はじめに
この世に存在するモノには、すべて価値を見いだすことができます。なぜなら、価値のないものはこの世に存在することができないからです。一見、存在価値のないモノだと思い込んでいたとしても、そのモノの所有者の価値観の変化によって、爆発的に有名なモノへ変貌を遂げるモノもあるくらいです。
つまり、そのモノの価値は、所有者の“心”の価値観を変えることで、そのモノが与える影響力も変化させることができるということです。さらに、こうしたことは物質に限ったことではなく、私たち人間関係においても同様のことが言えます。
そのためにも、自分を自分で認めることが重要になるのですが、多くの場合、自分を認めてあげることができていないようです。
今回は、そういった「存在価値」について掘り下げてみたいと思います。
1、存在価値はあるのか
ある人から、「人間として生まれて◯◯年。いつも苦しいことばかりで、他人からは馬鹿にされっぱなしの生活。果たして、こんな私に存在価値はあるのでしょうか。」と、声をかけられたことがあります。
私は、その人に、「存在する必要があって生を受け、存在価値があるから今こうして生命があるのです。」と答えました。しかし、話を聞いている相手にはなかなか届かず、頭の中には、“?(疑問)”が浮かんでいるような状況でした。
自分自身では、見いだすことができない“存在価値”であっても、自分以外の誰かに見出してもらうことで、自分の価値に気がつくことがあります。その誰かとは、両親・兄妹・友人・恋人・夫・妻と…いうような日頃からやり取りのある身近な人でしょう。
特に結婚している夫婦は互いに相手を必要としたことから結婚している側面が強く、そこには厳然とした“存在価値”が互いにあったと考えることができます。
少し離れて、世の中全体を見てみましょう。
すると、世の中にいかに自分の価値に気づかず、日々、心労を重ねて過ごしている人が多いことか。
能力は人によって異なります。確かに、隣にいる人よりも劣っているところはあると思います。しかし、同じようにその隣の人も自分より劣っているところがあるのです。つまり、誰もが人よりも優れた部分があるにも関わらず、気づいていないだけなのです。
そこで、突飛かもしれませんが「自分は全世界唯一の人間である」と思い切って自分に投げかけてみてはいかがでしょう。何か面白いことに気付けるかもしれません。
2、自己の価値を認めよう
とはいえ、「人が認めてくれるのを“待つ”」という消極的な態度では、自分自身の存在価値はなかなか現れてこないでしょう。近年は“自己アピール時代”ですから、自分で自己価値を知り、より価値ある存在にしていかなくては、磨かれない原石として終わってしまいます。
また、自分自身の価値を自分で知らずして、どうして世の多くの人に自己価値をわかってもらうことができるでしょう。他の人に認めてもらうには、自分自身が自分の価値を認めることから始まります。
自分の必要性を見つけ、価値ある自分になっていく。これは、河原の石のようなイメージを持つこともできますが、河原の石と違うところは、他者が見つけるか、自分が見つけ出すかの違いです。
人には、自己価値を見つけ出す能力があります。来る日も来る日もコツコツ磨き続けることで、光が生じてきます。この光こそが、他の人が気づくような存在価値につながるきっかけになります。
しかし、光を生じさせる為には月日がかかります。一朝一夕にできるものではありません。そのために、日々磨きをかける必要があります。輝かせる磨き方は人によって様々でしょうが、ひとつ方法を紹介するとすれば「困難にぶつかること」でしょう。踏まれても、打たれても、どこまでも強く困難な中に飛び込んでいくことです。
反対に、身を惜しみ、ズボラ心に振り回されて、仕事はやりたくない、美味しいものを食べたい、楽をしていたい、でも、報酬は人一倍欲しいというようなワガママな心に引きずられてしまえば、自分で自分を粗末に扱っていることになります。そうなってしまえば、物事がうまくいかないのは当然のことといえるでしょう。
例えば、睡眠時間に囚われている人はいないでしょうか。朝目が覚めてもサッと起きずに布団の中でグズつく、こうしたことは“過去への悔恨”と“現在の不安と嫌悪”をふくらませることにもなります。ですから、目が覚めたときを出発点として、未来へ向かって明るく進む姿勢を育てるために、サッと起きるということが効果的なのです。
「自分こそが全世界唯一の人間だ」という自覚をもって、現在の仕事に打ち込み、目標を定めて、その方向に一貫して力を注いでいくとき、自分だけしか持っていない素晴らしい能力が発揮されるよう、立ち向かってみましょう。そうすれば、自ずと個性があらわれます。
そうした想いが、世の中に役立つ自分として、新たな一歩を踏み出せるのです。
3、個性の発揮
人は、ただ食べるためだけに生まれてきたのではありません。自分自身に生まれながらに備わっている性質をできる限り伸ばして、人生をより良きものに築き上げていく尊い働きをするために存在しているのです。
生まれながらに備わっている性質(個性)とは、その人の身体的・精神的・普通正常の特性のことです。
では、どのようにしたら“個性”が現れるのでしょうか。それは「己を空しくする」ことにあります。「空しくする」というのは、自分自身を“カラ”にすることです。自分自身のワガママというような“私利私欲”を捨て去ることにあります。
余計なことは一切考えずに、目の前の“やるべきこと”に対して、存分に働きかけることです。「よりよくやろう」と働きかけることは素晴らしいことなのですが、自分の領分を越えて動こうとするとストレスがかかりますので、それではやりすぎです。
反対に「自分はダメだ」「できない…」というように、自分自身を貶めるようなことを考えながら動いてもストレスがかかりますので、こうしたネガティブ思考も避けたいところです。
では、どうしたらいいのかと問われれば、ただただ“喜んで”目の前の事柄に取り組めばいいのです。
清掃をするときには清掃をし、勉強するときには勉強をする。仕事をするときには仕事をするというように、余計なことは思わずに、ただただ一心に目の前のことだけに意識を向けて働きかけることが大切なのです。そして、その行動を継続していくことがさらに重要となります。
継続するためには、自分自身の内側から出てくる様々な思考に邪魔されることもあるでしょう。長期的な時間はかかるものですが、ひとつひとつその物事に心を込めて取り組むことで、緩やかに、自然に変化が現れてきます。
さらに、そうして現れた変化は地域の関係に必ず影響を及ぼすことになります。たとえ、取り組み始めた行動が個人的なものであったとしても、気がつくと周囲の環境に伝播し、地域社会に影響を及ぼすほどの拡がりへと変化をみせてくれるものですから、自信をもって個性を発揮する道筋を歩まれてはいかがでしょう。
最後に(人生の生きがい)
私たちが感じることができる幸福感は、人それぞれの立場や環境が違う様に、感じる“幸福感”も違うということができるでしょう。具体的に表そうとすれば多岐に渡りますが、集約していくと「自分自身の生きがい」を“見つけたり育てたりすること”で、「存在価値を高める」ことにつながり、幸福感を得られることになるでしょう。
存在価値を高めるには、“誰かのために”と働きかけた行動を積み重ねることで高めることができます。自分だけのためにと働きかける“私利私欲”や“ワガママ”を捨て、周囲の人を喜ばし、誰かのために働きかけたときに、自分自身の内面にある「欲望」が消えていきます。すると次第に人を尊ぶことから、自分自身の尊さが輝きを増していくことでしょう。
さらに、自分自身の尊さを増していくためには、“自分自身の尊さも知る”ことが大切になります。
私たちの周囲を見回してみてください。食器や箸、鍋や蓋のように食事を支えてくれるモノもあれば、シャツや着物、パンツやジャケットというように外出や仕事を支えてくれるものがあります。そのモノひとつ一つは、独自独裁の用途を持っていて不変のモノですから、他のものと取り替えることができません。
こうしたことを思うと、人もまた同じことがいえるのではないでしょうか。まずは、自分自身の“個性”を大切にして、世界に唯一の絶対存在である自分が、自分自身を尊ばなくて、誰が観てくれるでしょう。
理論理屈を並べたてれば、考え至るものかもしれませんが、実際生活の中で「自分自身の尊さ(存在価値)」をしっかりと自覚し、その想いを育てていくことが“個性を磨く”ことに繋がるのだということを掴んでおいていただきたいのです。
この世界にたったひとつしかない宝というべき自分自身の個性をできるだけ伸ばして、周囲の人のために働かせていくことで自分自身の生きがいを見出し、自分自身が望む幸福に近づけるように、働きかけてみてはいかがでしょうか。