わたしたちは
なにものかであって
なにものでもない。
「自分」という仮面を被り
仮面の中で生きている。
「自分」という仮面を外したいと願い
「自分」という仮面が外れることを知っている。
「自分」という仮面が外れてしまったとき、
仮面の下から現れる
本当の「自分」とはいったいなにものなのだろうか。
ありのままの自分が出てくるとき
何かを達成することで
何かに到達することで
今までの自分とは違った
新たな自分と出会うことができると信じている自分がいる。
もしも、今よりも稼ぐことができたら
もしも、結婚できたら
もしも、仕事を辞めたら
もしも、離婚できたら
いろいろな「もしも」がそれぞれの人生に見え隠れしている。
大きなことでなくてもいいかもしれない。
もしも、
- 一歩を踏み出せたなら
- 言いたいことを言えたなら
- つらいときに「ツライ」と言えたなら
- 恐いものを克服できたなら
- 食べたかったものが食べられたなら
- 一緒にいたい人と過ごすことができたなら
いろいろな「もしも」を人々は抱えながら生きている。
自分の中にしまい込んでしまっている
いろいろな「もしも」を実現することで
今までとは違った新しい自分
「ありのままの自分」と言えるような自分が
新たに顔を出すとすれば。
それは
喜ばしいことだろうか?
自分という仮面
わたしたちは「今」という
その瞬間まで
「自分」という仮面を被って生きている。
仮面を通して世の中を見て
仮面を通した自分を相手の中に見ている。
自分という「仮面」を通した私は
わたしであって、私ではない。
と、
誰もが感じている。
感じてはいるが
手放すことは難しい。
それは
恐れとも似た感覚の中にある。
そう、
仮面を外すことを
「恐い」と感じている。
自分という仮面を外す恐怖には、なにがあるのだろうか?
- わたしとは違う、わたし
- 恥ずかしくて世の中にはお見せできない、わたし
- 誰にも認められない、わたし
- あまりにも醜い、わたし
- 非情な、わたし
- 顔の無い、わたし
- ダメな、わたし
- 完璧ではない、わたし
わたしが「今」のわたしでは無くなってしまうことで
でてくる
本当の自分に
- 雲の中を飛び続けるような
- 木が生い茂る森の中を進むような
- 水平線に向かって海を泳ぐような
- 底の見えない海の中を潜るような
先の見えない不安と同じ感覚の中に
自分という「仮面」を取り去った自分を想像し、
先の見えない恐怖と共に、
そのままのわたしで居続けようとすることを望む。
自分という仮面をはずしたら
わたしたちはいつだって
自分という「仮面」をはずすことができる。
そう、
今すぐにでも。
新たな自分になれる。
- 誰かが決めることでも
- 人が評価することでも
- 誰かに認められることでもなく
自分が決めることだから。
自分という「仮面」をはずす恐怖
「仮面」は自分ではずせるという間違えようの無い事実がある。
自分という「仮面」を外すことに対する
わたしの中が感じている「恐怖心」は
なにを「恐怖」と感じているのだろうか。
恐怖とは
先の見えない不安である。
先が見えないことへの不安から恐怖を感じている。
ありのままの自分になるとき
自分という「仮面」が外れることで
わたしは
ありのままの自分になることを知っている。
仮面の下から出てくるのは
きっと
なにものでもない
ありのままの自分である。
ありのままの自分は
「今」この瞬間まで存在していた
「過去の自分」とは違った、新たな自分。
過去の自分とは違う、ありのままの自分
「過去の自分」とは違った、
新たな自分は
果たしてどんな自分なのか?
自分では分からない。
なぜ?
今まで
仮面を外したことがないから。
経験したことが無いことを
これから始めようとしている。
わからなくて当然。
過去の自分にはわからない自分が
仮面の下から出てくる。
わからないから「恐怖と不安」がでてくる。
わからないから前を向く
人が人として生きていく上でわからないことはたくさんある。
小さな子供は
わからないことに前のめりに興味を示す。
わからないことを厭わない。
そして、
自分が成長して、変わることに違和感を感じることはない。
大人になると事情が変わる。
- 周りの人にどう思われているだろうか?
- 誰にも認めてもらえないのではないだろうか?
- 誰かに迷惑をかけているのではないか?
- 平穏無事な日々を過ごすことが大事なのではないか?
誰も変化を望んでいないし、
自分自身も進んで変化することを望まなくなってしまう。
しかし、
残念なことに
わたしの心の奥の方には
常に
変化と成長を望む心が顔を出してくる。
抑えつければ抑えつけるほどに
ムクムクと
モクモクと
霧が広がるように
スーっと
刺激を入れてくる。
何ものでもない、わたしになる
今、被っている
自分という「仮面」を外したとき
わたしが見るわたしは
「何ものでもないわたし」になっている。
それは
過去の自分が経験したことの無い、
見たことの無い
知ることの無かった
「何ものでもないわたし」である。
何ものでもないわたしは
- どこにも所属しない
- 誰にも似ていない
- 誰にも支配されない
- 誰とも繋がっていない
ただ一人の
わたしという存在。