人はあやまちを犯しやすく、また落ち込みやすい性質を誰しもが持っているのかもしれません。例えば、正しいこと、良いと思われることを知ると、つい偉そうな気持ちにもなりやすくなり、「自分は偉い」と自惚れる気持ちになります。すると、他の人を批判したり、傷つけたりするようになってしまいがちです。
このような「偉そうな気持ち」にならないために、人は「悲しみ」といった気持ちを、身をもって知るのかもしれません。そして、悲しみの中に、深く、高い、喜びを見出すきっかけを掴むことができると謙虚な気持ちを知ると同時に、生命の本当の尊さを知り、生命の意義を深めていくことができます。
今回は、悲しみを悲しいだけに留めずに、その悲しみの中にある深い喜びを掴むきっかけにして、さらなる飛躍の足がかりにしてみてはいかがでしょう。
1、悲しみをキッカケにする準備
1)いい気になり易い
人は誰でもあやまちを犯しやすいものです。意識的に怠け心が出たり、また、無意識のうちに、他の人を傷つけたり、迷惑をかけたりすることがあります。とくに、自分が正しいと信じたり、良いことだと思い込んで行動したことでも、知らないうちに人に嫌な思いを感じさせたり、傷つけたりすることがあります。
ことに、自分が正しいと思って押し付けたり、他の人の“間違いばかり”を注意深く探り、「教えてあげよう」とする偉そうな気持ちを持つことで、ついつい相手を批判したり、責めたりするようになります。これが危ないのです。
どんなに正しいことでも、こちら側が謙虚な心を持ち合わせていなければ、相手に通じないばかりか、嫌われてしまう可能性が高まるばかりです。
2)悲しみを知ることの意義
人は、本当の悲しみを知らないと、ついつい偉そうになり、いい気になってしまいがちです。自分自身に降りかかった悲しい出来事に対して、心の底から涙を流して泣き、それを乗り越えていった時こそ、他の人の悲しみに共感し、共に泣くことができるようになるといわれます。
悲しみの最中には、自分自身の心の様子を観察することは難しいことでしょう。しかし、その悲しみを乗り越えた時に、ひと回り成長した自分に出会えることも確かなことです。
「人格生成にまつわる“隠し味”」と“悲しみ”を表現する人もいますが、その真意を考えてみると、悲しみは人を謙虚な心にし、広く大きな視野で物事を視つめる“目”を養ってくれると捉えることができるでしょう。そして、人としての奥深しさや、味わいある人格形成の一助をなしてくれているものとして考えることできるのです。
3)人はだれでも悲しみに遭う
人は誰でも、完全無欠でも全知全能でもありません。だからこそ人生は素晴らしいと感じたり、悩んだり、苦しんだりする場面があるのでしょう。なかでもネガティブな感情に押し殺されてしまう“悲しみ”という場面を取り上げると、這い上がれないほどの暗闇と表現することもできそうです。
這い上がれないほどの悲しみの淵に佇んだとき、その多くは何も解決できないと感じているのではないでしょうか。だからこそ、悲しみをただの「悲しいこと」だけに受け止めるのではなく、その悲しみを利用して、生命の尊さを知り、人生の意義を深めていくことができると意識しておくことが大切です。
悲しみの真っ只中で、ポジティブな心に転換させていくことは難しいことですし、さらに苦しくなることもあるでしょう。しかし、時間が経過するにつれて、悲しみは徐々に癒され、心に落ち着きを取り戻すことでしょう。
その時に私たちの意識は、どこを見て進もうか考え始めます。
どんな悲しみに出会ったとしても、他の人の悲しみが分かる謙虚さを持った人へと成長させてもらった出来事だったと、明るく朗らかな心持ちに徹して、少しずつでも、一歩ずつでも前に歩みを進めていこうとする心を持つようにすると良いのです。
2、“悲しみ”を“喜び”に転換させるステップ
1)自分から先手を取って働きかける
何か行動に起こそうと考えた時、私たちは“闇雲”に動き出してしまうことが多くあるようです。これまでの知識や経験が基礎となって、浮かんできた“行動目標”であったとしても、捉え方が消極的でネガティブでは、善い方向には進むことが難しいでしょう。
よく見かける行動目標の中には「なんでも“ハイ”と受けて動く」といったことに磨きをかけている人もいるようですが、指示されればやる、言われればやるという “消極的な行動目標”であるような、受け止め違いをしているケースがあります。例えば、「与えられなかったから、やらなかった」と言い訳をし、自分自身を正当化しようとしている人がそうです。
“先手を取って働きかける”ということは、あくまでも積極的で前向きなものでなくてはなりません。「与えられないから…」「言われないから…」という消極的な受け方ではなく、自分自身の生活を通して、あくまでも徹底的に前に出ることをいうのです。
また、日常の約束事についても同様のことが言えるでしょう。様々な会合や会議ごとについて、時間通りに行えばいいというものではありません。相手よりも少しでも早く行って準備をして待つという気構えが大切になります。
誰かが準備した後にのこのこと出かけ、人の苦労した上に安座をするような無神経さでは、とてもものにはできません。あくまでも自分自身から心のこもった行動をすることが求められてきます。
こうしたことは、会議・会合・待ち合わせといった約束事だけではなく、“挨拶”を取り上げてみても同じことがいえるでしょう。相手から言葉をかけられることを待つのではなく、相手より先に、間髪入れずに行動することに、自分の能力を高めて、発揮していく道筋があるのです。
2)難しい“行動目標”に挑戦しよう
私たちは、簡単で易しい“行動目標”を設定する場合が多くあるようです。しかし、ある程度の行動力を持っている方でしたら、少し背伸びしないと届かないような“行動目標”を設定することがお勧めです。
決して、「簡単で易しい行動目標」を否定しているわけではありません。ただ、「簡単で易しい行動目標」と「少し背伸びしないと届かない行動目標」では、性質が違うのです。「簡単で易しい行動目標」とは、その多くが、いつもの行動の範疇ですから、劇的な変化は難しいようです。「少し背伸びする」とは、いつもの自分よりも少し頑張った状態です。
「少し背伸びしないと届かない行動目標」に挑戦することは、継続していくことが難しくて、苦しい場面もあることでしょう。しかし、苦しんでやり抜いた時に感じるものは、これまで経験したことのない喜びとなります。なかには、莫大な富や名声を得ようと、結果ばかりに執着して行動する人もいますが、結果は天の領分。私たちは力の限り、“今、ここ”に集中して、行動していくことの意識を向けていきましょう。
こうした心持ちになったときに注意しておかなくてはならないことがあります。“少しでも難しいもの…”というように、私たちはこれまで挑戦したことのないことばかりを提案したり、探したりしてしまいますが、実はそうでもありません。
日常生活の中で、過去に何度か挑戦したけど、なかなかやり通すことができなかった物事に、もう一度注目してみることも大切なのです。つまり、自分自身の中にある苦手に挑戦してみることです。
解消されるかどうかといった結果に振り回されず、“今、ここ”に意識して行動していく時、想像もできなかった力が沸き起こってくるものを感じていただけたら、さらにもう一歩、“難しい目標設定に挑戦”することができるかもしれません。
3)周囲に引きずられずに、信念を持ち、まごころを尽くす
家族の目や近所の人の目といったように、周囲の人の顔色をうかがいながら、ビクビク気にしながら生活していては、行動しようとしてもなかなか動き出せないものです。
自分自身が正しいことをやっているという信念さえあれば、周囲の目は一切気にならなくなります。さらに、それらの目や声が自らの妥協しやすくなる“弱気な心”を励ましていると受け止めることができるでしょう。
格好ばかりを気にする行動は、本物ではありません。周囲の目に引っ張られるのではなく、自分の人間性をドンドン高めていくことにより、周囲の人を逆に引っ張り回すくらいの意識を持つ位が丁度いいのです。
それには、自分が人間として、もうひとつ変わり切らなければなりません。反対意見があることを喜び、陰口悪口こそ自分をしっかり激励してくれる応援者と信じて、ますます力強く行動していこうとする気概が大切になります。
下手をすると八方美人になったり、相手から叱られても亀のように首を縮めてへりくだる人もいたりするようですが、何をビクビクする必要があるでしょう。自分自身がこれまで学び、経験してきたことの素晴らしさを振り返り、深く自覚してみてください。
人から叩かれるのを恐れず、摩擦があるからいいのだと開き直るくらいで受け止めていきましょう。そして、他の人の機嫌を推し量ってみたり、自分の意見を曲げてまで相手に気に入られようとしたりするような行動をしないことです。自分自身の行動に信念を持つだけで迫力と粘りとが、心の中で育まれてくるものです。
最後に
理論理屈をあれこれ並べて、自分自身の行動力の無さを弁解する時間があるのであれば、まずは、気づいたところから行動に移していくことです。理論や理屈はとても大切な部分ではありますが、机上の空論にしてしまっては非常にもったいないものばかりではないでしょうか。
自分自身の行動が五感に刺激を与え、フル活動し始めることを感じ始めると、それぞれの感覚を基にして、さらなる自己革新の道が切り開かれていくことでしょう。そうした道を着実に一歩ずつ、進むことによって自分自身のレベルアップに繋がっていきます。
自分自身の中にある“悲しみという感情“を“悲しいだけの感情“に留めずに、その先にある”喜びの感情“を掴むきっかけに転換し、さらなる飛躍の足がかりにしてみてはいかがでしょう。