「あの時こうすればよかった」
「もしあの時、別の選択をしていたら自分はどうなっていたんだろう」
後悔してしまうことってありますよね。
私は後悔していることがあって、別の選択肢を選んでいたら「自分はもっと違う世界に住んでいたんじゃないか」とか「今とは違う人生だったかもしれない」とか、そういった気持ちを心のどこかに感じていました。
別の選択をしたもうひとりの自分がパラレルワールドにいるかのようでした。
別の選択をしたパラレルワールドの自分は、今よりずっと楽しそうで充実していて、実際の自分が感じている窮屈さが身に染みるのでした。
その頃は、毎日が物足りない感じで、何かが欠けている気がしていました。
パラレルワールドの自分みたいになりたいけどどうしたらいいのかよくわからない、具体的にどうしたいかは言えないけど人生を変えたい、そんな気分でした。
実は後悔のつくるパラレルワールドにこそ、人生を変えるヒントが隠れています。
ここではパラレルワールドにある、誰でも人生を変えることができるヒントについて書いてみたいと思います。
パラレルワールドが現実に与える影響
「もし、あの時こうしていたら…」
なんて後悔があるとパラレルワールドの方にエネルギーを引っ張られます。
「ここではないどこかに自分の居場所があるんじゃないか」とか、「もっと自分に合った仕事や、やりたいことがあるんじゃないか」とか、そんな気分になってしまいます。
私はなぜか、ここではないどこかにリアリティを感じていました。
中学生の頃から日本が窮屈に感じて海外に行きたかったので、海外に行って自分の居場所を見つけている自分がパラレルワールドにいたのだと思います。
いつも「本当は別の場所にいるはずなのに」という感覚を持ちながら過ごしていました。
また、パラレルワールドは自分の気持ちをわからなくしたり、目の前のことが十分に楽しめない状態を作ります。毎日を退屈に感させることもあります。
「別の選択をしていたら現実は違ったはずなのに」とか「もっと楽しいはずの世界があるはずなのに」とパラレルワールドが頭の片隅にあればそう感じるのが自然なことかもしれません。
パラレルワールドをつくるエネルギー
パラレルワールドをつくるのは後悔ですが、もう少し深く見つめてみるとそこには本音の抑圧があります。
本当にやりたかったことを抑圧してやらなかったり、選ばなかったりすると「本当はやりたいのに」という満たされなかった想いが心の奥に沈んでずっと残ってしまいます。インナーチャイルドとも言えます。
これが心の奥にあると、時間が経っても「あの時こうすればよかった」「別の選択肢を選べばよかった」という後悔が湧いてきます。
後悔が湧いてきて、本当にやりたいことをやっていたらどうなっていたか、別の選択肢を選んでいたらどうなっていたかに思いを巡らすことがパラレルワールドつくり出します。
私のパラレルワールドも本音の抑圧から生まれていました。
本音の抑圧とパラレルワールド
私のパラレルワールドをつくっていた出来事は、中学校の体育でプールに浮いていた時でした。プールに仰向けに浮いていると独特の浮遊感に初夏の風が気持ちよく吹いて、どこへでも行けそうな気分でした。
その気分とは反対に規則の多い学校の中にいることに違和感と窮屈さを感じました。この時どうしようもなく、どこか遠くへ行きたい気分になりました。でも実際には遠くには行きませんでした。その後も変わらず学校に通いました。
この時「どこかに行きたい」という気持ちを無視してしまったことを覚えています。まだ中学生だったのでどうやって遠くへ行ったらいいか、その間の費用はどうしたらいいか具体的にはわからなくて、どうしようもなかったのです。諦めてしまったという感じでした。
大人になってからもその時のことが忘れられずに「あの時、どこか別の場所に行けばよかった」「別の選択肢を選べばよかった」と思っていました。小さな出来事なんですが、ずっと引っかかっていました。
こうやって後悔が消えないということは、当時抑圧した本音を大人になってからも同じように抑圧していることを意味します。
本音を抑圧しているからこそ、本音を抑圧しなかったらどうなるか「あの時こうしていたら」とパラレルワールドを夢見て、想いを馳せてしまうのです。
本音に隠れた人生を変えるヒント
「あの時こうしていたらこうなっていたかも」というパラレルワールドは私たちに抑圧された本音を教えてくれます。
抑圧した本音の中には、今の現実の中で叶えられていない本当に欲しいものが隠れています。
当時欲しかったけど我慢してしまったもので、大人になってからも気がつかないうちに我慢してしまっているものです。
ずっと我慢している本当に欲しいものを手に入れることができたら、人生は変わると思いませんか。
本当に欲しいものがあるのに気がつかないうちに我慢している人生と、欲しいものを自分に与える人生とでは大きな差があります。
パラレルワールドにある抑圧した本音に気がつくことは、人生を変える最初の一歩です。
人生を変えるヒントの見つけ方
人生を変えるヒントを見つけるには、抑圧された本音と対話する必要があります。
私は「どこか別の場所に行きたかった」という後悔に気がついて「どこか別の場所に行く」というのを試したことがあります。
大学院を休学してアメリカに行った時でした。あの時はいろんなことが重なって渡米を決めましたが、中学校の時にプールに浮かびながら強く感じた「どこか別の場所に行きたい」という想いに応えるための行動でもありました。
アメリカで生活することはプールに浮かんだ中学生の私の理想そのものでした。でも実際やって満足するかと思いきや、満たされることがありませんでした。
それどころか何をやっても「なんか違う」という感じで「やっぱり中学生の時に選ばなかったから今更やってもダメなんだ」なんて気分になりました。
でも、問題だったのは年齢ではありませんでした。
「どこか別の場所に行きたい」という気持ちは表面的なもので、そのもっと奥に隠れた本音があったのです。
本当に欲しいものが人生を変える
私の「どこか別の場所に行きたい」という気持ちのもっと深いところにはもっと大切にしなければいけなかった本音がありました。それが人生を変えるヒントでした。
私が抑圧し続けた本音は「自由になりたい」でした。
それは自分の思ったことを言ったり表現する自由や、思うように行動する自由を手に入れることです。自分らしくいるということでもあるし、人目を気にしないということでもあります。
当時は家でも学校でも窮屈な思いをしていました。
母は過干渉だったので自由にできなかったし、学校では制服や校則など規則、周りに合わせないといけない同調圧力が窮屈でした。
そんな環境に身を置いていると親や学校の許容範囲内で物事を選択したり、無意識にその枠の中に収まろうとする癖がついてしまいました。
そうするうちになんだか発想が限られている気がしたり、もっと世界を広げたいのにどうしたらいいかわからなくてそれが辛かったです。
その窮屈さから逃げて、本当に自分の感じていることややりたいことを見つけて優先したいという本音がありました。その本音が「どこか別の場所に行きたい」という表面的な願いを作っていました。
本当に欲しいものがどこか別の場所に行くことなら、私はアメリカに行った時に満たされていたと思います。でも本当に欲しいものがもっと深くにあったのでアメリカに行っても満たされなかったのです。
満たさなければいけないのは「自由になりたい」という本音の方でした。
もし後悔していることがあるなら、今もその時欲しかったものはまだ満たされていないのかもしれません。当時も今も、本当に欲しいものはなんでしょうか。
後悔の中にある本当に欲しいものが見つけられたら、それは人生を変えるヒントになります。
「あの時こうしていたら」
後悔が頭をよぎることがあるなら、人生を変えるヒントを一緒に見つけませんか?