日本人の礼儀正しさは、江戸時代末期頃に来日した欧米人達によって驚かれていたようです。その理由には、極端な話かもしれませんが「自分さえ良ければなにをしてもいい」といった考え方が欧米人にとって当たり前であったからと考えられます。今の時代のように情報もなく、生き抜くのも大変だったことから自然なことだったのかもしれません。
では、当時の日本人にとって“自分さえ良ければなにをしてもいい”と、ならなかったのはどうしてでしょうか。その一つに「自然のもの全てには神が宿っている」との考えをもとに、自然崇拝の気持ちを抱き、“祟り”を恐れる感覚があったからと考えることができます。
言い換えれば、祟られて大変な想いをしないために、自然や身の回りのモノを大切にし、そこに宿る神様を大切にしてきた歴史です。この考え方は人に対しても同様なのか、迷惑をかけてはいけないという行動が一般的に広がり、日本人は“和”を重んじてきたのかもしれません。
この30年を振り返るだけでも、阪神淡路、新潟、東日本、熊本、大阪と大きな地震があり、他にも洪水、台風など、日本は様々な災害にみまわれています。その度に、現地に訪れるボランティアや救援物資、義援金が出てくるのは、日本人の心に“誰かのために尽くす働き”が尊ばれているからといえるのではないでしょうか。
さらに、海外メディアからは、震災で被災したにも関わらず秩序を保ち続けた日本人に対し、“日本人の心に敬意を評する”報道がなされ、世界からも注目される“道徳心を身につけている日本人”として注目を集めたことは記憶に新しい場面です。
こうした震災復興に、“道徳心”を発揮した日本人でしたが、一方で、年数が経つにつれて“喉元過ぎれば熱さを忘れる”といわれる現象が起きているのではないかと話す方々もいるようです。
自分にとっての利害や名誉に関係なく誰かのために尽くす働きは、遠く離れた活動地域に行って働くことだけでなく、私たちの身近でも可能です。それは、自分の家庭の中や職場の中で、人から喜ばれることをしようとする動きにあたります。また、それが出来るようになったら、隣近所の人々から喜ばれることをしようとする行動です。
こうした動きを取ることによって、やがてすべての人が喜ぶことに自分の持っている財力、知力、労力を、余すことなく働かせようとする意識に繋がっていくことでしょう。
1、捨てる生活
我先に「得よう」「儲けよう」「人より上に…先に…」と、自分のためを思って利益を考え、利益を元にした暮らしに満ちているように感じられることがあります。
怒り、恐れ、憂い、急ぎ、あるいは悶え、妬み等々の人間の感情には、その全てにおいて「得たい」あるいは「失いたくない」という心に根ざしていないものはないようです。
喜びも嬉しさも、楽しさもまた「得たい」ということからでてくる“心”の働きにほかならないことでしょう。こうした世の中に、喜びも悲しみも超えて、いつも楽しく朗らかで、いつも嬉しい世界があることを教えてくれるのが「捨てる生活」のなかに含まれているのです。
ただ、捨てるといっても、べつに“物”を持ってはいけないとか、無一文で生活しなさいということではありません。だいいち、物をすべて捨ててしまったら、私たちは1日たりとも生きていくことができなくなってしまいます。
今回は捨てるといっても、“囚われの心を捨てること”について取り上げ、好き嫌いや不足不満の心を持つことなく、自然な形で、のびのびと生活することについて掘り下げたいと思います。
2、尽くす生活
人は誰でも幸福を望んでいます。その「幸福」というものには形はなく、目に見ることはできませんが、誰もが抱き願うものでしょう。一般的には、現在に至るまでの自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持ちを抱くこともなく、現状が持続して欲しいと思う心の状態を「幸福」と定義されているようです。
こうした幸福は、自分一人では成り立ちません。仕事を分担し、様々な立場で、様々な職業にそれぞれつくことを考慮すると、職業や立場に応じて人のために力を尽くしてこそ「幸福」にたどりつくものといえるでしょう。
その中で大切な点のひとつが、「譲る」という行為です。何もかもを他者に譲ってしまっては行き過ぎですが、自分自身の持っている力を他者のために使っていくことに意識を向けると、“譲る”ことへの見方も変化していきます。
わかりやすく表現した先人二宮尊徳(1787~1856)「たらいの水」の例話をご紹介しましょう。
人間は皆 空っぽのたらいのような状態で生まれてくる。つまり最初は財産も能力も何も持たずに生まれてくる。そして、そのたらいに自然やたくさんの人たちが水を満たしてくれる。
その水のありがたさに気づいた人だけが他人にあげたくなり、誰かに幸せになってほしいと感じて水を相手の方へ押しやろうとする。
そして、幸せというのは、自分はもう要りませんと他人に譲ってもまた戻ってくるし、絶対に自分から離れないものだけれども、その水を自分のものだと考えたり、水を満たしてもらうことを当たり前と錯覚して足りない、足りない、もっともっと、とかき集めようとすると、幸せが逃げていく
「二宮金次郎の幸福論」致知出版社 中桐万里子著
水を自分の方へ引き寄せようとすると向こうへ逃げてしまうけれども、相手にあげようと押しやれば自分の方に戻ってくる、つまり、人に“譲る”ことが大切になるのです。
こうしたことは金銭においても、物質においても、人の幸福でも、みんな同じことがいえるでしょう。欲を出して、自分の方へかきよせると逃げてしまうし、反対に人のために思って尽くすと、自分の方へ集まってくるのですから不思議なことです。
「喜び」といっても、いろいろと喜びはあります。なかでも人を喜ばせ、人に感謝される喜びほど格別なものはないでしょう。「尽くす生活」には、人を喜ばせることにポイントがります。
そして、毎日の働きには、他者から受けた恩に報いる“報恩の働き”があります。そこには必ず「尽くす働き」があります。こうした意識が希薄になり、忘れ去られてしまうと“自分のため”という考えや“儲けたい”という、極めて利己的な働きになってしまうので気をつけなければなりません。
自分にとっての利害や名誉を無視して誰かのために“尽くす”働きは、他者から受けた恩に報いる“報恩”の働きとして捉えることができるのです。
3、身近な行動
自分にとって利害や名誉を無視して誰かのために尽くす働きといわれると、なかなか具体的な行動が浮かんでこないかもしれません。まずは、自分自身の家庭の中や職場の中で、周囲から喜ばれる行動に意識を向けてみてはいかがでしょう。
そうした中で考えつくことのなかに「清掃」があります。清掃には様々な効果が現れるというのは、様々な団体が“清掃”に力を入れていることからもよく耳にするところです。
こうした“清掃”を、他の場所に出かけて行うことはとても尊いことですが、ここでは身近な家庭や職場に焦点をあてて進めていきます。
1)清浄な環境をつくる
清掃には様々な効果をもたらす力を持っています。清掃を通して心を清め、体を浄化し、商品の新陳代謝を促進させ、家庭内の明るさと健康と経済の流通効果を促す大切なものであることが体現されていきます。
自分の部屋、居間、台所、玄関はもちろんのこと、庭先から道路、公共の場所、焦点、会社などを掃き清めると、とにかく清々しく、快い気持ちになります。こうしたことは、清掃を行った人もさることながら、その空間を共有する人にも伝わっていくことから、安らぎとともに、新たな活力源ともなります。
2)雑念をはらう
家庭のこと、会社のことと何かしらの悩みや、腹立たしいことを抱えてしまった時にも“清掃”はぴったりの行動になります。
目の前の汚れを取り去るということは、同時に心の中の“モヤモヤ”したものを取り去るばかりか、余計な想いや感情を吹き払う効果を発揮するものです。そして、程よく汗をかくくらい行動し、頭の中で“アレコレ”考えて離れない余計な物が、汗と一緒に体の外へ出てしまうことで、サッパリとした生活に戻ることができるようになります。
3)固定観念を払う
こびりついた汚れを柱から取り去るという行為は、自分の心の中にあるこびりついたものを取り去る最良の方法です。
心の中にあって、必要のないものは“自分勝手なわがまま”な心でしょう。こうした心持ちは、なかなか取り除くことができないように思えますが、清掃に懸命に取り組むことで次第に取れていくようになります。
最後に
自分のささやかな努力や小さな働きに対して、大変喜んでくれる人を見た時に感じる高揚感や幸福感は、一度は体験したことのある経験ではないでしょうか。
人が喜ぶことに取り組もうと始めた時は、たった一人からのスタートかもしれません。しかし、次第に同じ志を持った仲間は増えていくものです。
そして、意外なことかもしれませんが、「よしっ!誰かのために働こう!!」と急に意気込んで始める必要がないということです。考えて行動し始めることは素晴らしいことですが、特別なことを始めようとすると継続することも大変で、一度だけ動いて止めてしまう傾向が強くなってしまいます。
そのため、まず自分自身の周りを見回して、近くにいる人を喜ばすことから始めてみてはいかがでしょうか。困っている人に手を貸してみることや、声をかけることからで構いません。大切なことは、相手を気にかける気持ちです。
今回は “身近な行動”の一つとして「清掃」を取り上げましたが、清掃には運命を変える可能性が秘められています。さらに、その運命は自分一人だけでなく、周囲の人々も巻き込んで、共により良くなっていくかさえ秘めているのです。是非、ものは試しと試してみてはいかがでしょう。
日々の生活の中で、「誰かのために尽くす働き」という意識を高めつつ、行動を積み重ねていくことは、自分自身をますます飛躍させ、向上させてくれる近道になっていくでしょう。