前の日は「明日はあれして、これして…」と思うのに当日になるとなにもする気が起きなくてずっと横になってしまうことってありませんか?
「本当は動きたいんだけど動けない」
「外は晴れてるのに気分は寒い雨の日みたいで重い」
鉛みたいな重さが体の中にあるならそれはトラウマの重さかもしれません。
私も過去、この重さには悩んできました。
予定があるときは動けるのですが、その直前まで動けなかったり、誰かが誘ってくれないと外に出られなかったりしました。
だらだらネットサーフィンだけして時間が過ぎることも多かったです。そんな自分が嫌で「なんとかしなきゃ…」と力なく思うのですが、どうにもならずにいました。
孤独感や「もうどうにもならない」という絶望感のようなものも感じていました。それを紛らわすためにDVDを驚くほど見た時期もあり、会社員しながら週に10本は見ていました。見過ぎですよね。笑
でも、なんだかよくわからない憂鬱な重さはトラウマが原因だったのです。それに気が付いてからはトラウマを軽くすることで心も体も軽くなっていきました。ここでは心身の重さにつながるトラウマについてお話しします。
トラウマが心の重さになる
トラウマが心の重さや憂鬱な気分になる理由はトラウマが自己否定を生むからです。
自己否定は何をやっても「自分はだめだ」「人より劣っている」「もっとできないのはおかしい」という感覚です。
「もっと頑張らないと」「こうじゃなきゃいけない」「こうあるべき」という発想を生みやすいです。
「ダメだ、ダメだ」と毎日言われたら気が重くなるのは当然だと思いませんか?トラウマがあるとそれを毎日毎日、寝ている間も自分に言い続けていることになります。当然、心も体も重く、憂鬱になります。
実は、私は「自分はだめだ」と思っている自覚はありませんでした。
でも、小学生の時から「向上心が大切だ」と思っていて、何事も最善を尽くすのが普通のことでした。また「こういう人でいたい、こうあられば」という感覚が強く、あらねばならない自分でいるかどうかいつもチェックしているようなところがありました。
「これはいいのか悪いのか」と善悪で判断することも多かったです。
だから自分が感じることもナチュラルにとらえることができませんでした。「あらねばならない自分ならきっとこう感じるだろう」「だから私もこう感じるはずだ」と考えてしまったからです。
今振り返ると自分がダメだと思うからこそ、あるべき自分になろうとしたし、それは自己否定の賜物でした。「あらねばならない自分」であろうとすることで本来の自分とかけ離れたところにどんどん歩いて行きました。
そうすると本来の自分のことはよくわからなくなって自己否定は加速していきます。本来の自分を無視することになってしまうからです。
周りの人から無視されて辛いのと同じように、心の中で本来の自分が無視されて否定感に傷ついていくのです。こうやって自己否定はゆっくり確実に私の心を重く沈めていきました。
トラウマはいつできる?
自己否定の原因、トラウマは例えばこんなときに生まれます。
自分の服を選べなくて「本当は違うのがいいのに」と満たされない想いを感じたとき、行きたくもない習い事にいかなくちゃいけなくて「行かなきゃぁ」と抑圧が生じた時、周りの大人の些細な一言で傷ついた経験、いじめにあった時などです。
たとえをあげればきりがありませんが、満たされなかった想いや傷ついた経験が心の奥に沈んで傷になります。この傷が自己否定を生みます。
好きな服が着れなくて「本当は違うのがいいのに」という想いが「私は好きな服を着る価値なんでないんだ」「好きなものを手に入れる価値なんてないんだ」という自己否定を作ります。
行きたくない習い事に行って「自分の本当に欲しいものは手に入らない気がする」と無気力になったり、いじめにあって「みんなの仲間に入れてもらえない人間なんだ」という感覚になったりするのです。
ずーんと重いバーストラウマ
トラウマには2種類あり、バーストラウマとインナーチャイルドがあります。
バーストラウマとインナーチャイルドは傷がついた時期によって区別されていて、バーストラウマは母親のお腹にいる時〜生後3ヶ月、インナーチャイルドは生後3ヶ月〜成人するまでです。
言葉でははっきり言えないけど重い、という時はバーストラウマが関係している可能性があります。なぜなら、バーストラウマは言葉が理解できない時期につくものなので非言語で心の奥に沈んでいるからです。
それは「自分に価値がない感じがする」「なんだか重たい」「不安」「孤独感」などはっきり言えないけれどネガティブな感覚です。
バーストラウマって何?
トラウマの中でもバーストラウマはまだあまり知られていないかもしれません。どんなときにつくものなのかもう少しお話ししようと思います。
母親のお腹にいるときは、母親の状況が胎児に影響します。母親のストレスが強いと生まれることにネガティブな印象を持ちます。また、陣痛時、赤ちゃんは子宮の収縮で息が止まります。狭い産道を通り、呼吸の仕方も違う全く新しい世界へ出ていきます。
この時に苦しさや怖さを強く感じること、生まれてすぐ母親と離されて新生児室に連れて行かれる寂しさや孤独が心の奥に沈んでトラウマになります。
子どもから見て傷ついたできごと、満たされなかった想いがトラウマになり、本人の主観で形成されることがトラウマの特徴です。だから同じお産や成長過程の経験でもトラウマになる子どもとならない子どもがいるし、程度にも個人差があります。また、周りから見れば些細な出来事がトラウマになることも多いです。
心を軽くするには
私はトラウマとトラウマが生む自己否定を軽くすることで心身の軽さを手に入れてきました。以前は状態がいい時などほとんどなくて、彼氏といるときに孤独がまぎれているくらいの感じでした。
でも、心を扱うようになってから、晴れた日にゆったりひなたぼっこするときのような、自分の人生に安心しているような暖かくて明るい感覚が心に生まれました。
そして、それは徐々に広がっていき、明るい感覚の方が自然になりました。ここからはトラウマが生む自己否定への対応で、自分でできるものをお伝えします。
自己否定を緩める
どんな自分でいたらいいと思いますか?あるべき自分はどんな人でしょうか?
まず、どんな人でいたいかを見つめてみてください。理想が見つかったら、自分はもうそういう人間だと声をかけてあげてください。
例えば「仕事のできる人でいたい」だったら「私は仕事ができる」と声をかけます。「優秀でいたい」のなら「私は優秀だ」「気が利く人になりたい」のなら「私は気が利く」という感じです。これはどんな人でいたいか、その気持ちの裏にある仕事ができない、優秀じゃない、気遣いができないという否定感を見つけて、緩めるための方法です。
できないことはなかなか思いつかないものです。本当に気が利かない人は自分が気が効くかどうかなんて考えません。ある程度、そこに対するセンサーがあるから気が効くか利かないかという発想が生まれます。
だから「こんな自分だったらいいな」という理想や「あらねばならない自分」を見つけたらそのような人になるセンスは既に持っています。むしろ今まで意識してきたのなら、もうすでにそのような人になっている可能性は十分にあります。
誰かの素敵なところを見つける
「こんな人になれたらいいなぁ」と思うことはありますか?
もしあるなら、あなたにも同じようないいところがあります。人は鏡です。似たようなところが共鳴して見えるものです。だから自分と似たところを相手に見つけて「いいなぁ」と言うのです。
周りの人のいいなと思うところを集めて、「自分にも同じところがあるんだなぁ」と認識してみてください。メモをして眺めてもいいかもしれません。意識したら、自分にも同じようなものがあるのに気がつくと思います。
まとめ
トラウマが作りだす自己否定は私たちの心も体も重くして、人生を憂鬱に曇らせてしまいます。自己否定を緩めれば少しづつ軽くなります。まるで羽が生えた感じです。明るくて軽い日々にこの記事がお役に立てたら嬉しいです。