なんか自由になりたい。
日本が窮屈。
どこか違う場所に行きたい。
そんな気持ちが爆発しちゃって、 本当に旅に出てみました。
旅した期間は5年くらい。(たぶん)
2、3ヶ月で次の場所に移動するノマド生活でした。
旅する前は行きたい場所に、行きたい時に、好きなだけ行けば自由を感じられる!と思っていました。
旅してみたら、残念だけど、全然そんなことありませんでした。
でも、もっとその先にある本質的な自由を見つけました。
旅になんか出なくても、本質的自由が手に入れば、人はどこまでも自由になれます。
今日は旅を振り返って、私が見つけた本質的な自由について話してみようと思います。
ノマド生活の始まり アメリカ
私の旅はアメリカから始まりました。
大学を卒業するころから「やりたいことがよくわからない」と進路を決められなかった私は、今まで興味があったけど、やらなかったことを全部やってみることにしました。
それが海外で生活することでした。
とりあえず通っていた大学院を休学して、アメリカに行きました。
当時、窮屈で大嫌いだった日本から、念願の脱出です!
嬉しすぎたけど、同じくらい不安でした。
ちょうど年が明けてしばらく経った真冬の季節でした。
最初の滞在はシアトルでした。
ちなみに英語勉強して行ったけど全然話せませんでした。
See you around(またね)も聞き取れなくて5回ぐらい聞き返したし…。笑
そんな状態でしたが、持ち前の気軽さ(?)を発揮していきなりコミュニティカレッジに通いました。
思い込みから自由になったスクールライフ
コミュニティカレッジは州が運営する二年制の学校です。
日本の短大のような場所、と聞いていました。
コミュニティカレッジから大学に編入する人も多いです。
実際に通ってみると、日本の短大とはかなり様子が違いました。
日本だと短大といえば18歳から20歳くらいの高校卒業後の人がいるイメージですが、そういう学生は半分以下でした。あまりにもいろんな人がいるので「ここ、ほんとに学校?」って感じもありました。
働きながら通う人、子どもがいる人、退職した人、色んなバックグラウンドの人がいて、年齢もかなり幅広かったです。
平均年齢は33歳と聞きました。
この様子を見る前、アメリカでは普通にコミュニティカレッジで学生として過ごして、日本の大学院に戻るプランがなんとなく優勢でした。
「この歳ならそろそろ就職するのが当たり前だ」と心のどこかで感じていたからです。
でも、アメリカのコミュニティーカレッジでいろんな人と関わっていると、年齢と自分がすることは関係ない、年齢でやることを決める必要なんてないんだと感じました。
アメリカでは普段生活していて、どんなことに興味があるのか、何がしたいのかは聞かれることがあっても、初対面で年齢を聞かれることってありませんでした。
「年相応よりも自分らしくいたい」そう思うようになりました。
今思えば、こう思ったのが本当の意味で私の旅の始まりだったのかもしれません。「年相応にしなくていいなら、何がしたいんだろう?」と考え始めたからです。
これを考え始めた時には、日本の大学院に戻るという選択肢はなくなっていました。
オーガニックのメッカウィスコンシン州へ
初夏になる頃、中部のウィスコンシン州へ向かいました。ウィスコンシンは当時、携帯の電波がないエリアばかりの田舎でした。
アメリカ全土に広がるオーガニック生協が生まれた場所で、オーガニックのメッカです。
ウィスコンシンではオーガニックファームを紹介してもらって、働く代わりに食べ物と住む場所を提供してもらって過ごしました。
そこでは食べ物は冷蔵庫じゃなくて畑にあるので、いつも畑に取りに行きました。
摘みたてのラズベリーを朝食にしたり、畑の中で昼食を考えるのは今思い出しても本当に豊かで楽しい時間でした。
地域の人たちが野菜と交換で、代わる代わる手伝いに来ていて、みんなでお喋りしながら農作業したり(こんな感じ↓)
ビール飲みながら出荷の準備したり「仕事ってこんなに遊びながらやっていいんだ…」なんて思いました。「こうすべき」にもとらわれず、年齢にもとらわれないアメリカで出会った人たちは自由に見えました。
ノマド的自由と拭えない窮屈感
夏が終わる頃、アメリカから帰国しました。
やっぱり大学院へは戻りませんでした。興味のままに移動したり、何かに挑戦したりする生活をもう少し続けたかったからです。
続けていれば「アメリカで見た、なににもとらわれない自由な人たちのようになれる」と心のどこかで思っていたのかもしれません。
北海道に行こうと思った次の日には北海道にいたし、沖縄に行こうと思った次の日には沖縄にいました。
好きな時に好きな場所に行くこの生活では私は時間や場所の制約から自由でした。
それなのに実はあんまり自由を感じていませんでした。
アメリカに行く前に感じていた窮屈感はまだ心の中にあって、自由になりたいという気持ちはずっと変わらず持ち続けていました。
相変わらずやりたいこともよくわからないままで、環境は大きく変わったのに何も変わらない自分がいました。
こんなに自由に動いていて私を制限するものは何もないのに、ずっと窮屈な規則の中にいる気持ちがなくならなかったんです。
正直言うと、環境の自由さのせいか心の中にある窮屈感が際立って、人生で一番不自由を感じていた期間でした。
その気持ちのまま、ずっとノマド生活を続けていました。
中には1、2年住んだ場所もありました。
このままずっとノマドして生きていくのかなぁ、なんて思っていました。
定住したり、正社員になったらもっともっと息苦しくなると思ったからです。
不自由さは心の中にある
そんなふうに思いながら旅を続けていた時のことです。
あるヒーリングに出会いました。
それがきっかけでインナーチャイルドを癒したり、感情のことを学んだりするようになりました。
それはまるで、今まで見つけられなかった自分を知る旅のようでした。
今までわからなかった本当の自分、好きなこと、やりたいこと…外に旅して探してきたものが全部心の中にあることに大きな感動を覚えました。
こうして、偶然なのか、導かれたのか、旅の行き先を外から内に変えました。
内への旅は、本当に面白かったです。
外に旅に出ていた時と比べ物にならないくらいのスピードで世界が広がっていきました。
行き先を内側に変えたことで、それまで私が感じてきた不自由さや生きづらさの原因は、私の心の中にあると気がつくことになりました。
例えばそれは「できる自分でいなければ」とできる自分を演じることでした。
「できる自分」ならするであろう行動をして、「できる自分」なら感じるであろうことを感じていると自分に言い聞かせました。
「できる自分」という窮屈でサイズの合わない着ぐるみを着ている感じでした。
「できる自分」とは気が使えるとか、能力が高いとか、いろんなイメージがありました。
次の旅先は自由に選んでいても、窮屈な着ぐるみを着ていたことが私に不自由さを感じさせました。
窮屈な着ぐるみを着た人が、自由になるためにあちこち動き回っていたという感じでしょうか。
今になって振り返ると「先にその着ぐるみ脱いだ方がよかったんじゃない?」って思います。
心の自由を求めて
心を扱うようになって、やっと自分の着ている窮屈な着ぐるみに気がついて、その着ぐるみを脱ぐことができたんです。
そのプロセスは「できる人」という着ぐるみはもちろん「こうあるべきだ」と心の深いところで無理していたことを一つひとつやめていくプロセスでもありました。
着ぐるみを着なくても、そのままの自分でいいと認めるための旅でした。
いろんなことが変化しましたが、一番の変化は自由でいたいがためにずっと続けると思っていたノマド生活をあっけなく終わらせたことでした。
心が自由になってきたことで、どこで何をしていても「自分は自由だ」と感じられるようになりました。
それで、移動する理由がなくなってしまったのです。これには自分でも驚いてしまいました。
ノマド生活をやめた後は、ヴィーガンパティシエとして就職しました。
それまで仕事が長く続いたことなんてありませんでしたが、正社員として何年も勤務しました。
正社員として働いている間、私の心はノマド生活をしていた時よりもずっと自由を感じていました。
本質的自由とは
時間や場所、周りの環境で自由かどうかが決まるのではないと思います。
自由かどうかは、心の中に制限があるかどうかで決まります。「こうしなければならない」「こうあるべきだ」そういう着ぐるみを着ていれば着ているほど、不自由さを感じます。
「こうあるべき」その思い込みを手放して、ありのままの自分でいられること、その自分を認められることが本質的な自由なのだと思います。