今では私たちの日常になったコロナ。
これに関する出来事ほど大きく、多くの人を巻き込んで、急激に社会が変わる瞬間に立ち会ったことはありません。
これをどうとらえるかは、本当に人によるのでしょう。
辛い思いをした人はもちろん、困っている人はたくさんいるだろうし
チャンスだととらえながらも不安が拭えない人
逆にラッキーなことが起きた人もいると思います。
人生が好転した人も、実際にたくさん会いました。
私にも、たくさんの変化が起こりました。
その中でも一番印象的だったのは、親の影響から今まででは考えられないレベルで自由になったことです。
私のコラムを読んで「自分の親が過干渉だと気がついた」「生きづらさの理由がわかった」とメッセージをくれる方がいます。そういう過干渉な親や厳しい親に育てられて生きづらさを感じる人にとって、この社会の変化は自由への扉なのだということをお伝えしたいです。
コロナで変わった私のパターン
こちらにも書いたんですが、私は緊急事態宣言の後、仕事がなくなりました。急に、暇になりました。笑 (当たり前か〜)
それまでは結構忙しくて「何かしていること」が当たり前の生活をしていました。
仕事も、それ以外もそういう感じでした。
むしろ「何もしない」なんて選択肢に上がりませんでした。発想にないというか、いつも何をするか、どれを選ぶかって考える世界に住んでいました。
休む時ですら「休むということをしている」って感覚でした。
だから暇になっちゃって、強制的にそれまでのパターンとは違うことをすることになりました。「何かする」ことの繰り返しから「何もしない」という時間をたくさん持つようになりました。
このパターンを変えたことが親の影響から自由になるために必要なことでした。
生きづらさの理由「お母さんの世界」
過干渉に育てられてた人の感じる生きづらさとは、親の影響を受けすぎて自分が分からなくなってしまうこと、親の世界観をそのままコピーして、その小さい世界に自分自身を入れてしまうことにあります。
日々のパターンの中にはその親の影響がたくさん含まれます。何かし続ける以前のパターンは、もともとは母に認めて欲しくて身につけたパターンでした。
そのパターンで生きる世界は、母の影響を色濃く受けた「お母さんの世界」でした。
その世界では、お母さんに認めてもらえるかを重要視するし、私の可能性や私に向いていること、私がどんな人間かも、お母さんの意見が大きな影響力を持ちます。お母さんの意見を変えようのない正しいこととして無意識に受け入れることでできあがった世界でした。
母が「あなたにはむいてないんじゃない?」って言えば「どうせできない」と当たり前のように思ったし、興味関心も母の価値観に影響を受けていたものでした。
親が過干渉だった人はこの「お母さんの世界」が重たく、窮屈に感じるのではないでしょうか。
興味の限定と生きづらさ
お母さんの世界に住んでいると、興味関心は限定的になります。
親がいいと思ったこと、褒めてくれることの中から物事を選んでしまうからです。
だから好きなことを選んだはずなのに本当に好きかどうか疑ってしまうことも多いです。
親の価値観の影響を受けた自分の意見に手づかみ感がなくなってしまうことがあります。
過干渉に育てられた人の中には、好きなことが見つからないという方が多いですが、それにはこういった興味の限定があります。
私も、好きなことを仕事として選んだはずなのに、それでも嫌になってしまうことはがあって「会社めんどくさい」「休みたい」って思いながら出勤したり、「これ以上は働きたいくないな」という上限も自分の中でありました。
今振り返ると、お母さんの世界の影響が残っていたんだなぁと思います。
あたらしい世界の本来の私
「なにもしない」をし始めてからしばらく経って、「お母さんの世界」の影響を実感し始めました。何かし続ける以前のパターンは母の影響なんじゃないかという気がしてきたんです。
気がついてしまったら、やっぱりその影響から自由になりたいと思いました。
だから「なにもしない」のほかにも、今までのパターンではないことを色々やってみました。
今まで我慢していたことを生活に取り入れたり、母が嫌いだったことをあえてやってみたりしました。
お母さんの世界にはないパターンで、新しく自分の世界をつくりたかったからです。
しばらく続けていて、お母さんの世界から脱出したのを実感した時がありました。
それは興味関心の広がりを感じた時でした。
今まで全く興味がなかった、お花に興味を持ちました。
花屋さんで売っている切り花です。
かなり意外でした。
お花はあんまり好きじゃないって思っていたからです。切り花は特に、水替えも面倒だし、枯れちゃうし興味がありませんでした。
好きじゃないはずのお花が本当に楽しくてブーケを作りすぎてしまって…笑
飾るところがないので、周りに配るほどでした。
よくよく考えてみたら、母が「切り花はどうせ枯れてしまうから嫌い」「花束はもらいたくない」と言っていて、私は「そうだよねー」と同意していたんです。
そこで初めて私は「お母さんの世界でお母さんの言うことに影響を受けていただけだったんだ」と気がつきました。
「お花が楽しい!」お母さんの世界から抜け出して見つけた、ほんとに私の好きなことでした。
変化した過去の私
だからと言って、そこで全てが切り替わるわけではありません。
今までの興味関心が嘘で、これからの興味関心が本当、とかではありませんでした。
それまで好きだったことも好きなことには違いありません。
それまで受けていた親の影響を取り除くことで、今まで好きだったことを真っ直ぐにに好きだと感じるようになりました。
例えば、好きで選んだのに、なぜかたまに嫌になっていたお菓子の仕事です。実は緊急事態宣言の時に仕事がなくなってちょっと嬉しかったです。笑
それを、やっぱり好きだと実感するようになりました。
その結果、規模は小さいながらも、個人で仕事を受けたり、お菓子教室もはじめました。
コロナ前に「これ以上は仕事をしたくない」なんて気持ちを感じていたのが不思議に感じるくらいです。
お母さんの世界から自由になることで、もともと好きだったことをより好きになりました。
の変化は自由への扉
私は過干渉な親の影響で生きづらいんだと実感した時から
「自由になりたい」「本来の自分を見つけたい」と感じて、そのために心を癒してきました。
そして、その結果に満足していました。
自分と向き合い始めた頃に思い描いたゴールに到達していたからです。
たどり着けた場所には、想像を超える自由がありました。
ここでいう自由というのは本音に素直でいられることです。
今まで親に合わせてしまってわからなかった自分の本音を大切にできるようになったことで感じた豊かさと幸せには衝撃を覚えました。
他のコラムでも書いてきた、自分がいない感覚に困ったり、人前で自分らしくいられなくて戸惑ったり、無感覚なのに急にイライラしてしまったり、鉛のように気分が重くなったり、、あげればキリがない生きづらさは長いこと感じていませんでした。
それでもコロナパンデミックで社会が大きく変わり始めると、私の内側も刺激を受けて何かが大きく変わるのを感じました。今振り返ってみると今までブラインドになっていて、残っていた親の影響が崩れたかのようでした。
それが今回、お母さんの世界から自由になることを後押ししてくれたのだと感じています。
今までにない変化
新しい働き方が定着し、宅配や通販の機会やサービスが増え、今もその変化の途中です。
実際に、その変化を個人レベルで体験している人が多いのではないでしょうか。
新しいサービスは増えたし、リモートワークに切り替われば新しい朝の習慣もできるものです。
今までにない変化が社会で起きている今、個人の中でも大きな変化が起きるのだと思います。
なんか、今までアプローチできなかったところにアプローチできる感じです。
それは世の中で今までの「当たり前」が崩れてきているからです。
社会の中での「当たり前」が変われば私たちの「当たり前」も変わりやすくなります。
過干渉な親を持つ人の「当たり前」はここで話した「お母さんの世界」、生きづらさの原因です。
社会の中での「当たり前」が変化して、新しい世界に移行する時だからこそ、私たち個人も「お母さんの世界」から脱して、あたらしい世界に移行しやすいのだと思います。
おわりに
コロナが来る前は「当たり前」とか「常識」の力が強くて変えられなかったものを変えられる雰囲気が社会全体にあります。
変わりたい、そう思う方は、この流れに是非乗ってみてほしいです。
社会が変わってみて分かる通り「当たり前=本来の姿」ではありません。
会社は行くのが当たり前だったけど、それは本来必須ではなかったみたいなイメージです。当たり前にあるものも、よくよく見たらなくても大丈夫、ないほうがよかったなんてこともあるかもしれません。
それと同じように、過干渉に育てられた人の持つ親の影響やそれにまつわる生きづらさも本来の姿ではありません。
本当はもっと違う、本来のあなたがいるはずです。
本来の自分を見つけたいと思ったら、今がチャンスです。
私も「お母さんの世界」から脱皮して、どこまでいけるか試してみようと思っています。