「奇跡」が起これば、なんとなく良いことが起こりそう。人生がよくなりそう。
「奇跡」は気持ちが前向きになる言葉です。
わたしの人生では「いつも奇跡」が起こっている。という人。
わたしの人生には「奇跡」なんて起こらないよ。という人。
人生に「奇跡」が起こっている人と、「奇跡」とは無縁の人。
2つの人生の違いはいったい何なのでしょうか?
たくさんの奇跡が通り過ぎている
以前、森元気さんがパーソナリティを務める「miracle7」というラジオ番組にゲストとして呼んでいただいたことがありました。
◆miracle7ホームページ(http://www.yumenotane.jp/miracle7)
*2017年6月終了予定の番組です。
この番組は、ゲストとパーソナリティが「ミラクル(奇跡)」をテーマにミラクルな体験、ミラクルに対する考え方などを一緒にシェアしていく構成です。
番組に呼ばれ、事前に「ミラクルな体験を話してください」という内容の台本が送られてきました。
ラジオ番組出演のオファーをきっかけに私は「ミラクル(奇跡)」ということを考え始めました。
しかし、ラジオ出演のために出された「ミラクル体験を番組の中で話してください」という課題はわたしにとって難題でした。
「ミラクルなんて、起こってないよ。」というのが素直な反応です。
皆さんは、「身近で起こったミラクルな体験をなにか話してください」と言われて、すぐに思いつくミラクル体験はあるでしょうか?
わたしはいくら考えても「無い、思いつかない!」で、一向にラジオで話せるような話題が見つかりません。
そして、自分に起こった「奇跡」を探し求める中で気づいたことがありました。
「奇跡」は自分の中で認識されて初めて「奇跡」になる。ということです。
私たちの日常生活の多くは「無意識」によって占められています。
・いつの間にかやっていた
・なんとなく流れで
・習慣でやっている
・人に言われてやっている
・つい、いつものクセで
無意識に過ごすということは、なにも考えずに過ごすことができます。
ですので、とっても楽に毎日を過せるというメリットがあります。
人間は「快楽」を求め、楽な方へ、楽な方へと生きようとする習性があります。
そのため、日常生活の中では意識的に過ごしている時間はあまりにも少なくなっています。
さて、そんな無意識に過ごす時間が多い日常の中に『小さな奇跡』があなたの元にやってきたとします。ところが、その小さな奇跡は間違いなく「奇跡」であったとしてもあなたの意識には認識されることなく、日常の中の一部として通り過ぎてしまっているのです。
振り返ってみると「そういえば、そんなことあったかな~」というように。
奇跡は認識されて初めて「奇跡」となる
私はラジオ番組の出演機会を通じて「奇跡」ということを意識的に考えるようになりました。そして、「当たり前」と考えている日常の中には実に多くの奇跡が埋もれているのではないかと考えるようになったのです。
身の回りに「奇跡」が起こっていたとしても、本人が気づき、認識されることがなければそれは奇跡でもなんでもなく、日常の中に起こった出来事の一つとして流され、埋もれていってしまいます。
人生を変えるような大きな奇跡が起こったときは「奇跡」と気づきやすいものです。
しかし、そのような人生を変えてくれる大きな奇跡は、人生の中でそう何度と遭遇するものでもありません。また、そのような大きな奇跡が起こるような時には「期待」というものを持って、起こってほしい奇跡に意識を向けています。
「期待」することで意識が向いているので実際に期待通り、期待以上の結果や効果が出た時に「奇跡が起こった」と認識することは容易です。
小さな奇跡に目を向ける
もし、あなたの人生に「奇跡」が起こって欲しいなら、小さな奇跡に目を向けてみませんか?
人間が一人、日常生活を送る中では様々な出来事が起こっています。ところが無意識に過ごしている時間が多い人は日常に起こっていることに目を向けたり、気づいたりすることもなく、いつの間にか一日が終わっています。
そこで、どんなことでも良いので日常の中に起こっている「変化」に意識を向けるということをしてみます。
大袈裟かもしれませんが、例えば
朝はいつも会話がない我が家で自分から「おはよう」と家族に声をかけたら、会話のある朝食になった。
という結果を。
- スルーする
- 「奇跡だ」と思う
それだけで日常に起こったことに向かう意識が変わります。
何でもかんでも「奇跡だ」と思っていたら疲れますが、ちょっとした変化に対して「奇跡」と思うことで、あなたの人生そのものが大きく変わってくる可能性があります。
奇跡を呼び寄せる人
最初にご紹介した森元気さんは毎週日曜日に同じテーマのラジオ番組を続けておられます。ということは少なくとも「奇跡」ということについて一切考えることがない日常を過ごしている私より多くの時間を「ミラクル(奇跡)」ということについて考え、意識されているのではないでしょうか。
「奇跡」は気づかれることでその存在を発揮します。
気づかれなければ存在することさえできません。
ご本人に聞いていないので分かりませんが、日常的に「これって奇跡かも!ラジオのネタにしよ!」と考えることが習慣化されているのであれば、その人の中で奇跡はたくさん積み上がり、奇跡は偶然起こるものではなく、必然的に起こるものとして「奇跡を呼び寄せる人」になっています。
奇跡を呼び寄せる人の特徴は「奇跡」を意識することができ、気づくことができる人です。
毎日を丁寧に生きる
といっても、日常的に「奇跡」を感じながら生きることを習慣化するのはなかなかできるものはありません。
日常の「奇跡」を認識するための方法としては、
毎日気づいた「奇跡」を日記に書く、ブログに書く、SNSでシェアする。という方法があります。
私はこのような「記録を続ける」ということが苦手なので、別の方法をご紹介します。
それは「毎日を丁寧に生きる」という方法です。
「丁寧に生きる」の言い方を変えると「意識的に生きる」ということです。
なんとなく繰り返される日常を意識するようにします。
この方法は慣れていないと非常に疲れますので、できる範囲で試してみてください。
【朝の時間】
・朝起きた時、どんな状態で寝ていたかを振り返る
・睡眠は十分だったか確認する
・最初に飲むのは水がいいのか、コーヒーがいいのかを意識的に選ぶ
・朝食は本当に自分が食べたいものを食べる
・ゆっくりよく噛み、味わって食べる
・朝食の話題は何を話すべきかを考えて話す
・新聞で優先的に読むべき記事があるかを考えながら読む
・歯の一本一本を意識して歯を磨く
・トイレの便座をゆっくりと丁寧に閉める
・家を出るときは右足か左足かを意識する
朝起きて、家を出るまでという一連の流れの中だけでも意識して行えることはたくさんあります。
しかし実際には無意識に朝の時間を過ごしている人がほとんどです。
朝起きたら、なんとなくリビングに行って、出てきた朝食を食べ、新聞を流し読みして、時間がないから急いで家を出る。
そんな日常の中では、例え奇跡が起こっていたとしても気づくことができないのはお分かりいただけるのではないでしょうか。
毎日を丁寧に生きることは日常の中に起こる多くの変化に気づきやすくなることです。それは心に余裕がある状態を維持できていることにも関係します。
呼吸を意識する
「毎日を丁寧に生きる」ことで心に余裕が生まれ、奇跡を呼び寄せられるようになる。というのは、イメージとしては伝わったでしょうか?
しかし、問題は日常的に継続するのがとても難しいということです。
先ほどの朝の時間の例を、慣れていない方が真面目にやったら、家を出る前に疲れてしまいます。
そこで、最初のステップとして最も簡単な方法は「呼吸を意識する」ということです。
無意識の中で過ごしているといつの間にか呼吸にも意識が向かなくなり、呼吸は浅くなります。呼吸が浅くなると脳に酸素がいかなくなりますので、思考も浅くなります。どんどん何も考えない無意識な日常が繰り返されるスパイラルへと陥ってしまいます。
そんな時に取り入れてもらいたいのが「呼吸を意識する」ということです。
呼吸が浅くなっていることに意識を向け、「呼吸が浅くなっているな」と気づきます。
呼吸が浅いことに気づいたら、深い呼吸(腹式呼吸)に変えるのです。
心に余裕があると奇跡が生まれる
先ほどの朝の時間のように、せかせかした時間を過ごしている人のところには奇跡がやってくることはありません。それは、なんども書いたように奇跡が起こっていたとしても「奇跡に気づく余裕がない」のが要因です。
毎日を丁寧に生きること、意識的に生きることは心に余裕がある状態を作り出すことができます。
心の余裕は「奇跡」の存在をあなたに気づかせてくれます。
そうして、あなたの人生に奇跡は生まれ、奇跡を呼び寄せることができる人になるのです。