「やりたいことがわからない」とモヤモヤした毎日を過ごしていませんか?
自分じゃなくてもいい仕事になんだか虚しくなる
本当は自分にしかできない何かを見つけて仕事にしたい
でもやりたいことが分からない
そんな風に思うなら、実は、小さい頃に人生を諦めてしまったのかもしれません。
私は「やりたいことってなんだろう?」ってよく考えていたし、答えが欲しいって強く願っていました。
だから当時の私が「見つからないのは諦めてるからだよ」なんて言われたらイラッとするに違いありません。
でもある時、気がついてしまったんです。
頭では
「自分のやりたいことを見つけたい」
「答えが欲しい」
と思っているのに、心の奥では
「どうせやりたいことなんてできない」
「欲しいものは手に入らない」
と諦めていることに。
その衝撃は言葉ではうまく表現できません。一瞬時が止まったかのように感じました。
心の奥の潜在意識って不思議なもので、頭と全然違うことを感じていたりするんですよね。
今日はそんな心の奥の話をしたいと思います。
「やりたいことを考えても考えてもわからない」という人はぜひ読んでみてください。
心の奥の矛盾に気がついたら、きっと答えは近づいてきます。
「なんか違うんだよなぁ」って思いませんか?
やりたいことがわからなくて、とりあえずいろんなことをやってみるけど
「ピンとこない」
「なんか違うんだよなぁ」
って思うことはありますか。
やりたいことがわからない時、私はとにかく興味のあることをやってみました。
とりあえずアメリカ行きたいので行ってみて生活してみたし、アロマやフラワーエッセンスを学んだこともありました。
アートセラピーのワークショップに行ってみたり、自然なら好きだろうと思って(笑)ファームステイしてみたりしました。
結果は惨敗。涙
なんかピンとこないんですよね。「別に嫌いじゃないんだけどこれじゃない」って感じだったんです。
自分にはもうやりたいことなんてないのかもしれないと諦めかけました。
諦めというか、絶望に近い感じでした。
でも、やっぱり諦めきれない。
そんなことを繰り返していました。
自覚のない我慢が原因かも
インナーチャイルドやバーストラウマを癒すようになってからしばらく経っていた頃でした。
子どもの頃によく感じていたことを思い出したんです。
やりたいことを諦めたり、我慢していたことです。
例えば幼稚園の頃です。
当時住んでいた家のリビングはテーブルの近くに大きな窓があって、晴れていると朝日が気持ちいい部屋でした。
毎朝、朝ごはんを食べる時には
「まだここにいたい」
「ひなたぼっこしていたい」
「屋上で遊びたい」
と思いながら、後ろ髪ひかれる想いで幼稚園に行きました。
自分の本当にしたいことができなくて悲しかったです。
その時「やりたいことをやるのって無理なのかな」と諦めの気持ちが芽生え始めました。
小学生になって、我慢はさらに増えました。
いやいや学校に行くストレスは、会社で感じるストレスとそんなに変わらないかもしれません。
毎日やることが決まっていて、周りに合わせたり、やるべきことをやったり、それはもうストレスでした。
特に先生が厳しくなった3年生のときからは、嫌すぎて決められた登校時間に学校に行けなくなってしまったほどでした。
6時に起きてもなかなか支度が進まず、歩いても歩いても学校につかず、だいたい登校するのは9時を回っていました。ひどい時は10時過ぎてました。一応8時が登校時間なんですけどね…。
「行きたくない」
「まだ家にいたい」
「今日は違うことがしたいのに」
そう思いながら、重たい身体を引きずって学校に行きました。
その時「やっぱり、やりたいことをやるのって無理なんだ」と感じました。
やらなきゃいけないことをやるのが人生なんだという理解が無意識に進みました。
中学・高校と進んだ頃には、もっと学校が嫌いになったので、以前よりも頑張って学校へ行くようになりました。
中学生の私の心の奥深くには、すでに
「やりたいことはできないものだ」
「いくら頑張っても欲しいものは絶対に手に入らない」
という確信が住みついていました。
諦めが強くなった頃「やりたいことはできない」という感覚は「やりたいことがわからない」に変わりました。
最初はやりたいことができないだけで、やりたいことが分からないわけではありませんでした。
やりたい気持ちを我慢し続けて、できなくても仕方ないと諦めるようになると、だんだん自分がやりたいかどうかわからなくなっていきました。
心が固まってしまって、何も感じないような感じでした。
好きだったはずなのにときめかなくなって、いつしかその気持ちは忘れていきました。
そうやって気がついたら、何がやりたかったか分からなくなってしまいました。
代わりに
「欲しいものはどうせ手に入らないんだ」
「人生ってそういうものだよね」
そんな人生の前提と無力感が残りました。
心の蓋になる我慢と諦め
「欲しいものはどうせ手に入らないんだ」そんなふうに諦めているから、欲しいものが手に入らないことの方が当たり前でした。
ずっと見つけたいと思って探してきたやりたいことも、やりたいことをやる人生も見つかるわけがなかったんです。
それにしても、あんなに探していたのに、実は心の奥では見つけることを諦めていただなんて、、衝撃でした。
気がついた時は「ありえないんだけど…」って感じでした。
欲しいものが手に入らない設定の世界で、欲しいものを見つけるのはなかなか無理な話です。
日常を描いたドラマに、急に魔法使いが現れるくらい非現実的なことです。
当時はさほど我慢している自覚はありませんでしたが、我慢している自覚がなかったからこそ、重く重く心に蓋をしてしまったのかもしれません。
幼少期、学生時代を振り返ってみて、思い出す小さな我慢や諦めたことはありますか?
やりたいことを思う存分できていたでしょうか。
もしやりたいことがちゃんとできていなかったり、諦めた記憶があるのなら、やりたいことがないのではなくて「欲しいものはどうせ手に入らない」と心に蓋をしてしまっているだけかもしれません。
心の奥に潜む「どうせ手に入らない」
「欲しいものはどうせ手に入らないんだ」
その蓋の正体はトラウマと呼ばれます。
トラウマはショックだった出来事による心の傷というイメージが強いかもしれませんが些細なことでも生まれます。
「家にいたいのに」
「やりたくないのに」
トラウマは小さい頃のそんな小さな不満やストレスでできています。
小さな我慢を積み重ねて「やりたいことができない」「欲しいものはどうせ手に入らない」という満たされない体験をするとその小さな不満が心の奥に沈みます。
そして「やりたいことができない」「欲しいものはどうせ手に入らない」という小さな不満やストレスを感覚的に再現し続けます。
ずっと「欲しいものはどうせ手に入らない」と心の中で唱えている感じでしょうか。自己暗示みたいなものかもしれません。
そんな自己暗示かけてたら、欲しいものなんて手に入るはずがないですよね…。
トラウマが目の前の世界を作っている
この心の奥に沈んだトラウマは、私たちの世界の見方に大きく影響を与えます。
トラウマが世界を見る時のフィルターになっている感じです。
私が欲しいもの、やりたいことがなんなのかの答えが見つからなかったのはこのフィルターが原因になっていました。
「欲しいものはどうせ手に入らない」というトラウマが作る思い込みや幻想が私にとっての世界の真実となっていたようでした。
答えが手に入らない設定で答えを探すことほど無謀なことはありません。
まずは、答えが手に入る設定に変えなければいけませんでした。
トラウマを扱って見つかった答え
トラウマの罠に気がつく前は、答えを見つけようといろんな場所に行ったり、何かを試したり、あれこれ自己分析して考えたりしていつも忙しかったです。
でもこのトラウマを扱うようになってから、そうやって忙しく探しに行く必要がなくなりました。
「どうせ手に入らない」「やりたいことがない」
という勘違いから解放されて、自分の中に答えがあるとわかったからです。
「ある」と思って見たら本当にあるもので、それに気がついたときはなんだか拍子抜けしてしまいました。
「なんで気がつかなかったんだろう?」と不思議に思うくらいでした。
やりたいことはよく考えると昔からよくやっていたことでした。
よくやっていたので、他のことよりも考える時間が長くて、自然と上達したり、情報が集まったりしていました。だから、人から褒められたりしたこともありました。
「どうせ欲しいものは手に入らない」
と成長過程で感じた感覚が心の奥に残っていて、欲しいものが手に入らないという幻想を見せていただけでした。
「やりたいことがわからない」「やりたいことなんて、自分には無いのかもしれない」
そんな気持ちになっているのなら、一度小さい頃の我慢を思い出してみてはいかがでしょうか。
小さい頃に感じた我慢が、欲しいものが手に入らない幻想を見せているだけかもしれません。