「やめたいのにやめられない」HSPはなぜ依存症になりやすい?

「あー・・またやってしまった・・」

いまごろ彼女はそんな気持ちになってしまっているのかしら?

電話を切ったあと、そんなことを考えながらカルテに「電話相談依存症についてのご相談」と記録した。

 

『電話占いや電話相談に、これまで数百万円は使ったと思います・・』

そう話す彼女のような「電話相談依存症」の方は、今の世の中には意外と多いのかもしれません。

大手ポータルサイトが運営する電話相談室では日々、電話相談依存のみならず、アルコール依存、セックス依存、買い物依存、ギャンブル依存、などなど様々な「依存症」の方からのご相談の電話を受けます。

大抵は

「わかってるんです、もう本当にやばいなって。
心のどこかでは『もうやめよう』とずっと思っているんです。
でも気づくと、また同じことをやってしまっている自分がいて・・」

と自分の依存症について、共通した心の葛藤をお持ちです。

私に電話相談を申し込んで来られる方は、いわゆる「繊細さん」と呼ばれるHSPやエンパスの方が多いのですが、そういった敏感で感受性の高い方ほど依存症になりやすい傾向があるのかもと感じることがあります。

なぜ「繊細で感じやすい方」は依存症になりやすいのか?

そんな心に浮かんだ疑問もあり、エンパスである私の人生も振り返りつつ、繊細さんと依存症の関係と原因について、またそこから脱して自分らしく生きるための方法について、考察してみたいと思います。

この記事の目次

そもそも依存症ってどんなもの?

厚生労働省のページでは、依存症について以下のような説明があります。

A:依存症ってなに?
Q:特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になることです。

特定の何かに心を奪われてるというのは、何かに夢中になったり没頭したりしている状態とも言えます。

それだけだと、それほど悪い意味にはならないこともありますよね。

勉強や仕事、趣味など自分が好きなことに没頭しているだけなら、たとえ「心を奪われている」としても問題ではありません。

やめたくてもやめられないという点はどうでしょう?

先ほど書いたように、電話相談では依存症に悩んでいるご本人から電話がかかってくる場合もありますが、そうではなくて、依存症になってしまっている家族のことで、本人の以外の方からご相談のお電話がかかってくることもあります。

(特にアルコール依存の方の場合は、そういったケースが多いように思います。)

つまり本人の認識ではそもそも「やめたい」とは思っていないし、「依存症になっている」とも認めてないケースも多いということです。

ただ、「認めていない」という部分も実際には曖昧で、ご本人のなかでもは本当は薄々そうであることを感じているけど、家族に対しては「認めてない」というだけの場合もあるように見受けられます。

いずれにしても上記のような定義によって依存症であるかどうかという診断をはっきり白黒判定できるものでもなく、依存症と診断されるかどうかというより、それによって本人または家族など身近な人に迷惑がかかっていたり、心身に何かしらの問題が起きていたりトラブルになっていたりするかどうかまたなっているなら何がどう問題なのかを明確にすることの方が重要です。

依存症には、アルコール、ギャンブル、セックス、薬物、など昔からあって一般的に依存症としてイメージしやすいものだけでなく、たとえば同じようなパターンを繰り返してしまう恋愛や共依存、仕事、カフェイン、ネット、買い物、スポーツなど一見必ずしも悪い影響を及ぼすわけではないと考えられる行動も依存症になり得ます。

冒頭の電話鑑定、電話相談や、ネットゲームやSNS、youtubeなどにハマってしまう状態も「本人がやめたいのにやめられない」状態が続いているのであれば、現代病として多くの人が陥りがちな軽い依存症とも言えるでしょう。

依存症の原因である「快楽物質」

厚生労働省のページにもあるように、依存症の原因は「脳の仕組み」によって説明することができます。

アルコールだけでなく、薬物でも同様ですが、これらの物質を摂取すると、私たちの脳内ではドーパミンという快楽物質が分泌されます。
この快楽物質が脳内に放出されると、中枢神経が興奮し、それが快感・よろこびにつながります。この感覚を、脳が報酬(ごほうび)というふうに認識すると、その報酬(ごほうび)を求める回路が脳内にできあがります。
アルコールを例にしましたが、ギャンブル等で味わうスリルや興奮といった行動でも、同じように脳の中で報酬を求める回路が働いているのではないかと言われています。引用:依存症についてもっと知りたい方へ(厚生労働省のホームページ)

ここに書かれているアルコールや薬物など中毒性のある物質への依存に限らず、上に書いたような「気持ちいい」と感じられる様々な行動によっても、同様に脳内の快楽物質は分泌されるので、アルコールや薬物依存と同じように繰り返しその行動をしてしまうというのが、さまざまな依存症になっていくプロセスです。

依存症の問題点

脳の快楽物質が分泌されること自体は、次の行動を促すモチベーションにもなるという意味で必ずしも悪いことではありません。

小学生がテストで良い点数をとって、先生や親にほめられたり自分でも満足ができて(脳内物質によって気持ち良い状態つくられて)さらに勉強をやる気になるのであれば、それはこどもの健全な発達を促す仕組みともなっていますよね。

仕事で結果が出て嬉しいときや、スポーツで気持ちよく汗を流しているときも快楽物質は分泌されます。

電話相談のなかには、本人にとって良い影響があると思われる行動であっても「私〇〇に夢中になっていて、これって依存症でしょうか?」と心配されているケースもあります。

私の中では、それが依存症と呼べるかどうかというより「その行動を続けることによって、ご自身や家族・友人がより良い人生に向かう方向に進んでいるかどうか?」が、その行動を問題視したほうが良いかのひとつの判断基準になると考えています。

たとえば私は30代のころ、ダンスにハマっていた時期があります。音楽に合わて体を動かすことが小さい頃から好きだったこともあり、踊ることがただ楽しく、最初は週に数回だったのが、徐々に毎日スポーツジムに通うようになりました。まさに「毎日躍らずにはいられない」そんな状態でした。

踊ることでストレスも発散されるし、有酸素運動と筋トレでそれまでの運動不足も解消されて、心身ともにすっきりとしていきました。

ただ私があまりに夢中になっているので、正直家族は「大丈夫かな?」とは思っていたようです。

まさに踊ることで脳内に分泌される快楽物質によって一種の依存状態が作られていたのだと思いますが、その後好きが高じてダンスを自分のビジネスにしてしまったほどだったので、少なくともその時点では現実的なメリットの方が大きく、現実的な問題とはなっていませんでした。

逆に言うと、本人が「自分は依存症ではない」と思っていたとしても、明らかに自分の健康や家族にとってデメリットが大きかったり、自分も大切な人も幸せにしていないことが明白なのにその行為をやめられないとしたら、依存症かどうかに関わらず、その行動を改善される方向に意識を向けることが必要となってきます。

ご自身で判断するとしたら、少しスピリチュアルな言い方になりますが「この行動を繰り返すことは、自分の魂が喜んでいるか?」「これをやることが自分が生まれてきた目的に沿って生きる方向に進んでいるのか?」という基準で感じてみるのもひとつかもしれません。

また、もしやめられない行動が、メリーゴーランドのようにやってもやっても同じところをグルグル回っているだけで、本当に行きたい場所には決して向かっていないように感じるとしたら、それはやはり改善の余地があると言えるでしょう。

依存症を引き起こす『HALT』

依存症になっていることが「やめたいのにやめられない」のは、その行為によって本人が心のバランスを保っている状態とも言えます。

その行為を行うことによって、心の底にある不安や緊張を和らげたり嫌なことを忘れることができるという意味で、一時的にその行動が本人にとっては役に立っているわけです。

たとえ体の健康を著しく害することであっても、つらい毎日をなんとか生きるためにその方にとってはそれが必要という見方もできます。

ということもあり、行動だけにフォーカスして「なんとかこれをやめたい」と考えたり、家族が「なんとかやめさせよう」としたとしてもなかなか難しいのです。

周囲がいくら根性論で本人を責めても、問題は解決しません。叱責や処罰だけでは、むしろ状況を悪化させてしまいます。引用:依存症についてもっと知りたい方へ

つまり力づくでの行動の改善は難しく、これは周囲の人のあり方に限らず本人が自分を責め続けている場合もまったく同じです。

行動を繰り返してしまう自分をどれだけ責めたとしても、責めることで自己否定によるストレスを潜在的にはためてしまうので、かえって行動の改善につながりにくくなってしまいます。

行動そのものではなく、その行動を引き起こしてしまう自分のなかにある「心の要因」のほうに目を向けるほうが、むしろ重要です。

アルコール外来に通い始めた方から伺った話ですが、「HALT」という飲酒の引き金になる心理的要因の頭文字をまずは覚えるよう、初めての診察で医師に言われたそうです。

HALTとは、具体的には以下のようなものです。

  • Hungry 空腹
  • Angry 怒り / Anxiety  不安 
  • Lonely 孤独
  • Tired 疲労

お話を伺っていて、なるほどこれはアルコールに限らずほかの様々な依存症の要因としても共通だな感じました。

つまり対象がなんであれ、それに手を出してしまう原因として、上記のような健やかではない心身の状態がまず存在しているとを自分で認めることが、改善へのプロセスのスタートになるわけです。

繊細さんと依存症について

ここまで見てくると、なぜいわゆる「繊細さん」が依存症に陥りやすいのか、その理由がなんとなく浮かび上がってきます。

人一倍感じやすく傷つきやすいとされる「繊細さん」の心の中では、上の「HALT」はどの要素も人一倍強く感じられている可能性があると思うのです。

エンパスやHSP診断のチェック項目のなかには、「空腹になると、集中できないとか気分が悪くなるといった強い反応が起こる」というものや、「大したことしてないのに、なぜか疲れやすい」というものが見られます。

空腹(H)や疲れやすさ(T)だけでなく、小さい頃から外に出さないようにしていた抑圧された怒り(A)も、自分が傷つくことへの不安(A)も、「人と違う」と感じてしまうことで感じる孤独感(L)も、繊細さんの心の中には人一倍大きく存在しているのかもしれません。

人一倍痛みが大きいということは、それを感じないよう自分の感覚を麻痺させるために外側の「刺激」を求めてしまう力もそれだけ大きくかかってしまいます。

感覚を一時的にでも麻痺させてくれる外側の刺激は、アルコール、買い物、人とのつながり(SNSや電話相談を含め)、性欲の解消、過食、カフェインなど人によって異なりますが、それがあることによって心の中にある苦しみを感じずにすみ、なんとか自分を保てるという意味で、これは一種の心理的な自己防衛反応とも言えます。

ちなみに私が以前ダンスにハマってしまったのも、やはり心の深いところにずっと存在していた「不安」や「寂しさ」、もっというと「自分への無価値感」による痛みを、楽しく踊っている間は感じなくてすんでいたからだったのかもと、今振り返って感じます。

まとめ(改善に向けて)

電話相談室での依存症にまつわる相談の際にもお伝えしていますが、結論から言うと依存症の改善は、行動の引き金になっている「つらい感情」に目を向けることが不可欠です。

「そのやめられない行動によって感じないよう遠ざけている感情があるとしたら、どんなものか?」

そんな質問をきっかけにご本人が自分のなかに本当はある寂しさや不安の感情、また、それを生み出す原因となっている過去の出来事や幼少期の心の傷に気がつくことができると、それだけで何かが変容をはじめるのを電話越しでも感じることができます。

長いことフタをしていた苦しい感情に光があたることで、止まっていた時間が流れ始めて癒しのプロセスが自然にはじまる、そんなイメージです。

感情は見ないことにしていると、蓄積し続けて見えないところで膨らんでいきます。それでもないことにしようとすると、さらに感覚を麻痺させるための外からの強い刺激(依存対象)が必要となり、「やめたくてもやめられない」苦しい状態がいつまでも続くのです。

 

ダンス依存になっていた15年以上前に私が始めた教室は、多くの人で賑わうダンス教室として今も続いています。

ただ、当時の私は教室の規模が大きくなるにつれて心の苦しさや葛藤が大きくなる一方で、最終的にはスタッフとの人間関係のトラブルとして心の底にあったネガティブが現象化してしまい、私1人が去るという、大好きな人たちも自分も深く傷つける願わない結末を迎えてしまいました。

当時私が踊ることで遠ざけようとしていた心の底の痛みに、あのとき少しでも目を向けることができていたら、もう少し違った形で次に進めたのではと思うことがあります。

依存症は改善できます。どうしてもやめられない行動に気づいたら、勇気を出して過去の自分の心の傷に向き合ってみてください。

感じすぎてつらい敏感さんがラクに生きるコツは、感じることにフタをするのではなくて、「ちゃんと感じて終わらせる」ことを積み重ねていくことなのです。


 

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この記事を書いた人

石垣島在住。
感受性が強く生きづらさを感じるエンパス/HSP専門カウンセラー。
電話でのインナーチャイルドヒーリング&カウンセリングのほか、エンパスさんのQOL(人生の幸福度)向上をサポートするさまざまな活動をしています。

\エンパスさんのためのお役立ち情報発信中/
note:https://note.com/muera_note
HP:https://muera.jp

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