紀元前3,000年から紀元前30年頃まで続いた古代エジプトには美しくもたくましい王妃が何人もいました。
彼女達の生き方は現代に生きる私達の生き方とも共通し、多くのことを教えてくれます。
今回は家族愛に生きた3人の王妃と、彼女達とは異質の人生を選んだ1人の王妃の人生を辿りたいと思います。
1.古代エジプトにもいた愛に満ちた女性達
古代エジプトの王妃の中で最も有名なのは、やはりクレオパトラ7世でしょうか。
「絶世の美女」として有名で(真実かどうかは定かではありません)、非常に頭も良かったことから当時のローマの英雄カエサルや共和制ローマの政治家・軍人だったアントニウスを虜にしました。
クレオパトラ7世は息子のカエサリオンのために命を懸けた強い母でもありました。
そして、古代エジプトには彼女の他にも強く美しい女性がたくさんいたようです。
1-1夫と共に改革を推進したネフェルティティ
エジプト新王国時代(紀元前1570年頃‐紀元前1070年頃)の第18王朝のファラオだったアクエンアテンの正妃でツタンカーメンの義母にあたる女性です。
ネフェルティティとアクエンアテンはかなり仲が良く、二人で新しいことを色々と行いました。
彼らの行ったことで最も有名なのが世界で最初の一神教の崇拝です。
それまでのエジプトはずっと多神教が崇拝されていました。
そのため、多神教の教団や神官達が権力を握り政治腐敗が横行していたのだと考えられます。
ネフェルティティとアクエンアテンは宗教改革を行うことでファラオを頂点とする新しい社会作りを実践しようとしました。
国家の宗教をいきなり一神教に改宗するのは当時の常識からいってもかなり大胆なことだったと思います。
そのため、アクエンアテンのことを「世界最古の自己主張」と呼ぶこともあります。
二人は従来のアメン神を中心とする多神教を徹底的に排除し、太陽神アテンのみを崇拝する宗教改革を行いました。
首都もテーベから北に約300㎞離れたアケトアテンに移し、新首都では理想主義に基づいて死刑や人間の生贄が禁じられました。
自由を重んじて古い形式や習慣は次から次に壊していったようです。
ネフェルティティとアクエンアテンはありのままの姿を表すことも重視し、アマルナ美術と呼ばれる写実的で開放的な芸術を生み出しました。
従来の像や壁画は決まった様式で制作され本人のそのままの姿を表現したものではありませんでしたが、この二人の像や壁画には子供達にキスをしているものや、ホルモン異常があり下半身がデップリと膨らんでいるアクエンアテンの姿がそのまま残されています。
クレオパトラ7世は本人を表すものがほとんど残っていないので美女だったかは定かではありませんが、ネフェルティティは写実的な胸像が残っていることから本当に美しかったのだと想像されます。
順調に思われた二人の改革ですが、アクエンアテンの心身異常などから失速し、失敗に終わります。
その後、多神教の反対勢力が巻き返しアクエンアテンのレリーフや当時の記述が破壊されてしまったためネフェルティティに関しでも詳細は分かっていません。
しかし、一人の女性が夫や子供達と協力して家族一丸となって理想の幸せを追い求める姿は、昔も変わらず美しかったのだと思います。
ネフェルティティの人生は女性が本来持っている強さと美しさを存分に発揮した人生だったのかもしれません。
1-2世界で最も強い夫をもひれ伏させたネフェルタリ
古代エジプト第19王朝の第3代目のファラオ・ラムセス2世の正妃であり、クレオパトラ7世、ネフェルティティと共に古代エジプトの三大美女と称されています。
彼女を有名にしたのは何と言っても夫・ラムセス2世の存在が大きいと思います。
諸説ありますが、ラムセス2世は24歳で即位し、66年間エジプトを統治して90歳で亡くなったとされています。
古代エジプト人の平均寿命が35~40歳だったことを考えると驚異的な生命力ですね。
現在、ラムセス2世のミイラがエジプト考古学は博物館に展示されていますが、身長は183㎝あります。
古代エジプト人の成人男性の平均身長が160~165㎝ですから、これまた規格外の大男だったと言えます。
ラムセス2世には正妃ネフェルタリの他に何人もの王妃や側室がいたとされ、111人の息子と69人の娘に恵まれました。
また、エジプト各地に自分のレリーフ、像、建築物を作り「世界最古の自己顕示欲」と言われるほど精力と活力に満ちたファラオだったようです。
そのラムセス2世が最も愛した女性がネフェルタリでした。
ネフェルタリが亡くなった時にラムセス2世が詠んだ詩が彼女の墓所の玄室内にいくつかあり、その一つに次のようなものがあるそうです。
「余の愛する者はたゞひとりのみ。何者も余が妃に匹敵する者はなし。生きてあるとき、かの人は至高の美を持つ女人であつた。去りて、しかして余の魂を遙か遠くに奪ひ去りしが故 」(ウィキペディアより)
当時、世界で最も強くモテモテだったであろう男性にここまで言わせるネフェルタリは、本当に魅力的な女性だったのだと思います。
単に外見が美しいだけではなく、もしかすると夫の才能を引き出す能力があったのかもしれません。
ネフェルタリはアブ・シンベルの墓所と神殿の絵の両方にラムセス2世と同じ大きさで描かれています。
通常、王の権力を示すためにファラオの妃は王の膝くらいまでの大きさに描かれます。
それを考えると、ネフェルタリがラムセス2世にとっていかに特別な存在であったかが伺えます。
ラムセス2世が最も偉大なファラオの一人として歴史に名前を残せたのは、ネフェルタリのおかげだったのかもしれませんね。
夫のダメなところばかり指摘する妻もいますが、良いところをたくさん褒められる妻は夫を成功に導けるのかもしれません。
1-3恋がしたかった普通の少女アンケセナーメン
前述したネフェルティティの三女であり、黄金のマスクで有名なツタンカーメンの妻です。
ツタンカーメンとは幼なじみだったと言われ、若くして亡くなったツタンカーメンの棺が発掘された時、その上に乾燥したヤグルマギクが置かれていて、アンケセナーメンが置いたものと言われて話題になりました。
そのヤグルマギクは今でもエジプト考古学博物館に展示してあります。
ツタンカーメンの王墓からはアンケセナーメンに香油を塗ってもらう姿を表した黄金の玉座も発見されており、二人が仲睦まじい若い夫婦だったことを想像させます。
ツタンカーメンもアンケセナーメンも当時の王族の例外に漏れず、覇権争いに人生を翻弄されました。
ツタンカーメンは暗殺されたと言われていますし、アンケセナーメンはツタンカーメンの前に実父のアクエンアテンと結婚していた時期もあり、ツタンカーメンの死後はかなり年上の男性と結婚させられたとも言われています。
これらのことが本当だったとしたら、10代の若いカップルにとって一緒にいられた数年間は人生で最も幸せな時間だったのかもしれません。
ヤグルマギクが本当にアンケセナーメンが置いたものかは分かりませんが、そのエピソードから恋をして大好きな人と一緒にいたかったという彼女の気持ちが伝わってくるような感じがします。
恋する少女の気持ちというのは今も昔も変わらないのだと思います。
2.家族愛か?それとも世界最古のインナーチャイルドか?女性のファラオ・ハトシェプストと息子の関係
ネフェルティティ、ネフェルタリ、アンケセナーメンと家族愛を大切にした古代エジプトの王妃達について触れてきましたが、ここで彼女達とは異なる人生を歩んだ1人の女性をご紹介したいと思います。
彼女の名前はハトシェプスト。
古代エジプト第18王朝第5代のファラオです。
女性なのにファラオ?と思われるかもしれませんが、当時、王位を継ぐはずだった息子・トトメス3世が幼かったため母親のハトシェプストが実権を握りました。
以後22年間にわたりファラオとしてエジプトを統治したことや、男性の姿で自分のレリーフや像を残していることなどから権力欲に溺れた野心家と見られてきました。
彼女の死後、レリーフや像が破壊されたのは息子のトトメス3世が母親のことを恨んで行ったと言われていました。
実際に、20年以上前に私が初めてルクソールにあるハトシェプスト女王の葬祭殿に行った時にも破壊された彼女の壁画の前でガイドさんから「息子が母親を恨んでやった」と説明を受けました。
そうなると、インナーチャイルドの事例としては世界で最も古いものの一つになるかもしれません。
しかし、最近はハトシェプストに対して別の説が有力になってきているようです。
夫であるトトメス2世は息子のトトメス3世を後継者としていましたが、当時息子がまだ幼かったために成人するまでハトシェプストが実権を持ち、夫の遺言を守ったという説です。
彼女は戦争を好まず平和外交によってエジプトを繁栄させたと言われていて、息子のトトメス3世も母への賛辞を残しており母と息子の仲は良かったと言われています。
彼女のレリーフや像を破壊したのは女性がファラオになることを良しとしない勢力の仕業だったのかもしれません。
もしハトシェプストが後者の生き方をしていたのだとしたら、まさに「母は強し」ですね。
常識を覆し、夫と息子のために自らを捧げた生き方だったのかもしれません。
3.今も昔も愛から始まり愛に終わる
今回ご紹介した王妃達の生きた時代は今から数千年も前のことです。
そのため、真実を特定することはほとんど不可能だと思います。
時代が違い過ぎて、彼女達の生き方が良いことだったのか、悪いことだったのかも分かりません。
しかし、人の営みの根本は今も昔も変わっていないような気がします。
変わらないものは家族への愛なのかもしれません。
どんな人間にも家族がいて、家族との関係の中で学び成長していきます。
古代エジプトの王妃達が生きた時代は権力争いが横行していましたが、その渦中でさえ、家族を大切に思い守ろうとした女性達の姿が浮かび上がってきます。
争いのあった時代だからこそ、必死で家族に愛を注いでいたのかもしれません。
私達は現在の平和な日本でどのように家族を愛せるのでしょうか?
古代エジプトの王妃達の人生に想いを馳せながら、考える機会にしたいと思います。