こんにちは、山田結子です。私は昭和の生まれです。ちょうど、大学生の時にパソコンが普及し始めて、使い方を授業で習いました。就職先では、まだ事務職全員にはパソコンがない会社に就職しました。そういう時代に生きていました。
会社から求められるものは多く、見返りは少ない時代
現代の会社員の方たちの状況をみると、社会が良くなっているような気がしません。まるで歯車のように努力し続けて、空っぽになった人がたくさん生み出されている気がします。
本来、社会を良くするために会社があるのに、本人のやっていることが、自らを高めず、消耗品のようになっているように感じます。
私が就職した会社は、私には合わない会社でした。価値観が違いすぎて馴染めません。ただ、一般的な会社よりもひとりひとりの個性が認められやすい雰囲気はありました。少しくらい悪い人でも、あの人はしょうがないよね、ああいう人だから‥という許容がありました。アクの強い人物でも、うまく他の人と組み合わせて仕事をしてもらうとか、若い人の結婚相手を世話するとかそういう姿勢がありました。
ところが、親会社の業績不振で、変化がありました。社長が変わったり、海外進出することになったり、人員削減があったり。私は職場の上司や同僚との人間関係と増加していく仕事に疲れて、会社を辞めました。給料が上がらないまま、仕事量だけが増え続け、残業はするなと言われ、それが何年も続いていました。
入社当初はパソコンが完全に導入される前です。台帳は手書き、タイムカードなども紙でした。大掛かりな仕事はみんなで分担してました。ただ、忙しい時はわかっていたので、協力する体制ができていたのです。そして、一緒に仕事をしているという一体感も多少ありました。
しかし、パソコンが完全導入されてから、みんなの仕事が個人の仕事に振り分けられました。バブルもすでに弾けていたので、景気はどんどん悪化し、リストラが推し進められるようになりました。
個人の成長目標はなく、なんでもできることを求められる
誰かが退職すると、その穴を埋めるために新しいことを覚えます。代わりは誰でもよく、この穴が埋まればいいという風潮はありました。
会社の業績が悪化すると、退職者の後任が入ってこないことが増えました。その人のやっていた仕事は誰がやるんでしょう。誰かがやらないと穴が空いてしまいます。
人間はそんなに効率的な存在でもありません。家庭で問題がある、プライベートで落ち込む、会社の上司とうまく交流できないとか、いくつもの悩みを抱えて生きています。生活がうまくいかないとき、仕事に集中できない場合もあります。
それでも、ロボットのように動けといつも言われているようでした。ミスは悪で、休憩はサボリ、人として扱われていたんでしょうか。しかし、一方でトイレに行くたびにホットカーラーで長時間髪を整えている女性社員がいました。来客なんてほとんどない会社です。やってもやっても仕事が積み上がる私と彼女のどちらが幸せなんだろうと考えなくもなかったです。それでも年功序列だったので、彼女の方が給料は高かったと思います。
私はそういう世界の中で、どうやって生きようかと思ってました。自分には能力が足りないのかもしれない、自分は他の人より劣った人間で、もっと努力しなくてはこの世界でやっていけないのではないかと思いました。
自分の能力を疑う習慣があった
私には自分の能力を疑う習慣がありました。自分が劣った人間なんじゃないかという不安があり、誰かと比較して自分を卑下するような思考パターンを繰り返していました。
優秀な人と一緒に仕事をする方が、自分も楽になるはずなのに、劣等感を強く感じてしまって、無理に1人で頑張ろうとするなど、自分を追い込んでしまうところもありました。
親からも馬鹿にされてるような気がしていました。親の友人の子どもと比較され、その上、うちの子なんて大したことないと本気で言うような親でした。
どんなに頑張っても、家庭の中ではそれが全く評価されず、いつも優れた他人の噂話ばかり聞かされていました。
・〇〇さんの子どもは、優秀だったから塾で奨学生待遇だった。塾のお金がかからなくて羨ましい。
特に悪意もなく、あの人はこう、この人はそうと言い続け、私は漠然と、自分は出来が悪い人間なのかなと感じるようになっていきました。あからさまな言動ではなかったですが、比べられてるような感じはしてました。
その上、両親はどちらも、自分の能力を高めようという発想がない人でした。生まれ持った才能があれば、努力しなくてもうまくいくはずだという幻想をもちやすい傾向がありました。自分たちが努力していないことを認めず、周りの人は才能があって、才能がある人は違うよねと言って他人事にするような習慣があったのです。才能の有無に関わらず、一定の努力が必要だということを受け入れていなかったように思います。
そのため、私には努力すればするほど、ダメな人間であることが、証明されるような感覚が生じていました。それは、こうした親の価値観の影響を受けていたように思います。
自分の価値を高めようとする
もうひとつ、私に必要だったのは、自分の価値を認めて、それを高めようという気持ちでした。
リストラの中で、担当者のいない仕事を静かにやっていた私には、自分に価値があるとは思えませんでした。
当時、就職は困難で、会社を辞めたら次の就職先が見つかるかどうかもわからない。ほぼ昇給がない会社で、仕事を続けていた私が、自分に価値があると思っているわけもありません。暴言を吐かれても、毎日無言で残業を続けて、一体なんのために生きているのかわからなくなっていました。
ある時から、自分にあった仕事がしたいと感じるようになりました。自分なりに自分の価値を高めたい、もっといい仕事をして、価値ある存在になりたいと感じたのです。
そのために、勉強したい、時間を作らなくてはと。
目先の仕事が自分の力を養うという観点があるのはもちろんそうです。しかし、目先のことに振り回されすぎて、なんでもやる人になりつづけると、自分が将来やりたいこと、本来高めたい価値に時間を使うことはできません。
安易に手を抜くのがいいとは思いませんが、自分だけでやり過ぎる、他の人を頼らない、という姿勢でいると、会社に依存する傾向がかえって高まってしまいます。そして、こんなに頑張って、尽くしてるのに、会社は私を評価しないという怒りにも繋がりかねません。
会社に評価されたい、他の人より優れた結果を出したいという欲望をおさえ、他の人を活躍させることで、自分の時間は作れたのです。目先の承認欲求に負けて頑張りすぎてしまうと、誰も幸せになりません。自分のやりたいことがあるなら、尚更です。
自己犠牲をやめて、自分の価値を高める
自分だけが会社に尽くしているけど、なんの見返りもないという状況に身を置いてしまった私ですが、仕事をやめ、紆余曲折はありましたが、ヒーリングを仕事として始めました。トラウマの影響を軽減する特殊なものですが、そのマニアックさが楽しいと感じます。本当にこの仕事ができて幸せです。
母は会社員や公務員がいいんだと言い続けましたが、私は興味のないことを努力するには限界がきていました。子どもの頃から、興味のないことを一生懸命やり続けて、承認欲求に振り回され、空回りし続けて、長期的な自分の人生という軸を見失っていました。もう、好きなように生きたいと思っていました。
もちろん、生活のための仕事が悪であるとは思っていません。やりたいことのために、何もかも捨ててしまうのも、極端な話です。しかし、自己犠牲の精神から毎日を過ごしても、人生は変わらないのです。
長期的視野をもって、自分の人生計画を見直し、本当にやりたいことに時間を使わなくてはなりません。それを、いつはじめるのかということが大切なんだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
山田結子