コロナの対応が日常の当たり前になるくらい生活や時代が変わってきています。
仕事のやり方もオンラインがどんどん増えてきていますね。
システムエンジニアは在宅勤務がやりやすい業種で通勤の負荷が軽減されて助かるのですが、逆に残業が増えてしまう傾向もあります。
通勤時間がなくなる分、仕事ができてしまい、すぐそばに監視する上司もいない。
そんな環境の中で求められるのは自己管理だと思います。
それは仕事の進捗や成果だけでなく、自分の健康や幸せについても、自分で管理していく必要が高まっているように感じます。
そんな時代を幸せに生きていくためには何が必要なのでしょうか?
納期と作業に追われる毎日は当たり前か?
システムエンジニアをしていると、納期と作業に追われる毎日が当たり前のように感じてしまいます。
コロナの影響で企業のIT投資の費用が削減されて、仕事が減っていくのかと思えば、そうでもありませんでした。
業種にもよりますが、人ができるだけ介在しないシステム運用が望まれていると感じます。
コロナを機にAI化が進むのかもしれませんね。
日本の会社は欧米と違い、業務でも「ほどよさ」が求められる傾向があると思います。
システム(仕組み)に人が合わせるのではなく、業務の細やかなパターンを網羅して手厚い顧客対応をする傾向が強いのでしょう。
経験上、「システム(仕組み)上、この対応はできません!」というスタンスの企業は少ないと感じます。
なんとかして、レアなニーズにも対応したいという精神が感じられます。
日本人ならではの良さとも言えますし、余計な手間とも考えられます。
ということで、システム開発としては、レアな運用にも対応できる仕様が求められます。
ただ、「今まで通りの運用を保証する。」という事でもあるため、保守的とも言えます。
ですので、システム開発の改定ではそのシステム関する有識者がいないと抜け漏れが発生しやすい状況だと感じます。
事実として、新しく参画した人はしばらく丁稚奉公のように、そのシステムの運用や細かなクセのようなものを学ぶ期間が必要です。
システムエンジニアも上流や中堅どころは特に人手不足のようで、大きなプロジェクトをやろうにも、「適当な人がいない、、」という声をよく聞きます。
そんな背景もあり、システム開発に携わる人は特に、毎日作業と納期に追われやすいと考えています。
いつになったら、システム開発業界に穏やかな日々は訪れるのでしょうか。
仕事が早く終わったら、他の人の作業の手伝いをすることも多いので、時間が空くことはかなりレアな状況だと感じます。
そのような仕事のスタイルを新入社員時代から行っているため、忙しいのが当たり前でそれが「日常」という認識になっている人も多いのかもしれないですね。
労働時間のコンプライアンスを意識しているものの、定時帰りが普通ではなく、残業は月80時間以内で収まるればいい、、という発想の管理職やマネージャーも多いのでは?と感じます。
そんなこともあり、真面目で責任感の強い人ほど、作業の完了や納期の厳守、残業時間の制限などを受けて、肉体も心も疲弊しやすいのではないでしょうか。
「私にはこの作業は無理です。」と素直に言えればいいのですが、責任感の強い人は、自分で抱え込んで頑張ってしまいがちだと思います。
私も昔はそうでしたが10年ほど経験すると、「自分の体や心を疲弊させて、それに見合うものが得られないのでは?」と感じはじめ、そんな仕事のやり方を手放していきました。
このような経験を元に、仕事で無理に疲弊することなく、「自分の幸せ」を大切にするコツをお伝えしたいと思います。
真面目な人ほど、与えられた仕事を頑張ってこなす責任感が強い
先程もお伝えしましたが、真面目な人ほど責任感が強いものです。
そうであれば、無茶振りされた負荷の高い作業も、自分でなんと頑張ってしまいがちだと思います。
それが達成できた時の満足感はあるかもしれませんが、そのやり方では心身の負荷が高いでしょう。
周りを見ていみると50歳を過ぎても頻繁に夜10時を過ぎまで、頑張っている人もいます。
今まで仕事を長時間頑張って乗り越えてきた昭和の世代は、特に無理と言えないのかもしれません。
その人と上司の進捗報告会に参加した事がありますが、「今の大変な状況を乗り越えれば、落ち着くと思います。」と報告していました。
私の目から見ると、これから更に忙しくなるのでは、、と思いましたが、さすがに突っ込めませんでした。(笑)
日本の会社員の「与えられた仕事をやり抜く根性」はすごいと思います。
責任感でなんとか自分を奮い立たせて仕事をこなしているのかもしれません。
それが本人の幸せなのかは分かりませんが、いつも余裕のない表情で辛そうな雰囲気がにじみ出ていました。
ただ、その人からは「自分がやるしかないでしょう!」という心意気を感じ、本人の主観と周りから見た客観のズレを感じた瞬間でした。
なぜ、無理して頑張ってしまうのか?
では、真面目で責任感の強い人ほどなぜ、無理して頑張ってしまうのでしょうか?
「自分の仕事を頑張るなんて、当たり前でしょ!」という人も多いのかもしれませんね。
かくゆう私も昔は「仕事は長時間頑張って、なんぼ!」と思っていました。
人より長い間仕事をして、結果を出して、評価されて、昇格する。
というベーシックな昭和の高度経済成長期のモデルがどっぷり染み付いていた感じです。
「与えられた仕事に対して、いかに結果を出すのか!」が最も重要で、自分の都合や幸せの事はほぼ考えていませんでした。
当時を振り返ると「仕事の結果=自分の価値」という意識が強かったように思います。
「会社員としての義務や責任を全うする。」と表現すれば聞こえはいいのですが、仕事で結果を出さないと評価されないため、「自分に価値が無いように感じてしまうのが嫌だった。」のが本音です。
結果が出ようが出まいが、全く評価に影響せず、怒られることもなければ、無理して頑張ることはしないでしょう。
そう考えると、出世して給料を上げて、評価を得るのが仕事の目的になっていて、本来の自分の幸せとあまり結びついていなかった感じがします。
あくまで、出世や給料アップは目標で、その先に「自分の幸せ」が繋がっているほうが自然で、自分に優しいでしょう。
周りの評価に自分の価値判断を委ね過ぎると、頑張り続ける辛い生き方になってしまうのかもしれませんね。
みんな子供の頃は毎日が楽しかった。
大人になるにつれて、人生はだんだんとつまらなくなっていくものなのでしょうか。
確かに、成長するにつれて、毎日楽しく、笑って生きる感覚が増していく人は少ないように感じます。
どこかで、子供の頃の素直な感覚が薄れていくのかもしれません。
個人的には、学校でやりたくない勉強をさせられた辺りから、毎日の楽しさが減っていった気がします。
もちろん、休憩時間や放課後など楽しい時間はありましたが、それまでの1日の楽しさの割合からすると減っている感じです。
さらに、親や先生からできるだけ高い偏差値の学校に行くように求められ、勉強を頑張ることを覚えていきます。
そうすれば、評価されやすく、自分に価値がある実感を得られやすいのでしょう。
自分の存在や価値をどのような基準で判断するのかは人それぞれでしょうが、多くの場合、他者の評価を通じて判断すると思います。
偏差値の高い高校や大学へと進学するために、遊びがメインだった日常から、勉強がメインに変わっていきます。
勉強をやりたいのであれば、それは楽しい時間になりますが、多くの人はそうでないように感じます。
私の中学生、高校生時代を振り返ると、楽しそうに勉強している人はほぼいなかったように思います。
効率的に勉強する人はいましたが、楽しさがあったかといえば、違うように感じます。
もしかしたら、高校生までの遊びたい抑圧が積み重なって、大学では遊ぶことが目的になるのかもしれません。
大学デビューという言葉もありましたが、高校生では真面目な人が大学で急に弾けることは割とあります。
そう言えば、友達が「大学時代は人生の夏休み」と言っていました。
今後、会社に就職すると仕事に追われて、また頑張る生き方に戻ると感じての一言かもしれません。
子供ココロを取り戻すと、毎日が楽しくなる。
では、大人が子供の頃のように楽しく生きることは不可能なのでしょうか?
個人的には、大人でも子供ココロを取り戻せれば、仕事や日常の楽しさが高まると感じています。
せっかく生まれたこの人生。仕事をするのであれば、楽しめるほうが幸せに生きられると思います。
「それができれば苦労はしない。」という声も聞こえてきそうですが、
どうすれば子供ココロを取り戻していけるのでしょうか?
・楽しい感覚
・好き嫌いが判断基準
・やりたいかどうかが大事
・素直な感性
・自由な発想
など、子供ココロの特徴はいくつかありますが、まずは「自分の素直な欲求をキャッチする」ことが、第一歩だと考えています。
例えば、お昼のランチを選ぶ際にお店のメニューを見て、「できるだけ頭で考えずに食べたい欲求」で選ぶようにします。
「バカ」になって選ぶ、という表現のほうが分かりやすいかもしれません。(笑)
一見簡単なようですが、実際にやってみると意外と難しいものでした。
「カロリーが気になる。」
「体脂肪が気になる。」
「栄養バランスを気にしてしまう。」
「昨日はお肉を食べたから別のものにしよう。」
「値段が高いな。」
「お得なものはどれか?」
など、ついつい頭で考えて、自分が本当に食べたいものが選べないことが多かったですね。
「本当は唐揚げ定食が食べたいのに、カロリーや体脂肪を気にして、サバの味噌煮定食にする。」というように「自分の選択が素直な欲求とはズレてしまう」ことはよくあるように思います。
大人になると様々な経験や知識を得て、情報を元に判断してしまうものです。
それは健康維持に有効な場合もあると思いますが、素直な自分の欲求を抑圧していることにもなります。
ですので、その選択方法が当たり前になっていくと、どこか自分が満たされない状態になり、毎日が少しずつつまらなくなっていくように感じます。
子供の頃はカロリーなど気にしないで、食べたいものだけ食べるのが自然だったと思います。
親が制限することはありますが、食べたくないものは基本的に食べないようにするのが子供です。
子供は食事に関する知識も少ないので、自分の感覚や欲求だけで選択していると思います。
ですので、この感覚を取り戻すトレーニングとして、「自分の素直な欲求をキャッチする」ことを意識してみるのがお奨めです。
実際に行動することは難しい場合もあるので、まずは「自分の素直な欲求に気づく」ように日々、意識してみましょう。
自分の素直な欲求に気づけると、本来の自分を発見できて、日常的に良い刺激が得られると思います。
これだけでも、毎日の楽しさがアップしていくと思いますよ。
まとめ
大人になっても、子供ココロは無くなっている訳ではありません。
日々の忙しさや、今まで得た経験や知識を優先してしまい、ちょっと忘れているだけだと思います。
大人には計画力や行動力、論理的な判断や権限など、人生をより豊かにしていく能力がたくさんあります。
それを会社のためや、周りの誰かのためではなく、まずは自分のために使っていけると人生の充実度が上がっていくと感じます。
誰かのために何かをしてあげたい気持ちは大事ですが、「自分の幸せはもっと大事」です。
自分が癒やされて、満たされて、幸せになることで、周りの誰かをもっと幸せにできるのだと思います。
ですので、まずは子供の頃の素直な感性や欲求を取り戻して、日常生活に少しずつ活かしていけると良いですね。
今は「人生100年」と言われる長寿の時代。頑張り続ける辛い人生よりも、自分らしい喜びのある人生を生きたいですね。