大人になるってどういうことだと思いますか?
二十歳を過ぎたら、本当に大人でしょうか?
一人暮らしをしたら、それとも結婚したら大人と呼べるようになるのでしょうか。
「大人と子どもは何が違うんだろう」「どうすれば大人って言えるんだろう」成長する過程で、思ったことがある人もいるかもしれません。
今日は楽しい人生の鍵にもなる、本当に大人になることがどんなことかをまとめてみたいと思います。
大人になんてなりたくない!ピーターパン症候群
小学生の頃、大人になるのが嫌でした。
「大人って、大変そう」と思っていました。
毎朝早くに起きて、決められた時間にイヤイヤ仕事に行って、辛いのを我慢して働いて、給料日には「もっとお金があれば」とぼやいて、「肩が痛い」とか「腰が痛い」とか言いながらまた働いて、、
というイメージでした。
だから「大人になったらこんなに苦労しなきゃいけないんだ。嫌だなぁ。」と恐ろしい未来が迫ってくるのに怯えていました。
「あなたは子どもだからいいね」
「子どもは勉強だけすればいいから、幸せね」
「今のうちに遊びなさい」
なんて言われたことないですか?
私はよくそんな風に言われていて、その度に大人になるのが嫌になっていました。
でも、今は「大人になるのって、案外いいもんだな」と思います。
それは自由だからです。
誰に決められるわけでもなく、自分でいろんなことを選ぶことができるし、好きなように物事をとらえられるからです。
そういえば、いい悪いは自分の価値観で決めていい、物事のやり方も自分で決めていいなんて学校に通っていた頃は喉から手が出るほど欲しかったものです。
本当の大人とは?
それでも私は、ピーターパン症候群のまま、自分で決めたいけど決められない子どものまま、体だけ大人になったような気がします。
だから自由というより勝手気ままな子どものようだったと今になって振り返っています。
そんな私も少しづつ本当の大人への階段を登り、学んだことがあります。
ここからはそれを振り返ってみて、本当の大人のポイントを挙げてみたいと思います。
長期スパンを持ち合わせている
本当の大人は長期スパンで物事を考える力を持っています。
子どもだった私は、そのようなものは持ち合わせていませんでしたので(笑)
「やりたいからやる!」でも、5分後に後悔する。そして、その5分後には後悔したことすら忘れている、というのを永遠に繰り返していました。
例えば「辞めたいな」と思ったら、後先考えずに本当に仕事を辞めることにしたり、引っ越そうと思ったら「ちょっとそこまで。」という感じで、気軽に引越しをしたりしていました。
物事を多角的にとらえられる
物事を多角的に考えられる人は大人です。
多角的に物事をとらえることは柔軟に物事をとらえることです。
一面的にみた短略的な発想には思い込みや自己中心的な見方が強くあらわれます。
例えば、私が陥っていたのは白黒思考でした。
少しでもできないと「自分はダメだ」
理想と現実のギャップを感じては「何もできてない」
と自己否定を感じやすい状態にありました。
でも、物事を多角的にとらえることができるとそこから解放されます。
モノクロの世界に、実はグラデーションがあると気がつくことができます。
「これはできるけど、これはできないな」と現実をありのままに見ることができるようになってきます。結果的に自己否定はかなり軽減されました。
完璧主義も顔を見せていましたが、そこにそんなに縛られなくなりました。完璧にできることが全てではないし、完璧を追い求めると現実がよく見えなくなることに気がついたからです。
物事を客観視する力がある
客観性を失うと気がつかないうちに思い込んだ自分だけの世界に生きていることがあります。
私がそのことを痛感したのは人間関係でした。学校になじめず居場所を感じなかった私は、成人してからも「自分はここにいちゃいけない」という感覚を持っていました。
その感覚が前提にあるので、人に本音を素直に伝えられないことが多くありました。でも、客観的に考えてみるといちゃいけない場所なんてそうありません。
自分の思い込みに気がついた私は、少しづつ思ったことを素直に伝えられるようになりました。客観的にありのままを見る力は、まだ気が付かない自分の前提や不要な制約に気づいて自由になる力であり、安心して世界と関わる力になります。
自分への信頼感がある
自分への信頼感というのは「自分は何があっても大丈夫、なんとかできる」という安心感のようなものです。人生をハンドリングできることへの信頼とも言えます。
以前は、信頼やハンドリングという単語は私の辞書にはありませんでした。
現実は常に制御不能なイメージで、波にうまく飲まれて、運良くいい場所にたどり着くのを祈るしかありませんでした。
だからどうしても現実をコントロールしたくなりました。どんなことが起きてほしいか、相手にどんな反応をしてほしいかを期待して、裏切られないように祈り、不安になる毎日でした。
でも「何があっても大丈夫、なんとかできる」という信頼感が育ってくると、コントロールする必要がなくなります。何が起きても自分は大丈夫で、怖くないからです。そうすると、何が起きるかわからないことを楽しめるようになってくるものです。
積み上げることができる
自分への信頼感や世界への安心感が育ってくると、現実を見るのが怖くなくなります。その結果、私は一つのことを積み上げることができるようになりました。
信頼感がないと一つのことを積み上げることができません。続けることで何になるのかよくわからないし、理由がないことを続けるのが辛く感じるからです。
「これやって何になるんだろう?」と意味や意義を求める疑問が次から次へと湧いてしまい、不安のあまり衝動的に動いてしまうのが私のパターンでした。
それが、信頼感が育ってくると、「今はわからないけど何かになるかもしれない」「今日はこれができた」と積み上げる楽しさに目を向けることができるようになりました。
仕事は1年以上続いたことはありませんでしたが、信頼感が育ってからはじめたヴィーガンパティシエの仕事は5年続きました。
何か一つのことを続けられるのは大人になった証なのかもしれません。
我慢しない
本当の大人は我慢したり、未来や他人のために今を犠牲にすることはしません。
ここでいう犠牲にする・我慢するというのは「抑圧する」「主体的に選ばない」ということです。
短期的・長期的に物事を考えたり、多角的に考えてから行う主体的選択には抑圧はありません。
先に挙げた仕事の例だと、子どもだった時の私は仕事を続けることは辞めたい自分を抑圧することで、我慢することでした。でも、大人の階段を登ったら、それが少し変わりました。
「うーん。辞めたい!」と思うことはあっても多角的に考えて「今は続ける」と主体的に選択できるので我慢や抑圧とはちょっと違う場所にいられるのです。
まとめ 大人は主体的で自由に選ぶ人
私は大人の階段を上るにつれて、「どうしたらいいんだろう?」と思うことが減って、代わりに「私はどうしたいんだろう?」と考えるようになりました。
誰かが決めたことをやる場所から、自分が決める場所へ移行していきました。
だから自分がどうしたいかを重要視して、今考えられる範囲で考えて、怖いけど選んでみるようになりました。
以前と比較すると選択するとき怖さは増しました。
自分の人生を選ぶのは自分だけなのだということを実感するとなんだか孤独だからで、失敗するのも、求める結果が手に入らないのも、なんだか怖いからです。
でもそこには、自分が人生を描く主体になる楽しさがあることを知りました。
これからも手に入れた怖いような楽しさとともに、自分の人生を描き、大人の階段を登り続けようと思います。