母親の愚痴を聞くのがしんどい、ということはありませんか。
母の愚痴を聞くのは嫌、もっとお互い楽しい話をしたい
でもお母さんは大変なんだから、これくらい黙って聞いてあげないといけない・・・
そんなふうに、しんどくても我慢している、という人は多いように思います。
実はこんな親子関係が、子どもが幸せに生きることを邪魔している要因の一つになっていることもあります。
それを共依存と呼びます。
ここでは私の親子関係を例に挙げながら、共依存とは何か、共依存を手放すにはどうしたらよいか、をお話ししていきます。
親の愚痴を聞いて育った私
母の愚痴の歴史
まず、私の経験をお話ししましょう。
私の母親は、私が物心ついたときから、ずっと父親の愚痴を私に言い続けてきました。
お父さんは悪者で、お母さんは被害者
でもお母さんは働いていないので、横暴で意地悪なお父さんに耐え続けないといけない
辛い、苦しい、お母さんどうすればいいの?
毎回そんな内容の愚痴でした。
母を助けてあげたい一心で、色々アドバイスしたこともありましたが、「あなたには私のことなんてどうせわからない」と反発される。
そして結局は延々と母の気がすむまで愚痴は続きます。
実家のある東京から沖縄に引っ越してからも、母からかかってくる電話の内容はいつも愚痴。
そのうち、実家からの着信に気が重くなり始めました。
ときには、着信を無視していました。
でも、母は大変でかわいそうなのに無視するなんて親不孝!と罪悪感を覚え、結局は電話をかけなおしていたのです。
母との関係性に疑問を抱く
そんな中、私は妊娠しました。
親からのネガティブの連鎖を止めたい想いで『インナーチャイルド』を扱うヒーリングを受け、子育てしながら穏やかに自分らしく生きる術を探る日々が続きました。
すると気づいたのです。
母からの愚痴を聞いた後は、気が重くなったりイライラしたりして、家族に当たり散らしている自分を。
しんどい想いをして母の愚痴を聞いている私は、そのしんどさを今度は家族にぶつけていたのです。
これっておかしくない?
母親を助けようと、つまり母親に幸せになってもらいたいと愚痴を聞いていたけど、愚痴を聞く私は幸せではないし、私に当たられる家族も幸せではない。
それに、何十年と繰り返し、同じような愚痴を聞き続けていても、母は父との関係性を変えようとはせず、一向に幸せになりそうな気配がない。
私が母の愚痴を聞くことって、結局、誰も幸せにしていないのではないんじゃない?
私は疑い始めました。
親の愚痴 子どもへの影響ー共依存とはー
共依存とは
母娘関係について本やWebで調べたり、カウンセリングを受けてたりしているうちに、共依存というキーワードが浮かび上がりました。
共依存とは(Wikipediaより)
共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。
すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。
共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。
もともとは、アルコール依存症の人の家族の傾向性を指摘する言葉として生まれたそうです。
私なりに解釈した共依存とは以下になります。
他人との境界線がわからない人間が過剰に他人の領域に侵入してしまうこと。
侵入を受けた人は、本当は嫌なのに、その侵入を許してしまうこと。
そして、自分や他人の領域に侵入し合うことが当たり前になってしまうこと。
親子間の共依存
親から子どもへの以下のような態度の傾向性が、親子間の共依存をはぐくむ怖れがあります。
・母は子どもを自分とは価値観が違う一人の人間とは捉えられない
例えば・・・
「お母さんはあなたのためを思ってやってるのよ」
(子どもがそれを本当に望んでいるかどうかは別問題)
・子どもを自分の問題に引き込もうとする
例えば・・・
「お父さんってほんとにひどい人!あなたはお母さんの味方よね?」
・子どもをコントロールしようとする
例えば・・・
「言うことをきかない子はもういりません。」
・自分の問題を子どものせいにする
例えば・・・
「あなたがいるからお母さんは離婚できないのよ」
共依存傾向がある人の性質
親子間の共依存関係の元だと、ゆくゆくは、以下の傾向がある大人に育っていきます。
・ 人の顔色を気にして、疲れやすい
・ Noと言えずに、いつも過剰に人の世話を焼きすぎてしまう
・ 人の問題につい首をつっこんでしまう
・ 自分が何をしたいのかよくわからない
・ 感情のコントロールが難しい もしくは、あまり感情が出てこない
・ 好かれるためには、相手の求める価値を提供しないといけない
・ 自分はダメな人間だとよく思う
・ 生きにくさを感じる
・ 幸せになることはひどく難しいことのような気がする
・ 人間関係に、お決まりの失敗パターンがある
親と子の共依存関係は、ほとんどすべての親子に存在するのではないかとも言われています。
共依存を広義で捉えるとアメリカの全人口の96%が共依存である、という文献もあるほどです。
母親の愚痴から見る共依存
私も、人の顔色を気にして疲れやすい、などまさに上記の傾向性を持っていました。
私にとっての父は、母にとっての父とは違うのに、母は私に、母と同じように父を悪者にするように暗に強要されました。
本当は聞きたくないけど、母に愛されるためには我慢しないといけない。
そうやって自分の本音を抑えて相手に合わせることを学んでいきました。
でも不思議なもので、愚痴の聞き役であっても母に必要とされていることで、母から頼られている、母の役に立っている、という実感が持てたのも事実です。
誰かのために、と自分を犠牲にして何かをすることが、自分の存在価値になっていたのです。
もし、共依存の影響を受けていなければ、母の愚痴を我慢して聞く、のではなく、母の愚痴を聞かずにすむように色々な行動を重ねていったり、「自分と母は違う」と愚痴をきっぱり拒絶し続けたり、愚痴を聞いてもネガティブな影響を受けないですむことができたかもしれません。
私もまた、母の愚痴の聞き役である自分として、母に依存していたのです。
共依存を手放す
母親の愚痴を聞くのがしんどかったり、上にあるような共依存関係を持つ人の傾向性を持っていて、そんな自分を変えたい、と感じている人は、親との距離感を変えていくことをお勧めします。
私の場合は、自分と家族の幸せを優先すると決め、まず母からの電話に出るのをやめました。
そして、母に直接、「愚痴を聞くことは私の幸せではない。これからは愚痴を聞きたくない。」とはっきり伝えました。
時には母を見捨ててしまったような罪悪感や、それでも隙あらば愚痴を言おうとしてくる母に怒りや悲しみが湧いてきました。
しかしそういったネガティブな想いは感じて手放すように努めました。
ネガティブな想いを無視していると、母親との関係性がいつの間にか戻ってしまったりします。
また母親との関係が変わったとしてもそれは表面的で、共依存の傾向性は変わらない、というようなことが起きやすくなるからです。
自分一人ではネガティブな想いを扱えない、どうやって扱っていいかわからない、という方は親子関係を取り扱う専門家のサポートを受けてみてはいかがでしょうか。
母親との関係を変えることは人生を根本から変えることにもつながる大きなことなのですが、大きなことだからこそ、自分で扱えきれない可能性が高いです。
もともと扱える人なら、今までにもっと簡単に人生を変えられていたでしょう。
私は『インナーチャイルド』を扱うヒーリングのセッションで親子関係を扱っています。
興味がある方はこちらのページをご覧ください。
まとめ
母親の愚痴を聞くのがしんどい
世の中によくあるささいなことに聞こえるかもしれませんが、その裏にある共依存が人生に与える影響度はかなり大きいようです。
さて、ここまでさらっと書いてきましたが、共依存は案外根深いもので、一気に手放すことは非常に困難です。
また一気に手放そうとすると、揺り戻しで共依存を強化してしまうことにもなりかねません。
一歩一歩、着実に進んでいきましょう。
また親と子、どちらかが共依存に気づき手放そうとすることで、もう一方の人生も変化していく可能性があります。
私の母は、私が愚痴を聞かなくなった頃から、何十年と変わらなかった父との関係性を、ゆっくりとですが、自ら変えていくような動きが出始めました。
結局、母の愚痴の聞き役となって母の問題の一部を引き受けてしまうことで、母自身が問題を直視しないですんでいたのかもしれません。
私と母との関係は、依存から自立へ、親と子が依存しあう関係からお互い自らの足で立つ立する関係へ、移行しているように思います。
現実が変わってくるとますます、親と子は見えない部分でつながってるんだな、と面白く感じます。
共依存という観点で親子関係を見直してみませんか。
あなたの人生が大きく変わるきっかけになるかもしれませんよ。
以下の記事には私と母との関係がもっと詳しく書いてありますので、興味がある方は読んでみてください。