東洋医学では胎毒という考えがあります。
胎毒は胎便に含まれていると考えられ、江戸時代以降、出生後に胎毒下しをすることが子どもの健康に役立つと考えられ、胎毒下しが行われてきました。
胎毒下しに使われる漢方薬「まくり」の効果は経験的に知られていています。
新生児黄疸、乳児湿疹の軽減、精神安定に胎毒下しの見直しがあってもよいかもしれません。
参考文献
- 島野 裕子・白水 浩信「「かにばば」と胎毒 : 近世産育書における「胎毒」観の変遷に関する一考察」 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要 1(1) :91‐100、2007年)
- 石野安信「漢方治療による新生児の優良化について」(日本東洋医学会誌15(4):140‐143、1965年)
- 日野 壽一「胎毒下し-お産の俗信-」(助産婦雑誌 3(2):39‐40、1953年)
- 曲直瀬道三 著/粟島行春 註『薬性能毒』(土と文化社、1975年)注)本書は復刻であり、原著は1608年に発行。
- 荒木正胤 著『漢方養生談』(大法輪閣、1993年第11刷)
- 小倉一春 編『看護学大辞典』(メヂカルフレンド社、1991年第3版第12刷)
- 社団法人日本産婦人科学会 編『産科婦人科用語集・用語解説集 』(金原出版、2003年改訂新版第1刷)
- ステッドマン医学大辞典編集委員会『ステッドマン医学大辞典』(メジカルビュー社、2003年第5版第2刷)