私たちは、どのような方法で対処するにしても困難な境遇に立たされたり、逆境に落ちたりすると、気持ちが暗くなり、何をするにしても面白さを感じることもなく、人生の全てに失望してしまう事が少なくありません。
人は、“可能な限り失敗したくない”という気持ちを持っているかもしれません。しかし、現実には、家庭や職場において、ことの大小の差はあれども、“失敗だらけ”と言えるのではないでしょうか。
また、失敗する度に自らを悔やみ、人を責め立て、心を暗くしている人がどれだけあることでしょう。まったく見当がつかないほどです。
しかし、こうした状態になってしまうのは“失敗の価値”を知らず、心を暗くし、悔やみ、人を責めてしまうからではないでしょうか。幾多の失敗を見事に成功へ活かした本田宗一郎氏は「定年退職時の挨拶で、しばしば『大過なく過ごしまして…』などというが、実にくだらん。『ずいぶん失敗もしましたが、大きな仕事もやってのけました』と、挨拶できるようでなければだめである」との言葉を残しています。
「攻撃は最大の防御なり」といわれますが、これに置き換えて考えると“攻撃”は自分側にあるチャンスを最大限に活かすことです。“防御”とは一般的に自分の身を守る行為のことですが、自分の攻撃で相手に攻撃の隙を与えなければ、そもそも攻撃されて身を守ることもないので、「最大の防御」となる訳です。
しかし、相手に対して消極的になり、相手の攻撃をそのまま受け続けたらどうなるでしょう。立ち上がるチャンスはついには来ることなく、相手に打ち負かされるのが関の山です。
人は誰しも大なり小なりの困難やピンチに遭遇するものです。その時に心を暗くして、その困難やピンチに押し流されるのか、逆にその困難やピンチに果敢に挑戦し、そこから活路を力強く切り開くのか、それによって人生は大きく違ってきます。
世に名を成し、功を遂げた人を見ると、すべてその困難やピンチを飛躍のバネにしています。おそらくそうした人たちは、「その人の環境や境遇はその人の心の通りにきりひらかれていく」ということを体得した人たちと言えるでしょう。
今回は、こうした困難やピンチを最高のチャンスに転換していくために「失敗の捉え方・取り組み方」について考えていきます。心の持つ力、明るい積極的な心の姿勢が、自己の前途を確かに切り拓くことを実感していただければと思います。
1、失敗を失敗に終わらせる受け取り方
人は誰しも万能ではないので、失敗は付きものです。しかし、失敗するたびに自分の能力を疑ったり、クヨクヨしたり、メソメソして終わるようでは、何の役にも立ちません。むしろ、人を消極的にさせます。
「①自分の能力の無さを嘆き、自分をダメだと思う。」「②人に責任転嫁して、自らの非を認めようとしない。」といった受け取り方をすると、失敗を失敗に終わらせてしまうのです。
失敗をしたこと自体は、苦くて、辛い経験かもしれませんが、その経験は非常に尊いものです。何故ならば、そうした経験が、二度と同じ間違いを繰り返さないという自らの心の戒めや注意につながるからです。また、上手くいくための指針にもなることでしょう。
失敗を通じて、道理や道徳にかなっていることと反していることを明らかにして、判断を下すことができる力と物事を見極める力が身につき、どんなことが起こっても、びくともしないだけの度胸をつけることができます。すると、自ずと「さあ、こいっ!」という悠然たる態度が生まれてくるのです。
2、失敗を成功に導く受け取り方
どの人にも、どの家庭にも、どの会社や企業にも、いろいろと問題は生じてくるものです。しかし、そもそもこうした問題が起こることは悪いことなのでしょうか。考えてみると、問題が起こったこと自体は気の毒なことですが、悪いことでも良いことでもないのです。
問題があるということは、今から前進(よくなる)か、後退(わるくなる)かの岐路に立っている状態であることから、その分岐点を良い方向に切り開くことができれば、人生は張り切って進むことができますし、興味と喜びを持って進むことができるのです。つまり、極端な表現をしてしまえば「問題があることは有難いこと」ということにもなるのです。
ただ、その問題に出会った時、どのように対処するのかで、良くも悪くもなるので、悪い方ばかり見てしまえば、物事の進め方は慎重になって動けなくなってしまいす。そんな時は、次のような手順で進めてみてはいかがでしょう。
①問題に出会ったら、「嫌がらず」「恐れず」「心配せず」問題点をじっくりと見つめること。これを“客観”と言います。客観すると適切な方法や手段が自ずと分かってくるものです。そして、分かったらすぐに行動に起こしていきましょう。すると、ひとつずつ片付き始めます。
②問題によっては、解決に時間を要するものがあります。その時は、「焦らず」「慌てず」「じっくりと時を待つ」ことがポイントです。
③なかには、どうしていいのか判断がつかないことがあります。その時には、周囲にいる人に①でみつけた問題点を話し、アドバイスを求め、教えられた通りに動いてみることです。
まずは、「行動の面」3段階に着目しましたが、これでは、なかなか動き出すことができない方もいるようですので、ここからは「心の面」に着目して展開していきます。
1)失敗を恐れないこと
この世の中に不必要なものは存在していません。自分に降りかかる全てのものは、その人にとって必要があってやってきたものです。そのため、失敗を恐れて、消極的な生き方をするようでは、自分自身の才能を伸ばして、成功を引き寄せることはできません。
もし、失敗せずにできたことを得意に思うのであれば要注意です。それはもしかすると、誰がやってもできるような“程度の優しいもの”であることが多いからです。これでは、成功する程の“もの”にすることはできなでしょう。
時には身に余るくらいの重荷を背負って、敢然と乗り越えてこそ本当の力がつくものです。そうなれば、たとえ失敗したとしても、怠け者の失敗とは異なります。そこには何物にも代えがたい“教訓”を得ることができます。
失敗を恐れて、逃げ腰の人間は、どこまでいっても、失敗に悩まされ、困らされて、困難に打ち克つ喜びを知ることができずに、落伍者となってしまうことでしょう。
2)人間の値打ちを決める
失敗をした時、誰もが愚痴や泣き言のひとつも言いたくなります。そして、腹立たしい気持ちがつのるものです。しかし、その時こそ人間の本当の姿が現れるといっていいでしょう。
日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)の初代総裁として君臨し、影の財界総理といわれた実力者 小林中氏(1899年生〜1981年没)が、その人物を認められたのは、失敗した時であると言われています。
若い時、ある事件に巻き込まれ、司法・検察内部の一部勢力の取り調べを受けた時、自らの失敗は率直に認めましたが、氏の上司、同僚、関係者の不利になるようなことは一切言わぬ態度で「全ての責任は我一人にあり、他人にはない」という姿勢で通したといいます。
その後、氏の上司や関係者からは「口の固い男、頼りになる男」という信頼が高まり、根津嘉一郎が社長を務める富国徴兵保険相互会社(現・富国生命保険)に復帰します。復帰後は、性根の太さを感嘆されて社長に抜擢され、財界に出て行くことになったのです。
中村中氏の経歴から「①すべての責任を自ら取る」「②愚痴を言わない、こぼさない」「③言い訳をせず、自らの非を率直に謝る」ことによって、失敗によって周囲の信頼を得ることに繋がったことが伺えます。
3)原因を追求する
失敗を生かすには、率直に失敗を認めることから始めると良いでしょう。それには、堂々と、そのものに向かう気持ちが大切になります。
そして、「なぜ、失敗したのか」と原因を追求することです。失敗する時は、失敗の原因が必ずあるはずです。それを、冷静に、隈なく総点検することです。
「その非は自分自身にあったのか、また、他のものにあったのか」「チームワークはどうであったのか」「外部事情によるものなのか、そのヨミに間違いがあったのか、なかったのか」等々のあらゆる角度から客観的に見つめると、必ず回答が出てくるものです。そして、その回答が今後に活きてくるのです。
しかし、失敗を恐れる人間は、こうした追求ができずに、向上するための足場を自ら崩してしまうことになります。
もともと、人の能力に大差はありません。その差が出るのは、失敗した時の行動にあります。失敗に意気消沈し、自らを安っぽく思い、自信を無くして自暴自棄になれば、成功の道筋から外れてしまうでしょう。逆に、失敗に向きい次の手を打てるようになれば大きな成功が近づいてくるでしょう。それゆえ、失敗をどう受け止め、どのような行動を起こすかが鍵となるのです。
最後に
私たちの周囲には、個人的にも、家庭的にも、また職場や社会的にも「これがどうにかならないか」とか「ここがうまくいくといいのだけど」とか「あれが困る」等々の悩み事が発生しているものです。
こうした悩み事がすべて失敗もなくうまくいけば問題にもなりませんが、その様にはいきません。どんなに頑張っても、失敗に直面することもあるでしょう。気持ちとしては苦しくて辛いところですが、そのような場面は、私たちの成長のチャンスであり、新たな成功を掴み取るチャンスでもあるのです。
ですから、問題があることが悪いことではなく、むしろ、問題が明るみに出てきて良いことと受け取っていきましょう。そして、その問題をどのように解決して、それぞれの立場で、どのように前進し、活かしていくのかについて、考えていくと良いのです。
私たちは常に問題意識を持ち、様々な局面において明るく受け止め、問題と向き合うことで、さらなる向上を目指すことができます。ひとつひとつの物事を丁寧に、そして慎重に取り扱いながら力を尽くしていこうではありませんか。