過干渉な親を持つとあれこれ口出しされて、好きなようにできないことが多いですよね。
「もっと違う学生時代を送りたかったのに」
「やりたいことができなかった」
と人生や青春を奪われたように感じている人も多いのではないでしょうか。
私も学生時代はできないことが多くて辛かったです。友達と同じことができなかったり、好きなことを好きだと言えなかったりしました。
明確にダメだと言われなくても顔色を伺ってやらないこともたくさんありました。
だから「本当はこうしたかったのに…。」「もっとこんな経験しておけば…。」と後悔が残っていました。卒業してからもどこか母の目を気にしているようなところがあって、そこから自由になりたくて海外に行ったり、家を出たりしました。
でも、物理的に距離を置いても、できなかったことを今になってやってみても、どんなに母を憎んでも自由になれた感覚がなくてどこか重たいと感じていました。
それに加えて、自分が他の人と比べて欠けているというか、経験不足で恥ずかしいような感覚をいつも抱えて生きていました。
心のことを学ぶうちに気がついたことは、そこから私を自由にしてくれるは主体性だということででした。
「お母さんのせいでやりたいことができなかった」と思っていると母親の影響力を許し、人生を動かしていくのは母親だという場所に無意識に立ち続けることになります。
「母親のせいで人生がどうにでもなってしまう」「自分にはどうにもできない」という場所です。
そこから「人生を動かしていくのは自分だ」という場所に立つこと、つまり主体性を持つことが自由になることなのだとわかりました。
この記事では、その場所にたどり着くまでの歩みとエッセンスをご紹介します。
親を嫌いになってもいい
まずは親を嫌いになってもいいと自分に許すことは重要です。
親を許せないと感じることにどこか居心地の悪さや罪悪感を感じていませんか?
親を許せない気持ちが大切なのは、怒りは自分を守るために湧く感情だからです。
まずは自分を守ろうとしたことを労ってあげるくらいの気持ちで、親を嫌いになることを許してみてください。
「育ててくれたのに申し訳ない」とか「人にどう思われるんだろう」とか気にする必要はありません。意見の合わない人の1人や2人いますよね。それがたまたま母親だったというだけのことです。
それでも良心が痛んで難しいという人には朗報があります。
ちゃんと嫌いになったら、自然と感謝できます。だから安心して、一度は嫌いになってください。仲が悪かったのに喧嘩したら仲良くなる友達ってたまにいますよね。そんな感じでしょうか。
怒りと悲しみを癒す
過干渉で育てられた人は怒りが溜まっています。
過干渉は自分とは違う価値観や考え方を押し付けることです。つまり本来の自分がそれによって傷つけられてしまいます。
だから「それは違う!」と自分を守ろうとするのです。過干渉に育てられた人の中には決めつけられるのが嫌いな人も多いです。
その下には理解されない深い悲しみがあります。決めつけられて分かってもらえない辛さ、本当の自分は見つけてもらえない悲しみが怒りに変わります。
怒りや悲しみは「お母さんのせいだ!」と責める気持ちの原動力です。この感情ががたくさんあると親を憎む方向にエネルギーが向かい、母親の影響力を許す立ち位置が強化されます。
そこから抜けるには怒りや悲しみの量を減らすのが有効です。
怒りや悲しみの量を減らすには追体験をして感情を感じることです。言われて嫌だったこと、されて嫌だったことを思い出しながら、その時にの感情を感じることができると感情の量は減っていきます。
自分では難しいという方はカウンセリングを受けるのもいいかもしれません。感情の量は減らしたいけど、もう一度辛い気持ちを思い出すのが嫌だと感じる方はヒーリングも有効です。
自分を育てる
親を責める気持ちが少し落ち着いてきたら、自分を育てることを始めます。
責める気持ちが全部なくならなくても大丈夫です。自分を育てていくことで親の影響力は自然と落ちてきます。
自分を育てるというのは、今感じていることや自分の価値観を知って、それを基準に生きていける状態を作ることです。それは本音に素直に生きるということです。
過干渉で育てられると親の価値観を取り込んで無意識にそれを実行してしまいます。その結果、今感じていることもわかりにくくなってしまうし、自分の価値観も掴みづらいです。
自分のことがわからない、好きなことがわからない状態です。その前に「好き」という感覚がわからないという人もいるかもしれません。
今わからないからといって諦める必要はありません。「自分は何を感じていて、どうしたいのか」素直に感じる機会が足らないまま成長してしまっただけなので、今からその時間をとるだけです。
はじめはわからなくて当然です。
「今感じていることは何か」「大切にしたいことは何か」に耳をかたむける時間をとってみてください。飲み物でも、カフェで座る席でも些細なことで構いません。
小さなことから行動し、自分の心が動くものを集めていくことが自分を育てることです。
経験を糧にする
怒りと悲しみを癒しながら自分を育てていると、嫌だった経験から得られることが見えてくることがあります。
責める気持ちがなくなって、ただの記憶になる感覚や「お母さんも頑張ってたのかな」という感覚が生まれる時です。
でも、無理やり「仕方なかった」「お母さんも頑張っていた」と考えないようにご注意ください。あくまでも自然とただの記憶に感じられたり、別の視点が生まれるを待ちます。
もし、これが見えてきたら大きく前進した合図です。合図があったら見逃さないでください。
新しい感覚が体に広がるのを味わってみてください。味わったら、その経験や感覚があるからこそ今できていることを目を向けてみます。経験を糧にできる時が大きく前に進む時です。
私にも、合図は何度もやってきました。「あの時の経験や得た感覚があるからこれができるんだなぁ」と自然と思えることで深く癒されることができました。
奪われた人生が戻ってくるとき
プロセスが進んだある日「お母さんを選んだのは自分だった」と感じたことがありました。まるで生まれる前に母を選んだ感覚が自分の中に蘇ってくるようでした。
それまで「お母さんのせいで」と思っていた学生時代や幼少期のあれこれは、私が望んで選んだことだと実感してしまったのです。世界がひっくり返ったようでした。
その時、人生の主人公が母親から私に切り替わりました。「自分の人生をつくるのは他でもない私だ」という場所に立った瞬間でした。
その場所に立つようになってから「私の人生は奪われていたのではなく、ただ私が選んだことを経験していただけなんだ」と考えるようになりました。もともと奪われてなどいなかったという事実に気がつき、人生を取り戻したのでした。
自分の人生を描く本質的自由
過干渉で育てられると「これはいいのか悪いのか」「今どうするべきなのか」「どんな人でいればいいのか」と人前で自分らしくいられない時があります。
そうやって人の判断軸や周りの評価に合わせたり、それに左右されてしまうことほど不自由なことはありません。私がかつて不自由さを感じていたのも他人軸だったからでした。
そこから出て、自分の価値観で人生を作る場所に立っていると感じる今、私は本当に自由です。
他人のルールに左右されることなく行動し、自分がいいと感じるものをなんの迷いもなく選び、好きなことを好きと言い、今どうしたいのかに素直に正直に行動できる心理状態が本質的な自由なのだと思います。
本質的に自由な心で描く、自由な人生はきっと他の誰とも似ていない、その人だけの人生になるのだと思います。