はじめに
情報を簡単に手にすることができる現代では、目にする現実や、理論や理屈に正しさを求める傾向が強いようです。しかし、そのような時代であっても理論や理屈を超えて、目に見えない精神的(心的)な部分を大切に扱う人が増えてきていることも伺えます。
中には、「◯◯だからできない」「もともと出来ないことなのだからムリ」「意味がわからない」「自分は変えられない」と話す人もいます。
こうした人の様子を見ていると、言動や考え方に偏りがあったり、勝手な思い込みに支配されてしまっているために、行動を起こすことができずに立ち止まっているように見受けられます。
様々な現象の中で生きている私たちですが、その物事と少しだけ距離をとり、客観的に眺めてみると、合理的に生きる一面と、それを超えて存在する(目には見えない精神的な部分)モノがありそうです。
ともすると、それらのバランスを取っていくことが大切な要素といえますが、アンバランスな状態で物事の判断や決断をしている人が多くいるのではないでしょうか。
理想的な状態は、合理性と精神性を掛け合わせて、バランスよく生活することですが、実際は非常に難しいように感じます。
しかし、実はほんの少しの“心がけ(意識)”を持つだけで、バランスを取りやすくなるのです。今回は、そのことについて掘り下げてみたいと思います。
1、いまを生きる
過去の出来事から、現在置かれている状況を把握し、今起きていること(現状)に全力で向かうことができたら素晴らしいことです。
しかし、過ぎ去った過去を悔やみ、目の前のことに目を向けられず虚無感の中に生きている人が多くいるように思います。
時としては、「虚無感を味わうことも大切だ」と考える人もいるかもしれませんが、いつまでも過ぎ去ってしまった過去に縛られ、「明日(未来)があるさ…」という漠然とした生き方を続けていては、先(未来)に進めなくなることもあるでしょう。
そこで、今おかれている状況を把握し、今起きている物事に取り組めるようになるための考え方を紹介していきたいと思います。
1)心の向け方・考え方
人には、心の状態によって、物事の捉え方が大きく異なるという側面があります。同じ出来事や問題ひとつとっても、うまくいっている時は気にも止めず、うまくいかない時は、どんな些細なことでも、イライラして、原因を追求してしまうことがあるでしょう。
しかも、その原因を、他人やもの、環境などの自分以外の“せい”に、ついついしてしまいがちです。原因を探すこと自体に問題はないのですが、この“他者のせい”にするところに問題があるのです。
何かあったら、まずは、自分自身の生活(生き方)に着目することが大切です。人としてどのように生きていけばいいのか?を自分に問い、「今」をどのように捉えているかをまずは確認するところから始めるのです。
「いま」を問うことは、「いま」を生きている「いまの自分」にしかできません。しかも、その「いま」を変えられるのも「いまの自分」しかいません。
だからこそ私たちは過去もなく、未来でもなく、「いま(現在)」の状態をしっかりと掴むことから始めることが必要なのです。
ひとつひとつの出来事(事案)をじっくりと観ることで、複雑に絡み合った事柄のひとつひとつが、緩み、ほぐれ、分解されていくことでしょう。
もし、じっくりと見つめる過程で、混乱したり、悩んだりするようでしたら、その問題から離れてみること(時間を置いて、改めて観ること)も効果的です。
2)その一瞬を原動力にする
私たちの生命には、限りがあります。誰もがわかっている生命の時間ですが、「できるだけ“長生きをしたい”」と願う人は少なくないでしょう。そして、ただただ生命があるだけではなく、“働(動)ける生命”として長く生きたいと願っているのではないでしょうか。
“長命の秘訣”には、「教養と教育が必要だ」と解く人があるようですが、その内訳は「今日、用がある人(きょうよう)」と「今日、行くところがある人(きょういく)」だそうです。思わず笑みがこぼれそうな洒落ですが、とても必要なことなのです。
それは、日常的に起こる“気づき”の一瞬を見逃さないからこそ、用事があり、行くところがあると考えられるからです。
先述で「物事をしっかり見つめる、複雑に絡み合ったものがゆるむ」という内容がありましたが、この気づきは、その「いま」を見つめた先に起きる現象です。
こうした“気づき”の一瞬は、日常生活にだけ起こるものではありません。職場や地域において起こる一瞬の出来事です。もちろん、その気づきを見逃すことなく、活かせればベストですが、なかなか難しい部分もあるのかもしれません。
ただ、「難しいから取り組まない」という判断をしてしまっては、せっかくのチャンスを逃すことになり、とても勿体無いので、私たちは「メモを取る」という行動をしているのかもしれません。
いずれにせよ、一瞬の気づきを取りこぼすことなく、しっかりと掴み、動き出すための原動力(きっかけ)としてみてはいかがでしょう。
2、時流に心を奪われていませんか。
目まぐるしく変化する現代社会の中で次々と発生する諸々の問題に対して、どのような姿勢(心持ち)で取り組むかが重要です。しかし、変化に目を奪われすぎてしまい、何かに取り組もうとしても、何をしたらいいのかわからなくなってしまうことも多いかと思います。
世の中を見回してみると、目に飛び込んでくるニュースや諸問題に対して、現状をよく観て分析をすることで、グングンと業績を伸ばしている組織がありますが、注目すべきはその組織を構成している人材です。
そうした組織体を構成している人材は、自分自身が有している“能力”を余すことなく発揮していることがほとんどです。
おそらく、先入観や固定観念的なものに注目することなく、様々な物事を広く観る客観的な立ち位置から全体像を眺めるような意識を持っているのでしょう。
これから客観的な意識をし始めるとなると、取り組み始めたばかりの段階では、なかなか全体像は見えにくいものです。しかし、繰り返し意識をしていくことで、自分自身の立ち位置が明確になってくる感覚を掴むことができます。
すると、自分自身を取り巻く環境や、関係性のある人物との繋がりが見えてくると同時に、自分自身の持っている能力に気がつけるようになります。
1)能力を発揮させるために…
物事を創造的に生み出していく人間になるためには、特別なことをする必要はありません。なぜなら、すでに日常的にやっている行動の中にあるからです。
まずは、「異質の吸収に努めること」です。これまで過去に体験・経験したものに執着する(しがみつく)のではなく、目の前にあるものを吸収していく練習をしてみてはいかがでしょう。
吸収していく練習方法には色々とあります。例えば、嫌いな人間や嫌いなモノを遠ざけるのではなく、一口だけ食べてみようか…、飲み込んでみようか…と試してみることです。
中には、円滑に進めるべく、自分のいうことを聞く人間ばかりを集めようと働きかけてきた人もいるかもしれませんが、今度は逆に、自分のいうことに反発や批判する人たちを集めて、言われたことを飲み込んでみるのも効果的です。
常に活性化を求める企業経営者の中には、積極的に若者の意見を取り入れてみて、“まずは試してみる”という行動に重きを置いている企業もある程です。こうしたことの繰り返しは、企業体が活性化するだけでなく、その組織に集う個々人の質的向上も期待できる側面をもっています。
2)流れを生み出す集団へ
個々の能力を発揮する流れが出てくると、同業者と同じような方法をするといった発想が意識の中から消え去っていきます。なぜなら、物事を“創造的”に考え、自分の店や会社なりの独自のやり方で、商品を持つようになる個性的な集団へと進化していくからです。
こうした集団には、より多くの“プロ”が継続的に排出されていくことから、その時その場に応じたことに精一杯に取り組む人材(財)が生み出され、積極的に流れを生み出す集団へと進化していくことでしょう。
まとめ
今も昔も迷信めいたものは、拡がりをみせています。駅や、百貨店などの街角占い師の一言一句に耳を傾けている多くの人を見ると、合理的で万能な考え方に行き詰まりを生じて、生きていくことに自信を喪失してしまったがための結果であるようにも見ることができるのではないでしょうか。
また、違った角度から眺めてみると、困難に打ち克つ気持ちが弱まり、行動をすることができなくなるために、何かにすがりたい…頼りたい…といった心のあらわれが、迷信に耳を傾けてしまうのかもしれません。
なぜ、合理主義の世界に生きているはずの人々が、合理に全く相反した“迷信”等に熱中したり、執着したりするのでしょう。
ひとつ考えられる側面があるとすれば、相手の“心”を知りたいという欲求が、他力を頼り、思い通りの結果を引き寄せたい “我欲の心“となって現れている可能性があるかもしれません。
迷信が必ずしも、人をダメにするわけではありません。運勢暦を見てみても、今日は“吉”、明日は“凶”と書いてあります。仮に大吉の日であったとしても、最悪の日(事件・事故等に巻き込まれる等)となることもあります。
また、吉凶を無視して凶の日に結婚した人がみんな離婚したと聞くこともありません。運勢暦に拘わりなく、今日は最良の1日であると同時に最大の厄日でもあるのです。つまるところ、その人の心次第なのです。
大切なことは、「今のこの瞬間が絶好の好機で、チャンスである」ということ、さらに「人生に2度とない、心湧き踊る一瞬」という認識を持つことが、一筋の光を見出し、暗闇を一掃するための鍵となるのではないでしょうか。