2018年が始まり2週間が経ちました(執筆時点)。
新年を皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日から大学入試センター試験が始まり、受験生の皆さんと親御さん、そして周りの方たちは緊張の日々を過ごされていることと思います。
大学入試センター試験は答えを間違えると、間違った問題の分だけ単純に点数が低くなってしまうという評価制度です。試験では慎重に正確な答えを選ぶことが求められます。より高い得点を出すことで、より高い評価を得られる。そのような評価制度が取り入れられていることは誰もが知っています。
しかし、人生においては「あえて」間違った答えを考えてみる、出してみるというのも一つの方法です。
今回は2018年を考えるにあたって、一つの考え方を提示したいと思います。
そもそも「正解」は存在しない
「結果」としての良かった、悪かったという主観は存在しますが、人生の選択や行動において「正解」というものが存在しないことは経験としてご存知のことと思います。
当然ながら、犯罪に関すること、法律に触れるような行為は問題外です。
周りの誰もがカッコイイと認める、憧れのあの人と結婚する。ということは、誰もが羨む結婚で、その時点では正解かもしれません。
しかし、残念ながらその後の人生においてはもしかすると不正解だったということがあるかもしれません。
恋愛期間は幸せだったが、結婚生活は夢に描いたものとは大きくかけ離れ、結果的には離婚が正解だった。ということはよく聞く話です。
偏差値トップクラスの高校、大学へと進学し、一部上場企業へ就職。
友人や親せきからは祝福を受け、誰もが羨む進路を進むが、配置された職場では人間関係に悩まされ、時間外労働と精神的疲労の蓄積で会社を退職。退職したことは正解であったが、その後は学歴と退職した企業名により思ったように転職先が決まらずフリーター生活が続く。
恋愛や夫婦関係だけではなく、社会全般の人間関係、学校や就職、転職、起業、地域やコミュニティでの人間関係など、過去を振り返った時に「正解・不正解」という判断自体ができないようなことは多々あります。
ただ、「あの時、ああしておけば良かった。」というような思いだけが残っているだけかもしれません。
正解を求めてしまう習慣
センター試験の回答に求められる正解と、人生に幾度も訪れる選択に求められる正解とは性質が大きく異なります。
先ほども書いたように人が生きていく上での選択において「正解」というものはほとんどなく、存在しないとも言えるかもしれません。同時に不正解も存在しません。
ただ、本人の主観として過去に起こった出来事に対して「正解・不正解」のどちらかの評価が存在しています。
むしろ、失敗や間違いを繰り返すことにより人は成長し、進化の材料としているのではないでしょうか。
ところが、日本人の性質の一つとして「間違ってはいけない」という習慣、観念が大人になっても根強く残っていることが多々あります。
小学生の娘は間違えることを極端に恐れています。宿題ができずに「宿題忘れ」となることを最大の失敗のようにとらえています。
子供の頃から、親や学校から間違いは誤りであり、常に正解を答えることで評価が高まるシステムの中に生きているからです。
考えるだけなら
「思考は現実化」するなんていう考え方もありますが、あなたが人生、将来、進路、目標など、人生における選択を考える際に、あなた自身があえて「間違っているのでは?」と思われるような答えを考えてみてはどうでしょうか?
・これはあり得ない
・これは無いだろう
・絶対に無理
・意味が分からない
・突飛すぎる
・常識外れ
そんな選択や考え方です。
自分の頭の中で考えるだけなら誰にも評価されることはありません。評価が下がることも、馬鹿にされることも、誤りを訂正されることもないでしょう。
ところが人は、自分の頭の中だけの考えであったとしても「正しくあろう」とする傾向にあります。
「正しくあろう」とする基準は自分の中に既に存在している「観念」です。
意図的に間違ってみる
このコラムを読んでおられる方なら、「自分自身と対峙」するようなセミナー、ワークショップ、お茶会、個人セッションを受けられたことがあるのではないでしょうか?
また、個人の取り組みとして自分の内面を観るような習慣を持っておられるかもしれません。
そんな時に、ぜひ試していただきたいのが先ほどご紹介したようなあなた自身が「間違っているのでは?」と思われるような答えを考えてみることです。
セミナーやワークショップ等では、自分の頭の中で考えたことを同席の人にシェアする機会もあるかもしれませんが、そこは取捨選択。あなたの考えのすべてを披露する必要もありません。
それよりも、自分の内面と対峙し、自分のことについて考える機会において、あえて間違っているのでは?と思われる答えを出してみることが重要だと思っています。
あらゆる人間関係、社会との関係においては、間違った答えを相手に伝えてしまうことは、あなた自身が「失敗した」と考えることに繋がるかもしれません。
しかし、あなた自身との内なる対話においては、いくら間違ったとしても指摘するような人は存在し得ません。
踏み外すことで新たな発見や変化
「間違った答え」という表現はとてもネガティブなように思われるかもしれません。
お伝えしたかったのは、まずは自分の頭の中で今までの思い込みや観念を一度捨て去ってしまい、まったく新しい別の考え方、価値観、評価、思考を取り入れてみるということです。
学校や職場、家庭内であっても間違えることはダメなことだという思いが強く根付いていることでしょう。
あなたが、あなたの周りの人にとって間違った答え、違和感のある行動、突飛な表現をすることで、相手から距離を置かれてしまうかもしれません。
しかし、あなた自身の頭の中、思考の段階であれば、誰にも邪魔をされることなく、自由に考え、発想することが可能です。
あなたの中は無限大
自分以外の誰かとの人間関係においては、思考や行動、言動にはある程度の制約が付いてしまいますが、あなたの中で思考することに制限はありません。
制限を決めているのは、あなた自身です。
2018年は制限を外し、新たな可能性をあなた自身の中に見出してみませんか?
今年も素晴らしい一年となることを。